SSブログ

写真展のこと1 〜帰っては来たものの〜 [カメラマンになる周辺など]

イエメンにはちょうど30歳の誕生日に発って、ビザの都合などで途中東アフリカに出国したりしながら、のべ1年と数ヶ月間イエメンに滞在して、その後ヨーロッパの数カ国とニューヨークをまわって帰国した。日本を出てからちょうど2年間の旅だった。
イエメンから帰って、ポジをファイルに入れはしたものの、僕はそれ以上のことをする気になれずにいた。自分が撮ってきた写真を直視できなかった。イエメンで一年間かけて撮ってきたものがいろんな意味でたったこれだけのものか、という事実に正面から向き合いたくはなかったのだと思う。
40冊くらいの厚手のポジファイルは積み重ねられたまま放っておかれた。

カメラマンにはなった、でも僕はどこへ進んでいったらいいのだろう。カメラマンになろうとしたときに、既にそこにはカメラマンとしての存在する目的があるはずだ、と僕は思っていた。自分自身が自覚しようがすまいが、伝えようとするものが先に自分自身の中に既にあるからこそ、この仕事をわざわざ選択するのに違いないのではないかと。
ただ、何を伝えたいのかわからない。自分がどこへいったらいいのかわからない。電車に乗ってどこかへ行こうとしても、駅の窓口まで行って、そこで行き先がわからずにうつむいてつったているような、そんな状態だった。
イエメンの写真を見たくなかったのは、自分自身本当はイエメンで自分の方向性をつかみたかったけれども、カールブッセの詩のように、山の向こうへ「幸」探しに行ったのと同じように、虚しく悲しい思いで帰ってきたとしか思えないでいたからだったと思う。
イエメンでの撮影旅行も、インドからエジプトまでのピラミッドの頂上をめざした旅行とおなじように、ただ自分の心のままに撮ろうと思っていた。しかし、時折「使える」写真を撮る自分もいた。自分が撮りたいと感じるものの中に、自分が伝えるべき仕事があると信じていたものの、当然といえば当然ながら写真を売ることを考えてもいて、そうしたものが、何かを見えなくさせたのだろうかと思ったりもした。

イエメンで撮ってきたものは、何かしら形にできる分だけは撮ってこようと思っていた。写真集でも写真展でも、スライド会でも、それはどういう形でもいとわなかったけれども、とにかくなにかしら形になる分は、必ず撮ってこようと。
イエメンに行く前にもそんなふうに形できる分は撮ろうと思っていたけれども、帰ってきてからは、どのようなものであれ、形にして免罪符にしようとしていた。自分自身納得できないのはわかっていながら、免罪符にしてそれでよしとしようとしていたように思う。違う言い方をすれば、何も得ずに帰ってきたのだということをごまかしたかった。そんな消極的な気持ちがいつしか大きく働いていた。

カメラメーカーやフィルムメーカーの無料の写真展会場を手当たり次第に調べてみた。もちろんどこも先着順などということはなく、ちゃんと審査やコンペがあって、その審査は毎月であったり3ヶ月に一度だったりしたが、それに合わせてファイルを作り、応募した。しかし、次々と落ちた。次々と落ちながら手を変え品を変え「イエメンの人と自然と」「アラビアに生きるイエメンの男たちと生活」「アラビア半島、人と自然と生活と」、こんなタイトルではなかったが、まあざっとこんな感じのタイトルで、写真をセレクトしなおしてはファイルして応募した。写真として撮られてあるものの現実は見たくないが、そのくせうぬぼれだけはあるという若い時代にありがちな生意気さがあって、「写真見る目がないよな、あいつら」などと人のせいにしていた。
今思い返しても、あちこちに応募したファイルには「何もなかった」。写真は写っているけれども、何もない。そんな虚しいファイルを応募しては人に見せていた。

ドイフォトプラザに引っかかったのはどうしてだったろうか。
今はなくなってしまったが、カメラのドイという量販店が渋谷東京電力のテプコプラザに行くちょっと手前にあった。その7階だったかがプロ向けの現像・プリントを受けつけるカウンター、そして、ドイフォトプラザという写真展用の無料の会場があった。そこにひっかかった。※こうした催し物としては最悪の8月、その一週目の週だった。人は、夏休みの旅行に出かけているか、暑いのでどこにも行きたがらないかのどちらか。こうしたものには足の向かない時期。そんな時期だったからどうしても埋まりきらずにいたのかもしれない。
時期はよくなかったが、このドイフォトプラザの空間はよかった。黒い壁で、トランプよりも少し縦長の一つの空間だった。
『写真へのメッセージ』※※という本の中で「写真展」ということにも触れていて、僕が覚えているところでは「写真展というのは、一枚一枚の写真を見る場ではなく、展示されている写真全体のエネルギーを感じる空間」僕なりに意訳されているかも知れないが、だいたいそういうようなことをいっていた。写真展によっては、細長い通路をぐるぐると巡ってゆくようなこともあるけれども、それは、展示の意図が違っていればそういうことももちろんありだし、前者が正しいというものではないと思う。ただ、僕が今回作りたいと意図するところの写真展の場、としては最適だったと今でも思う。

適当なタイトルの中身のないファイルでとりあえず場所と時間を確保したものの、係の人に相談して、イエメンの写真でという枠組みの中で、タイトルも写真も初めから組み直すことにさせてもらった。納得のいくものにはなりそうに思えなかったが、でもやってみるしかなかった。とにかくやってみるしかなかった。やれるだけやってみるしかなかった。自分にとってはやっぱり大事なことだったから。
あらためて写真展というものに向き合うことになった。





※写真展「イエメンの顔貌」
1997年7月31日から8月5日
渋谷、ドイフォトプラザにて開催

※※『写真へのメッセージ』井岡耀毅・著    ロラン・バルトの『明るい部屋』やスーザン・ソンタグの『写真論』は全くといっていいほど理解できないけれども、この写真論・写真への思いは、平易な言葉で丁寧に著者のこころを伝えようとしていて、多少なりとも理解できたし、少なからず共感できた。それに、土門拳の『写真批評』や『写真作法』のように大上段にかまえていないところも個人的には好きだ。
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。