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Aスタジオ顛末記3〜二重橋だよおっかさん〜 [カメラマンになる周辺など]

あのS山さんの事務所によくロケアシ(出張アシスタント)に行っていたことがあった。
S山さんはヌードはもちろん週刊誌の表紙、シノラマなどの撮影を一日にいくつもやっていたから、アシスタントは3人いたが仕事の内容ごとに、撮影の種類ごとにメインで担当するアシスタントが違っていて、外での撮影が終わると、別のアシスタントがスタジオで週刊誌の表紙の撮影をスタンバイしていて、というような具合だった。
その当時のシノラマの撮影では、結婚式場でゴンドラに乗って式場に下りてくる二人を撮ったり、日曜日の朝の新宿御苑の家族だったりなど、日本的風景というか、そんな風景をS山さん的な独自の視点で切り取るということをしていた。僕はそちらの方の手伝いに行っていた。

何月のことだったろうか。その日は、皇居前広場に行った。
朝から快晴で暑い日だった。4×5(シノゴ)という大きなカメラでの撮影で、僕はS山さんが仕事をしやすいように、かぶりという布、写真屋さんが大きいカメラでバシャン!と撮るとき、カメラを覗く時に使っているあの黒い布を、かぶせたり外したりということをしていた。このかぶりというのは、急いでいると結構ぐちゃぐちゃになってしまい、ストレスになる。それをアシスタントが一人手伝うと、それだけで仕事がとても楽になる。それに、カメラを覗かないときには、S山さんの後ろで広げて持って、カメラやS山さんに直射日光が当たらないように日陰を作るということをしていた。

修学旅行、二重橋、記念写真。
二重橋前でひな壇に整列して記念写真を撮るところ、を撮影ということだった。今撮った写真がそのままセピア色になってしまいそうな、日本のステロタイプな風景。ちなみに、ものによると二重橋といわてれいるのは、あれは本当はそうではなくて、あの奥に架かっている地味な橋が二重橋なのだそうだ。
だけども、たとえば母が東京見物に来て、ここに連れて来たら、やっぱり僕は
「おかあさん、あそごさかがった橋が、島倉千代子がうだってだ、二重橋だごで。ほらほら、二重になってだべ」(おかあさん、あそこに架かっている橋が、島倉千代子も歌っていた二重橋ですよ。ほら、二重になっているでしょ)
「せっかぐだがら、写真でも撮ってもらうべ」(折角だから写真を撮ってもらいましょう)
といって、近くの人に頼んで記念写真を撮りたいと思う。本当はあれは間違いで、あの奥にもう一つ橋があってここからは実は見えなくて・・・、といったら、母はなんとなく残念に思うことだろう。思い出のある人には、あれこそが二重橋であり、それでいいと思う。

話はそれたが、そんなふうにして愛しいステロタイプを撮影していた。
ひな壇には学生たちがぞろぞろと立っては教師がなんやかんやといい、そして降りては、また違う高校生がぞろぞろと立っては降り・・・、S山さんは三脚ごともって微妙に移動させて位置を変え、そして磨りガラスをのぞき込んでアングルを決めピントを合わせ、そしてレリーズを右手にシャッターチャンスをうかがう。
僕は黒いかぶりを腕を伸ばして持ちながらS山さんの一挙手一投足に意識を集中させて次にすることを読みながらも、まわりや被写体にも意識を向ける。ここには車はこないが、ときには「車入りま〜す」などといったりするわけだ。

僕はその時のことをよく覚えていない。見ていたひな壇に、あれっ見たことある人のような・・・、そのあたりからいろんなことがはっきりしない。全体が不透明な乳白色の中、まさか、えっ、うそだろ、そんな言葉がまばらに飛んだような気がする。
僕が勤めていた高校の修学旅行がひな壇にいたのだ。見知った先生たちがいたのだ。
僕はなんとなくうつむいたが、めざとい先生に見つけられたようだ。言葉をかけられたようにも思うが、よく覚えていない。誰だか先生が僕の写真を撮ったようでもあったが、記憶は霞んでいる。この時の記憶がみごとに霞んでいるのは、よっぽど見られたくなかったのだろう。
さぞや、教員をやめてこんなことしているのかと思ったことだろう。恥ずかしく思うことはないのだが、それでも恥ずかしかった。教員をやめて黒い布持ってつっ立っている、なにやってるんだかと自分自身思う。見られたくなかった。これは自分が選んだステップなのだから恥ずかしく思うことはない。しかし、恥ずかしく思っていい。悔しく思っていい。青春の蹉跌なのかと思っていい。もし蹉跌だとしたら、それは一歩前に進もうとした証拠なのだから。

だいぶたって、なにかの機会にスタジオで経理をしているS原さんにそのことを笑い話として話したことがあった。そうしたら、S原さん、ただでさえ目がくりっとしているのに、それをまたぐりっと見開いて、
「だからだめなのよ、すとうくん。わかる?そういうのもチャンスなんだから。そこで、S山さんに、今ひな壇に来ているのは去年まで勤めていた高校の修学旅行生なんです、と、言うのよ(言うのよ、はフォルティッシモ)。そしたら、S山さん、お、って思うでしょ。そうして覚えてもらうのよ、わかる?すとうくん。そういうところからチャンスは生まれるのよ、わかる?」
ロケアシで行っていて、仕事中にそんなこと言えないですよS原さん、とは言えなかった。あのでっかい頭にあのちりちりに爆発した髪して、ぎょろ目を見開いてキリキリと一瞬を待ってレリーズ握っている後ろから、そんなこと言えないですよ、と思ったが。S原さんに言わせれば、僕の人生はチャンスを逃しっぱなしなのだろう。本人はつまづいてさえ気づきもしないようだが。


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