SSブログ

確かな予感、あるいは何かとつながった体験 [学生の頃のこと]

大学生の頃、将来の仕事についていろいろ思いめぐらせていたことがあった。
小学生の頃から写真を撮ることが好きだったから、カメラマンになりたいというのと、教員(大学は教育学部の国語科にいた)というのが、主ではあったが、それに限らず。
「僕は何になりたいんだろう」「僕はどんな役立ち方ができるんだろうか」「僕はどんな一生を送りたいんだろうか」「僕は・・・」「僕は・・・」勉強せずにいろいろな切り口でずっとそんなことを考えていた。ずっと考えていた。ずっと、ずっと頭の中でぐるぐるしていた。自分でもいやになるくらいぐるぐるしていた。
ある晩、布団にはいって眠ろうとしていた。そんなまどろんでいたころ。
ふっと、それは僕の感じとしては「上からおりてくるように」としか表現できないのだけれど、「あっ、俺は写真を撮ってゆくんだな」と予感があった。確かな予感、と僕は呼んでいる。いま思えば何かとつながった体験だったともいえるかと思う。

紆余曲折があって、大学を卒業して高校の教員になった。
それでも写真を仕事にしたいという気持ちがあった。そして、そんな気持ちで教壇に立っていることがとても辛かった。
そんなある時、ふとこんなふうなことを想像した。
自分が年老いて孫をだっこしながら、おじいちゃんの昔話を孫に話すような風景。
「おじいちゃんは昔は学校の先生をしてたんだけど、カメラマンになりたくて先生を辞めて東京に出たんだけど、それから苦労してね・・・」
「おじいちゃんは学校の先生をしてきてね、でも、本当はカメラマンになりたいと思ったけど・・・」
したかったけど「やらなかった」ことを僕は笑って話せない、自分の人生を笑って話せないのはいやだ、と思った。自分の人生を振り返って笑って話せないのは。うまくいったとかいかなかったとか、そんなことよりも自分が本当はこうしたい、ということをやってみることが僕にとっては大切なことなのだ、と思った。(実際、教員をやめてから苦労のしっぱなし!(笑))
人は、X軸には一生という時間が書き込まれていて、そしてY軸には好きなように書き込んでいいようになっていると思う。そして、それぞれ書き込みたいものを書き込んだらいいと思う。大げさに言えばそれはその人の人生の意味、あるいは価値、といえるかもしれない。(ただ、あとで文句を言わないように。書き込んだのは自分だから)
大学生の頃に、そんなことをぐるぐる考えたわけさ。
コメント(2) 

コメント 2

seagull

いいお話ですね。
ほっとします。
私自身は自分の来た道を振り返って、「あぁ、あのときこうすればよかった、こうしなければよかった」等々思い患うことも多いのですが、最近は「やりたいことやったもん勝ち」だよねぇ、やっぱり、と思うようになりました。
まあ人生に勝ちも負けもないんですが・・
すとさんほど、しっかり取り組んできたわけではなく流される面多数でしたが・・・

やらないで後悔するよりやってみた・・正解ですよネ(^-^)v

初コメントさせていただきました。
送信できるかな?
by seagull (2010-06-04 20:59) 

sutou

初コメントとのこと、どうもありがとうございます。
僕は流されること多々、後悔すること多々。
後悔している自分自身も愛おしく思えたらいいなぁ、
と思います。そんな自分も自分なのかと。
なかなか受け入れられないことが多いですけどね。
by sutou (2010-06-04 22:16) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。