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下北沢、田口アパート(3) [カメラマンになる周辺など]

といっても、お茶ばかり飲んですごしていた訳ではない。
出版社のどこぞの編集部に電話を入れてアポイントをとり、売り込みに行ってはファイルした写真を広げて見てもらった。インドからエジプトまで一年間のバックパッカー撮影旅行をしてきたときに撮った写真をファイルしたのが唯一の売り込み材料で、心許ないものだったが、それしかなかった。
印象深かったところは覚えているけれども、どこに営業に行ったのかもうほとんど忘れてしまった。自分の印象に残っているほど実際には行ってはいないのかも知れない。
営業というか、売り込みに行くと、全く仕事のない若造カメラマンが来たので、編集者はいろんなことを言ってくれた。もちろん言ってもらってかまわないのだが。
「全体にいい写真だと思うけど、この写真はよくないね。これを抜いたらいいんじゃない」
「あんまり好みじゃないけど、この写真はまあまあいいんじゃない」
「いいけどうちじゃあ使いにくいから、○○あたりに行ってみたら」
ある編集者は、たまたま写真の隅に写っていた新聞を丁寧に読んでいた。
アポを入れたにもかかわらず、写真を見ることなく「間に合っている」と門前払いをされたのはS潮社だった。いくら駆け出しとはいえ、さすがにこれは感じが悪かった。
編集者は一人ひとり見事なくらいに違うことを言うし、その中には当然矛盾したことも起きてくる。初めのうちはファイルの写真を入れ替えたりしてみたが、何かすっきりしない。一生懸命に編集者の意見に合わせようとするほどに、何か収まりが悪くて、何かが間違っているというか、そんな感じがしてしまった。
その矛盾だらけの見解の中で、頭がぐしゃぐしゃになり、訳がわからなくなり、そして思った。
「自分の好きにすればいいんだ」
たくさんの編集者がよってたかって教えてくれたある意味、真理だと思う。
多くの矛盾の中で、何が正しいということも何がいいということも、ないのだ。ただ自分自身が、こう思うんだ、こうしたいんだ、こういう事を伝えたいんだ、というような事々をただぶつけてゆくしかない。当たり前といえば、至極当たり前のことだった。
仕事がないうちから、「写真を撮る仕事だったら、3年間どんな仕事でも黙ってしよう」と決めていた。それは、現実にお金が必要だったし、写真は写真を撮ってこそ腕が磨かれるし、それに、仕事的人間関係を広げてゆかなければならない、と思っていたから。しかし、その裏返しとしてとでも言うか、「3年経ったら自分のすべき仕事をしよう」とも決めていた。それがどういう事で何を撮るのかもそのときは解らなかったけれど、そう決めていた。まあ、若気の至りであろう。

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