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「壺の中」解題 [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

昨年の秋に母が亡くなった。
母は腹の据わった女で、僕が生まれる前からうちの家計は母が担ってきた。
母は田舎の八百屋の長女に生まれ、そのあとは、パチンコ屋、スナック、モーテルなどを経営して支えてきた。そんな母だった。
そんな母が晩年、ある時「人生なんてあっていうまだなぁ」としみじみと言ったことがあった。人はそれが過ぎたときに「あっという間だった」とはいうけれども、その渦中でそうはいわない。そういう意味で人生を達観した名言だと息子の僕は贔屓めでそう思っている。
そんな母を荼毘にふしたあと、僕がお骨をもってお墓までいった。骨壺、そしてそれを覆う箱を通して母の暖かさが伝わってきた。
百日も過ぎたが母のことをよく思う。母はどう考えても変な人だったし、性格の善し悪しもかなりあやしい。そんなことも含めていろんな事を思い出す。けれど、母が死んでしまった今思うには母の人柄とか性格とか、いろんな事はどうでもいいと思う。僕の心に残っているのは「愛された」ということだけ。締めつけられるような、つーんとするような「愛された」という思い出、実感だけだ。そう思うと、ひょとしたら壺の中に持って行けるのは、「愛した」ということだけなのかもしれない。僕はまだ確定的なことはいえないが。
「座って半畳寝て一畳」は僕の座右の銘。
必要なのはそんなものかと思う。足るを知る、というのも近い意味かと思うが、畳は日本人的でいい。
「壺の中」は小さい。持ってゆけるものは少ない。

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