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ピラミッドにたどり着き <2> [旅のこと]

カイロの街はとっぷりと暮れながらも、街灯もヘッドライトも店の明かりも煌々と輝き、街全体がいつものようにざわついていた。ギザはカイロまでの通勤圏内のようで、ギザへ向かう終バスの乗客たちも、遅くまで勤めた人たちでそれなりに込んでいた。
どちらから話しかけたということもなかったが、隣に乗り合わせた仕事帰りの青年と話しが盛り上がり、もちろんこれからピラミッドに登るということも話した。彼がそれじゃあうちに来てお茶を飲んでたらいいと誘ってくれた。それをありがたく受けて寄せてもらった。
磁器のティーサーバーいっぱいに入れた紅茶とクッキーを出してくれて、彼は彼で帰宅後のこまごまとした用事をしながら、話しの続きなどをしてすごした。彼は仕事帰りで、しかも明日もあるだろうに本当にありがたかった。
2時だったろうか、2時半くらいだったろうか。彼の部屋の掛け時計を見てそろそろだなと思ったような気もするが、覚えてはいない。彼の家を出た。

ぽつんぽつんと間隔の広い街灯があったが、それも途中でなくなり、ピラミッドの近くに行くと、夜の闇の中に、真っ黒く巨大な三角形のさらに深い闇があるのがわかった。
わずかに手元が見えるだけの漆黒。
ピラミッドの石は夜の空気に冷たく冷えていた。はじめの2段3段は石が大きくどっこいしょと踏ん張って上がらなければならないくらいの大きさだというのも下見してわかっていた。とにかく注意して一段一段慎重に登ればいい。急ぐことはない。
手元の石だけがわずかにわかるだけ。手を這わせ足を次の一段にかけ、そしてその石でいいのかどうか、足で確かめて、そしてまた一歩と登った。下も上も闇の中で何も見えない。
どのくらいの時間がかかったのかわからない。時間を計っておこうとは思いもつかなかった。思っていたよりもあっという間だったのかも知れないし、長い時間が過ぎたのかもしれない。
たどり着いた頂上はだいぶ広さがあるようだった。正確にはその上にもう一段あったのだが、そこにはもともとの高さを示すためのものだろう、丸太でやぐらが組まれて、その丸太がじゃまをして、どうも塩梅がよくなかったから、それにはこだわらなかった。

東の空低く、カミソリで裂いたような細く白い月が輝いていた。その下にはギザの街の青白い街灯がつつましく並んでいた。
僕はあの朝やけを忘れないだろ。
静かに静かに漆黒から群青に、青紫に、天空全体が、たとえば新しい生命の胎動が始まるかのように、そのグラデーション全体がダイナミックに動き色を変えてゆく。巨大なカンバスとなって、ゆっくりと塗り替えられてゆく。
細い絵筆でオレンジ色が南北にすうっとひかれ、そしてさらに鮮やかな黄色い線が地平線に沿うようにひかれ、そしてガラスペンで純白の直線がすぅーっと伸びたあと、朝がその隙間から産声を上げる。宇宙と地球のコラボレーション、今日という新しい命が生まれる瞬間。
美しいと思った。
そして、僕はこうして旅をしてくることができたことを、今こうしてピラミッドの頂上にいることができることを、何か大きなものに感謝した。

もう少し明るくなるのを待って、僕は釣り竿の先に結んだひもに、はずしておいたカメラのストラップを結びなおす。今度は折れたり落ちたりしないように、しっかりと。
釣り竿にぶら下げた一眼レフのカメラは意外と重い。セルフタイマーをセットし、カメラをゆっくり放つと、カメラはとんでもない方を向き、それを調整しようとしている間にシャッターが切れる。なかなかちゃんとこっちを向いてはくれない。あっちを向いたりこっちを向いたり、具合が悪いのを直そうとして手を伸ばしてカメラを押さえようとした瞬間にシャッターが切れたりした。
セルフタイマーをセットして、朝が白んでゆくのに合わせて露出を変えてということを延々と繰り返し、結局モノクロを1本、リバーサル(スライド用のフィルム)を1本、合わせて2本撮影した。

思い起こせばどれくらい前のことになるのだろう。N澤さんの車の撮影の仕事で地方に泊まり込んでいた。ビジネスホテルのベッドに疲れて倒れ込み、そしてふと「ピラミッドの頂上で記念写真を撮ったら爽快だろうな」と思った。それが始まりで、そしてこうして旅をしてきた。そのときの思いが、完結した。ちなみに爽快だったかというと、そういう感じよりも、むしろ、やれやれという感じだったが。

「だからどうした」といわれそうなどうでもいいようなことを自分で決めて自分でやって、それで「やれやれ」で終わったのでは世話がない。でも、僕にとってはこうして、だからどうしたといわれてしまうようなことでも、完結したとこと自体にひとつの意味があったのかもしれない。そして一回一回の完結したときのその体験や感情が、何かを自分の心に植えてゆくのかもしれない。明日の自分の何かを育むのかもしれない。
何かが終わったことは何かが始まることであり、この旅の終わりは新しい旅の始まりであり、ピラミッドの頂上は何かの出発点なのだろう。
何かが完結したということは何かが芽を出して、これから何かが育ってゆく兆しなのかもしれない。
もちろん、そんな事々は後日思ったことだが。

往々にして物事はそうなのだろうと思うが、アイディアを実現するには、段取りをとって、なんだかんだと準備して、障害がつきものでそれを一つひとつクリヤーして、ということに手間やエネルギーがかかるけれども、実際にそれを実行することなどはあっという間なのだろう。
あっという間に撮影は終わった。

行きはよいよい、とはよく言ったものだ。ピラミッド、降りるのは怖かった。本当に怖かった。ピラミッドの上に行くにつれて積まれている石が小さくなってゆくから、そうすると足をかける幅も狭く、なによりも、垂直かと思うほどの急斜面。踏み外せば、地上まで転げ落ちるということ。
ピラミッドの斜面にはいつくばるようにして降りた。降りるときの方が、足場が見えにくいのに、そのくせ遙か遠くの地面が見えるから恐怖心が増す。
カラカラカラと乾いた音をたててピラミッドのかけらが落ちていったのは反対斜面だった。太陽と風で風化して小石となり、音さえも途中で聞こえなくなって地上へ帰っていったのだろう。自分が手をかけている方の斜面は崩れ落ちる感じはない。「ピラミッドの登り方」を教えてもらっていて命拾いしたと心から思った。

途中から見えたが、降りるとお約束通りに係の人がまっていた。ポケットに分けて入れておいた小銭ばかりの袖の下を渡した。
すっかりいつもの朝になっていた。
登ることはもとより、二度とピラミッドを見ることはないかもしれない。しかし、あのピラミッドの頂上から見た静謐としたギザの街の夜景を忘れないだろうし、あの朝やけの美しさを忘れることはないだろうと思う。





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