SSブログ

卒業の頃に・・・(2)じゃあ、おれも [学生の頃のこと]

大学4年になった春、教育学部にはいたものの、僕は教員にはならないと決めていた。結果的にはそう断定的にも言えないかも知れないが、そのつもりでいたことは間違いない。
だからといって、どうしたらいいものかは、相変わらず模索中だった。今頃になってまで模索などと言っている場合じゃなかったが、しかし、どうしたらフリーのカメラマンになれるのかというのが全くわからないまま、実際模索中だった。与作なら木を切るという明確な仕事があったが、モサクは始末が悪かった。思い返せば、大学の4年間は結局たとえばそんな模索というような言葉でくくられるような時間をずっと過ごしたことになるのだろう。

春先、教員採用試験の出願の時期だった。みんなはどこの県とどこの県を受ける、というような話しになっていた。北海道以外から来ている学生は、北海道と地元の県と、人によっては地元の近県も受けたりしていたようだ。僕は我が道を行くというよりも、模索といえばまだ少しは聞こえはいいが、危機意識もなく過ごしていた。

僕がいた頃は、北海道の採用試験は教員を志望していれば出身が北海道の内外をとわず、必ずと言っていいほど受験していたので、一番大きな講義室を使って、進路指導を担当している大学の事務員が受験者全員まとめてガイダンスをしていた。
その時間どうやってヒマをつぶそうかと思っていると、同級生がつぎつぎと研究室からいなくなってゆき、授業ならだれかしらがどこかでヒマにしていそうなものだが、どこにも誰もいなくなってゆく様相。ちょっと寂しいので、僕も講義室に冷やかしに行って、友達見つけて隣でべちゃべちゃ冷やかしていようと思った。30年前のことになるが、それでも今こうして書いていて、若かったとはいえ不謹慎だったと思う。しかし、その時はそうだった。冷やかし、暇つぶし、言葉を探してみても、結局はそんな言葉になってしまう。

係の事務員は事務的に人数分の受験書類を配って歩く。
3人掛けの机に、同じ研究室のMとTと僕がたまたま並んで座った。マイクを持った事務員の説明を聞きながら、ふたりとも配られた用紙に真剣に書き込みをはじめる。真剣に。MとTは、そして全員が自分の人生の新たなステップへのための大切な作業をしている。僕以外は。出るわけにもへらへらしているわけにもいかず、一緒に同じようにしていないと体裁が悪すぎた。

出願用紙には受験する学校の種類(小・中・高校)を選択する欄があった。
岐阜出身のTが北海道出身のMに何で受験するか聞いた。
「おれは高校で受ける」
といった。Tはちょっと考えた様子で、
「おれもそうしようかな・・・」
とボールペンを握りながら言った。Tも決めてはいたのだろう。
で、僕は
「じゃあ、おれも」
その時は、本当に受験するつもりはなかった。小学校の免許は取らなかったからさすがに記入できないものの、中学校でも高校でもよかった。事務員が機械的に用紙を配って回収するというのに乗って、願書を出しただけだった。ただだし。どっちみち受験しないし。それはそれでもう終わりだと思ってやったことだった。
教室を出るときにはべたっとする汗をかいていた。居心地の悪い時間を過ごしなと思う。そして、何かいやな感じを引きずりながらそこを出た。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。