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写真展のこと2 〜セレクトとはいうけれど〜 [カメラマンになる周辺など]

実際に展示する写真をセレクトし始めると、収拾がつかなかった。
イエメンの風景と人物とそれに食べ物や分類不能なものまであって、あれもだしたい、これも発表したいととりとめのないものになっていた。それでもどうにかして納得のいく写真展にしたかった。

ポジ(スライド)のままではイメージがよくつかめないから、気になった写真はとりあえずキャビネに伸ばして、それを毎日毎晩畳の上にとにかく広げては、右へ置いたり左へやったりして。またポジフィルムにルーペを当ててこの写真はどうかとひっぱりだしたり。そしてまた写真を広げて、これでもないあれでもないと悩み、途方に暮れていた。
どの一枚にもその時の思い出があって「ああこのときは・・・」と、はかどらない引っ越しのようなもので、自分の思い出の世界へと入っていったりした。そして振り出しに戻っては、自分はいったい何をやっているんだろうと思い。

そんな作業を続けながら、僕は疲れた。そもそも納得のいく写真などはないのだ、写真展なんかをするのは所詮無理なのだとも思った。
そしてまた気がつくと、改札口できっぷを買えずにつったっている自分がいた。自分の行き先がわからない。
セレクト(選択)とはいうものの、何かを捨てないと始まらなかった。捨ててゆく作業だった。考えてみれば当たり前だが、何らかの意図に従って一枚一枚を外してゆく作業だった。もっともそうして一枚一枚外してゆけるのならそう苦労はしないのだった。
自分自身の意図がわからない。自分のことなのに本当はどうしたいのかがわからない。

必要な物と不要なものと、それから、あったら便利なもの。僕の身の回りには、僕にとってなければ絶対に困るというわけではないがあったら便利なものが満ちあふれていると思う。あったら便利なもの、それらが欲をそそる。必要な物、僕にはそれほど多くはないように感じる。もちろん、不要だけれどもどうしても欲しいとか、役に立つわけではないけれど気になってしょうがないとか、人それぞれで選択すればいいだけで、僕にだってそんながらくたのように見えるものがたくさんある。
セレクト。がらくたというわけでもないが、捨てられないのだ。
たとえば一軒家から四畳半に引っ越すのに似ていて、とにかく本当に必要な物しかもってゆけないし、何か一貫したものがないと収拾がつかない。これも必要だといってもしかたがない。入らないのだから。本当に大事にしたいもの必要なもの以外は、人にやるか捨てるかリサイクルショップへどうぞ。自分の大事にしたい思い出の品々もあるだろうし、それに、自分はこんな生き方をしてゆきたいから、何が必要で何が不要かということを考えなければならないのだろうと思う。
あったらいいと思うもの、それを一つひとつ手放してゆかないと何が本当に必要かわからないのだろうと思う。それほどに僕は不器用だったし。

そうやって自分が手間暇とお金をかけて撮ってきた写真を、捨てる。
愛着や思い入れいっぱいの記念の品々は四畳半の部屋に引っ越すには、ほとんど何も持ち込めない。写真の一枚一枚に愛着を持つのは大切だけれども、だからといって、愛着の度合いで写真を選択してはいけない。四畳半は記念の品々だけでは生活できない。四畳半に持ち込むものは自分の生き方に直接関わるから。
その時は時間制限のある一本勝負で、無我夢中で毎晩イエメンの写真をみていただけだ。畳の上にキャビネを何十枚もひろげて、ああでもないこうでもないと、夜遅くまで繰り返していただけだ。何も選択できないまま、何も変わらないままの作業を続けただけだった。

ある夜ふと気がつくと、イエメンの男たちのアップの写真が僕のまわりを僕を取り囲んでいた。105ミリのレンズを繰り出して撮った男たちの視線と皺。厳しい視線や優しい視線の数々。撮らせてもらうときに本当に怖かったベドウィンの男。彼の視線さえもが心の奥にしまった何か優しいものをみせていた。それらの視線の波動を全身で受けながら、胸のあたりがきゅうっと締めつけられるような感じがしていた。そして、僕がイエメンに行ったのはこの人たちに会うためだったのだなと、なにか強く感じさせられるものがあった。そして、僕が伝えたいこと、探していたものはこの視線の一つ一つに潜んでいて、この一人ひとりが教えてくれた。
伝えたいことは、既に写真の中にあって、自分が撮った写真が僕に教えてくれたのだ。山のあなたの幸はもっと遠くだといわれたけれども、僕が探していたものは、青い鳥のようにすぐ目の前にあった。毎日毎日見ていたものの中に探していたものがあった。ケツァールは僕の右肩に知らん顔してとまっていた。僕が気づかなかっただけなのだ。
写真の彼らは、僕が気づくまで、じっと辛抱強く僕を見守っていてくれたのだと思った。あれから何年も放り出されたままだったのに、我慢強く僕を見捨てることなく僕が気づくのを待っていてくれたのだ。

イエメンで初めて老人に声をかけて写真を撮らせてもらったときのことを思い出す。
早朝だった。まだ店も開いていないスーク(市場)の中。何を待っていたのだろうか、老人が足を抱えて店の前の石の上に座っていた。僕はその顔を見た瞬間、撮りたいという衝動にかられた。でも気圧されるものがあって撮らせてもらうには勇気がいった。逃げ出す理由はいくつもあった。言葉ができないから、こんな人にはまた出会うだろうから、失礼かも知れないから、・・・。
でも僕はカメラを出して、老人に撮っていいかと言葉ではなく聞いた。少しも表情を変えることなく小さく肯いた。数コマ撮らせてもらって、胸に手を当てて感謝して別れた。それだけのことなのに、僕の胸はばくばくと高鳴っていた。30歳になったばかりことだった。

僕はその顔と視線とに対峙しながら新たに作業を続けた。


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