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いくら番屋、その2 [旅のこと]

野付半島につけたのはラッキーだった。冷めたバイクはどうにか動きだし事なきを得た。
半島のとっつきまで行ってから少し引き返して、この辺りかと見当をつけて通ったところにバイクを停めて、カメラバッグと三脚をもって散策。乳白色のもやの中に白い朽ちた木が林立している。湖のように林の前に広がるのは、浸食してきた海水なのだろう。風もまだ眠ったままの風景が、浸食してきた海面に映される。白く朽ちた木々や枝がもやの中に突き刺さっている、確かにちょっと異様な風景。
そして、しばらくして朝のやさしい光の気配が漂いはじめると、風景はあっというまに表情を失ってしまった。この風景には、沈黙した冷たい光があうのだろうか。

腹がへっていた。野付半島は舗装道路が一本通っているだけで何もないのは来たときに見てわかっていた。とりあえず半島の付け根にある町まで行こうかなと。
一本道を走ると、通りすがり右手側に小屋が見えた。木造でだいぶ年代が経っている感じ、入り口の横にちらと蛇口が見えたから、すぐに小さくUターンした。開け放した戸口をのぞき込むようにして
「すいません・・・」と声をかける。
「すいません・・・」と、もういちど。
出てきたごつい身体の男の顔をまともに見ることもできず、
「すいません、水を少しもらえないでしょうか・・・」と。
「なにすんだ」
と怒ってはいないのだろうが、怒ったように聞く。
「あの、ラーメン作ろうと思って・・・」
ラーメンを作ることが、なにか犯罪を告白するような感じになってしまった。
一拍おいて、
「そんなもの食ってんな。ちょっとこっちにこい」
と、怒鳴ってはいないが、怒鳴るようにいう。ラーメンを食うことがいよいよ犯罪になってしまった、ようだ。中に入れといわれるままに敷居をまたぎ、小屋の端にある木の長いすの片隅に座らされた。裸電球が一個ぶら下がっていた。男たちが何人かいて、陽気にしゃべり、赤い光の中に屈託のない大きな笑い声が響いていた。日本酒の匂いがした。それから魚の匂いがした。ここは番屋なんだ。ちょうど漁からあがって、仲間と骨を休めているところなんだ。
そして、僕だけが小屋の片隅で小さく縮こまって、ベンチに座らされたままじっとしていた。しかられた子供のように居場所がないままにそこに放っておかれた。
しばらくして、男がどんぶりを持ってきて、
「くえ」
といって目の前につき出されたのは山盛りのいくら丼だった。どんぶりからこぼれそうなくらいに山盛りのぴちぴちしたいくらが、裸電球の光を反射して、一粒ひとつぶがきらきらと美しく輝いていた。驚きと申し訳ないようなきもちだった。お礼をちゃんと言っただろうか、どんぶりをもらい、いっしょに差し出された箸を手にして、いくらをこぼさないようにひとくち口に運ぶとすぐに、その一粒ひとつぶが口の中ではじけて、口の中いっぱいにそのうまみが広がった。
その一口で、どんぶりのいくらの輝きはにじんでしまい、よく見えなくなってしまった。たとえサファイヤの山盛りを出されたとしても、こんな気持ちにはならなかっただろう。
ご馳走になっている間も、みんなは僕のことを放っておいてくれた。鼻をかんだり眼を拭いたりしながら、もくもくといくらどんぶりを食って、そんな僕を一人にさせておいてくれた。

お礼にというわけでもないですけど、あとで送りますから皆さんで写真を撮りませんか、と近くの男の人にいったら、一番上らしい男の人に話が行き、よし、みんな外に出ろといって、ぞろぞろと小屋の前に出てきて、横一列にならんで立った。
腕を組んで笑いもしない。そう、この人たちは、おかしくもないのに笑ったり作り笑顔をしたりはしない、そういう人たちなのだなと思う。船の上では作り笑顔は役に立たない、身体を動かして自分の領分をこなすこと、仲間を気遣うこと、きっとそれが全てでそれでいいのだろうと、立っている男たちを見てそう思った。

半島の付け根のあたり、コンクリートの堤防の上に仰向けに寝ころんだ。夕べは徹夜だった。風もなく朝の優しい光が全身を包んでくれて暖かい。ああ、ごろ寝日和だ。うとうとと、ほんのつかのまの小春日和のひとねむり。バイク行で冷えた肩や首筋やそして全身が常温解凍されてゆくようだ。身体が暖かく満たされてゆく感じがしたのは、北海道にふりそそぐ優しい日差しのせいばかりではなかったと思う。

裸電球の薄暗い番屋を思い出す。ご馳走になったきらきらのいくら丼を思い出す。オタモイ岬のニシン御殿ではないけれど、月日は流れ万物は転変する。野付半島のいくら番屋は今もあるだろうか。男たちしかいなくて、酒と魚の匂いがして。はるか遠い道東の竜宮城になってしまったが。

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