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Aスタジオ顛末記7〜Fフィルムへ〜 [カメラマンになる周辺など]

Aスタジオには4月に入って、次の年の12月までいたのではないだろうか。だとすると、結局2年弱、1年9ヶ月いたのことになる。スタジオをやめるどのくらい前に「ピラミッドの頂上で記念写真を撮る」と決めたのかそのあたりは定かではない。
スタジオをやめるまでには、ピラミッドに登って記念写真を撮るということを、僕自身のひとつの「イベント」にしようと思っていた。飛行機でカイロまで飛んでピラミッドに行ったのではイベントにならない。コースを作って旅をしよう、そしてその旅の終着点がクフ王のピラミッドの頂上だ。旅、旅は帰るところから離れてゆくのがいい。なぜかはわからないが、それがいいと思った。じゃあ、インドもどうもおもしろそうだし、インドから陸路でエジプトまで。「作戦会議」の結果そう決まった。インドがおもしろそうと思ったのは『全東洋街道』とか『メメント・モリ』とか、そうした大学生の頃に手に取った藤原新也の影響が強くあったのだろう。特に『メメント・モリ』は大学生だった僕には強烈だった。死を想え、か。ちなみに、『全東洋街道』の撮影には、Aスタジオの先輩のOさん(僕が入ったときにはもうフリーになっていた)が、藤原さんのところに助手としていたころに同行したように聞いたが、僕の記憶違いでなければ。
藤原新也のついでというのも変だが、ちょっと思い出したので、ついでに。
旅に出る直前に発刊された沢木耕太郎の『深夜特急』を知り合いの編集者がプレゼントしてくださった。読みたいと思っていたけれども買うのは躊躇してしまっていたからほんとうに嬉しかった。その本の中に
「(インドで)手で食べていたら、食堂の親父がスプーンを持ってきてくれた。いらないと断ったら、どうしてスプーンで食べないんだと聞く。そして私は
「ここはインドだから」
と答えた・・・」
というような内容のくだりがあって、その時はすごいなぁ、かっこいいなぁ、これがインドの旅かぁと思った。が、インドで飯を食いながらそれを思い出して、「あたりまえじゃん」と。ごくあたりまえに普通に右手で食べるようになていた。こんなあたりまえのことを、そんなふうに事件というか出来事として書けることの方がすごいと思った。

それはさておき、Aスタジオをやめてお金を貯めるべく実家に戻ってアルバイトをはじめた。スタジオにいるときにもらえたのは月々わずかなもので、休みにはとにかく外に出て気晴らしをしたいから、みんなそれぞれにお金は使ったのだと思う。オールナイトの映画に行ったり、カメラを持って少し遠くへ行ったりもした。先輩では六本木に近いという土地柄もあって風俗店に行く人もいた。寒い季節、麻布十番の外れに屋台のおでん屋が出たが、僕はその丸いすに座っておやじさんと話しをしながら遅くまで過ごすのも好きだった。
アルバイト、昼は電話帳の広告を取る仕事をした。朝の7時半頃家の車で山形市の駅前近くのその会社に行く。朝礼をしたら二人組みになって営業の外勤をして夕方会社に戻る。会社が終わると、その足でこんどは夕方から11時過ぎまで同級生のお兄さんがやっている喫茶店で雇われマスターをした。いまカメラマンが似合っているとはとうてい思わないけれども、営業マンにしても喫茶店のマスターにしてもまったく似合っていなかったと思うが、資金を貯めるためだった。
電話帳の広告の仕事では、会社を出るととりあえず喫茶店に立ち寄るのが習慣のようで、いつもの喫茶店に行って、他の人はモーニングセットとかを頼むのだけれど、どうしてもコーヒーくらいは頼まないといけないのが僕には辛かった。しかも毎日。朝は食べてゆくし、ここでお金を払ってコーヒーを頼むのはもったいなかった。何百円づつでも貯めたかった。インベーダーゲームや麻雀ゲームをしたりしていたようだったが、僕はガイドブックや紀行ものなどの本を読んで過ごした。
夕方からの喫茶店でのバイトは、そこのオーナーの妹が同級生で、どういう偶然だったか、たまたまバイトをしないかということになった。Aスタジオ時代の食事作りの腕が買われたわけではない。食べるものはレンジに入れればいいものしか出していなかったのだから。サイフォンでコーヒーを入れたことはなかったが、教えられるままやってみたら、兄さんオーナーからコーヒーの入れ方がうまい、センスがいいと褒められた。
家に帰ると深夜12時前で、それから風呂に入って寝て、目覚ましで起きてという生活がしばらく続いた。

