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迷子になった話 [田舎のこと・母のこと]

小学2年生の夏休みだった。東京のおじさんのところに家族で遊びに行った。東京のおじさんの家は、当時は品川の中延にあったから、中延のおじさんと呼んだりもしていた。
その朝僕はいつもよりも早く目が覚めた。ひとりで町を散歩したい気分になった。それは散歩のつもりだったが、散歩ではすまず、ちょっとした旅になることになった。
僕は家にいた大人の誰かにちょっと散歩に行ってきますといって玄関を出た。玄関前の路地に出ると、まず振り向いてその家のようすを見て覚えて、右だか左だかにいった。小学2年生とは思えないしっかりした行動だったと我ながら思う。
外に出たときの空気には日曜の朝のゆったりしたような雰囲気があったから、その日は日曜日だったのだろうと思う。僕は角を曲がるたびごとにここを右とかと覚えていったから、そのままちゃんと中延のおじさんのところまで帰ることができるはずだった。僕はしばらくここをこっちに曲がって、ここはこっちに曲がって、と確かに覚えていた、つもりだった。
帰ろうと思ったときに不安がよぎったのか、不安がよぎったので帰ろうと思ったのか。帰ろうとしたときには全くわからなくなっていた。ひとつ手前角、今曲がったところまで戻っても、その風景はすでに見覚えがなく、ここがどこなのかわからない。当時の品川区中延は住宅街で、曲がっても曲がっても同じように区画されたブロックの中に、似たような住宅だけだったから、曲がるたびにますますわからなくなってしまったのだった。それでもぼくはまだ泣かなかったと思う。
歩いてゆくうちに、今思えばたぶん大きな国道に出たのだろう。そこを渡ってはいけないと子供ながらに思った。こんな大きな道は渡らなかったから。国道手前側沿いを歩いた。そして、ガラス窓越しに何人かの女性が仕事を始めようとしているのが見えた。印象としては個人経営の小さな縫製工場のような気がする。しかし、そういうところなら日曜日は休みのような気もするが、わからない。そこのドアをあけて、出てきてくれた緑の服を着た女性に泣きながら迷子になったことをいった。その方がとても親切にしてくれて、どうしたらいいものか彼女なりにいろいろと考えて、帰ることができるためのことを聞き出してくれたのだろうと思う。山形の実家の電話番号を覚えていたので、そこに電話をしてくれた。幸い一足先に帰っていた母が出たのだろう、そこから中延のおじさんのところに連絡が取れた。出してくれた椅子に座ってしばらく待つと、おばさんだったと思うが、手に菓子折をぶらさげて迎えに来てくれた。
中延のおじさんの家まで連れて帰ってもらうと、なんだかとても近かった。迎えに来るまで時間がかかったのは、菓子折を買いに行ったためだったのだろう。
中延のおじさんの家のまえで、ちゃんと覚えたはずだったのにと思い、改めて中延のおじさんの家のそのたたずまいを見ると、こんな家だったっかな、と思った。所詮はな垂れ小僧のいい加減さだった。

海外をひとり旅するようになって、旅の醍醐味は途方に暮れることだと僕は思う。夕焼けの赤い色も群青に落ち始めそれでも帰り道がわからない、あのときの感じ。真夜中に終点に着いたバスをおろされて、他の乗客はみんな帰るところがあるのに、僕だけはどこへ行ったらいいのかわからずに、あてもなく方向もわからずに真っ暗な町をうろうろとHOTELの看板を探し歩いた夜。途方に暮れているそのときにはまさか思えないが、振りかえると、何とも妙に味わい深い時間だった。旅をして人に出会い、土地のものを食べ、初めてのものを見て、どれもこれも素敵なことだと思うが、僕には途方に暮れたときのあの感じがたまらない。
当時はそんなことなどつゆとも思いもしなかったが、小学2年生から旅の醍醐味を味わっていた、ことになる。もしかしたら僕のどこか深いところでは、あのときの感じを味わいたいと思って旅をするのかも知れない。

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