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卒業の頃に・・・(3)道新スポーツ [学生の頃のこと]

そんなことがあってからしばらくして、北海道新聞社が「道新スポーツ」という「家庭で読めるスポーツ新聞」を新刊するのでスタッフ募集、という募集広告を見つけた。これには、営業や記者そしてカメラマンも含めて様々な職種の募集があった。僕はそれを見た瞬間「これぞオレに与えられた仕事だ」と思った。正確に言えば、・・・と勘違いした。踊る胸の内、妄想ふくらむ頭の中では、「藁」は板きれどころかエンジンの付いた救助艇になって、僕の方へ向かってきたのだ。来るべくして今僕の為に救助艇は向かって来るのだった。
入社志望動機を原稿用紙2枚に書いて提出しなければならなかったから、推敲しては同級生の女の子に読んでもらい、そしてまた推敲して推敲して原稿用紙にまとめ、それから、初めて書いた履歴書、それらを封筒に入れ書留で札幌の本社のしかじかのところへ郵送した。
あとになって思えば、新聞社としては「即戦力」が欲しかったわけで、大学生の僕なんかは論外で全くお呼びではなかった。しかし、勘違いも甚だしいというか、藁にすがる気持ちというか、世の中を知らないというのは恐ろしいというか。そして、ずうずうしいことには、本気で「オレが」採用されるつもりでいた。

「道新スポーツ」の面接試験は札幌でおこなわれることになっていて、それに行く何日か前には、札幌に行くためのものをと、釧路の駅前の大通りまで買い物にいった。といっても、結局は普段履くことのない黒い靴下を新調しただけだった。
特急「おおぞら」に乗って久しぶりに札幌に行くと思うと、緊張と共に何かしらみなぎるものがあった。
そんな思いでアパートに帰ると、北海道新聞社から封書が届いていた。要はこうだ、書類選考で不採用です。※
新品の黒い靴下を目の前にして力が抜けた。「カメラマンとしての僕」「カメラマンへの道」を「足きり」されたという行き場のない思い。そして、全身から気力が抜けていった。夢はただの夢でしかなかったんだというむなしさ。新品の黒い靴下が一足、夢が消えていったその事実として目の前に残っていた。

全身からすーっと気が抜けてゆきながら、その傍ら、自分のどこかでこんな言葉がよぎった「教員にしかなれないのかな」と。こうして時間が経った今でも、このことを思い出して書いていると、そう思った大学生の自分に対していやな感じがしてくる。小生意気で不愉快な若造をみるような、そんな感じの。しかし、その時は確かにそう思った。田舎の教育学部、北海道庁や、市役所に勤めた先輩はいたものの、ほとんどが教員になっていったのを見ていたからでもあったろうし、民間企業からの就職の募集など皆無に等しいのを知っていたし。










※確かに札幌に行くほんの数日前にその通知は来た。面接に関してどのようなことになっていたのか、どういういきさつだったのか思い出せない。採用の募集から面接まで日程の余裕がなかったように思うので、先方としても手続きに余裕がなくぎりぎりになったのかも知れない。

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