旅費も問題だったが、フィルム代と現像代も大きかった。
で、わしはインドに行く前に考えた。
今回のコースの地図を拡大コピーしてのりで貼り合わせて、一畳くらいの大きな地図を作った。そしてルートを赤の色鉛筆で線を引き、立ち寄る主な都市を赤丸で囲ったり。それをFフィルムの何部に持って行ったか忘れたが、とにかくアポイントを入れてもっていった。宣伝部だったろうか、だとしてもどんなふうにアポを入れるのだろうか。今の僕には不思議だが、当時の僕はとにかく電話してあってもらう約束をとりつけた、のだろう。
打ち合わせテーブルで名刺交換の名刺がないので挨拶だけして名刺をいただいて、で、さっそく「じつはですね」ときりだした。慣れていないから切り出すタイミングというか、落語でいえばまくらというか、話し方すべてがぐちゃぐちゃだったろうと思うが、何はともあれと、力作の巨大な地図をテーブルからはみ出すほどに広げ、ピラミッドの頂上で記念写真を撮ること、そのために旅をすること、カメラマンになるためにスタジオで下積みをしていること、そして今、持ってゆくフィルムがいるのだということを言ったのだろう。旅の途中Fフィルムの宣伝をするとか、帰ってきて写真を使うときにはFフィルムのクレジットを入れるとか、いうようなこといったのだろうが、どのようなことを提案したのか全く覚えていない。今だったらどういう提案をするのだろうと思っても何も思いつかないから、20代の頃のこと、きっと筋の通らない訳のわからないことをいったのだろうと思う。それで、フィルムをくださいと言ったのだから思い返せば赤面ものだ。
たまたま対応してくださった方は45か50歳くらいのがっしりとした体格の方だった。
僕を見たり地図に目を落としたりしながらつきあってくれて、ひとしきり僕の「営業」が済むと、赤線の入った巨大な地図に目を落としたまま、
「いいねぇ・・・」
と独り言のように小さくつぶやいた。そして顔を上げて僕を正視して、
「いいねぇ、夢があって」
と、少し口元をゆるめていった。優しい目をしていると思った。
「その宣伝のことはどうでもいいけど、何本欲しいの?」
「300本・・・」
「300本ねえ。差し上げられるかどうかもわからないし、それに300本は厳しいかも知れないけど、いずれにしても2,3日うちに連絡するよ」
と。
帰り道、お願いする本数が多すぎたかなとも思ったが、多すぎるかどうかを決めるのは僕の問題ではなく、先様におまかせすることだ。僕にとって大事なことは、正直に思いを伝えること、それだけだし、それしかできないのだ。そう自分を納得させながら西麻布の交差点にむかって坂を下った。

その頃はAスタジオは元麻布にスタジオを新築して営業していたが、それまで借りていた雑魚寝マンションもそのまま借りていたので、社長の了解をもらってそのマンションに東京で「営業」しているちょっとの間居候させてもらっていた。
そこに3日後、Fフィルムのその方から電話があった。緊張して後輩から受話器を受け取ると、その方は100本やれることになったといった。35ミリのリバーサルフィルムを100本。少しくらっとしてしまったほど有り難かった。
どこの馬の骨ともわからない若造を門前払いしてもよかったものを、いろいろと手続きをとってわざわざそうしてくださった。Fフィルムにメリットがあるとか広告効果があるとかそういうことでは全くなくて、ただ夢を応援してくれたのだ。ピラミッドの頂上で記念写真を撮るなどというばからしいことや、カメラマンになるのだということを応援してくれたのだ。夢を応援してくれたのだ。
次の日約束の時間までにはだいぶ余裕をもってマンションを出て、Fフィルムのビルまで歩いていった。芋洗い坂を上って六本木の交差点にでる。そこから渋谷方向に六本木通りを西麻布の交差点までいって、そこを少し上ったところまで。六本木通りはスタジオマン当時よく通ったが、午前中のこの通りはいつもしらけた感じがしていた。でも今日はなにかが違って見える。
Fフィルムのそのフロアーにうかがうと、会社の紙袋に丁寧に入れて、ちゃんと用意がしてあった。おまけに胸に会社のロゴの入ったTシャツが2枚はいってあった。お世辞ではなくこのTシャツは丈夫だった。旅のあいだ1年間着続けて全体に薄くはなったものの結局破れなかった。密かにこれもとっても有り難かった。ピラミッドの頂上での記念写真でもこれを着て写った。と思う。

両手で紙袋のとってをにぎって、Fフィルムのその方に深く頭を下げてお礼を言った。
「身体に気をつけてね」
その方はそういって僕を旅に送り出してくれた。その方にはそれっきり会っていない。もう名前も顔もわからない。
こうして年を経て、その方がしてくださったことの意味を少しは味わえるようになって、感謝の気持ちはましてゆく。



追・沢木耕太郎『深夜特急』の1巻目2巻目は、1986.5に出版されたとあるので、この年の夏にインドからエジプトまでの旅に出かけたことになる。ちなみに、帰国はちょうど1年後になった。
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