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下北沢、田口アパート(1) [カメラマンになる周辺など]

カメラマンとして独立するときに、下北沢に部屋を借りた。当時は下北沢の南口の商店街には、たくさんの不動産会社があって、とにかく部屋を探すこと以外にやることはなかったので、独立したてのカメラマンの予算に合う、つまりボトムエンドの部屋をじっくりしつこく探していた。
ちなみに下北沢という駅名はあっても、地名は世田谷のあそこにはない。地名でいうと代沢か代田になる。
下北沢にこだわりはなかった。ただ、スタジオマンということをやっていた頃、たまたま本多劇場が入っているビルの20階くらいにあるお宅に撮影に伺って、そこから見た東京が、なんとなくいいなぁと思ったからというだけの理由だった。人生なんてそんなことで左右されて、そんなことがおもしろいのだろう。
不動産屋の素ガラスにはってある部屋の間取りと値段が書いてあるチラシをくまなく見ては、数メートル先の別の不動産屋の素ガラスをしつこく覗いて、ということをして歩いていた。
ある不動産屋に入った。僕が口を開く前に不動産屋の親父さんが言った
「君はずっと探しているようだけど、どんなのを探しているのかね」
「はあ、安い部屋で、・・・それで、母が大家さんがいい人のところに世話になりなさい、というんで、そんなところを・・・」
「なるほどね・・・。じゃあ、ここだな」
といって、電話を一本入れて近くのアパートに連れて行かれた。行くと、大家のおばさんがまっていて、不動産屋とは馴染みらしく軽くそんな訳でというような挨拶をして、それから僕を見て、
「あら、こんにちは。ゆっくり見ていってね」とほほえんだ。
後日聞いたには、あのとき大家の田口のおばさんは「この人はうちに来る」と直感したといっていた。
使い込まれた木製の階段をあがると、すぐにそれぞれ用の小さな台所が3つL字型に並んで、それから共同のトイレがひとつ。このアパートは全体に複雑な作りになっていて、「その階段を上がったところには」3部屋あった。部屋の借り主からはあらかじめ了解をもらっているということで、四畳半を覗かせてもらったら、そこは元気のいい男子大学生の部屋だった。それほど日の入らない東南角。家賃は正確には覚えてないけど24000円くらいだったように思う。(後日車を持つようになり、その駐車代が27000円で、家賃よりも高かったのを覚えているから、このくらいだったのだろう)
木造2階建てのそのアパートにお世話になることになり、名刺には「代沢4丁目…メゾン田口201号」となった。この築30年の木造アパートにしてメゾンとはかなり恥ずかしかったが、どうせ誰も来やしないのだからと、かなり立派めにかかれることになった。その後名刺交換をするようになると、「いいところに住んでいますね」とよく言われた。本当に恥ずかしかったが、「めぞん一刻のメゾンみたいなもんです」と答えた。ロマンスはなかったが、それは嘘ではなかった。

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