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住宅展示場にて [カメラマンになる周辺など]

家を買いに行ったわけではない。
仕事でとある住宅展示場に撮影にいった。住宅メーカーの仕事ではなく、住宅を展示している会場を運営している会社の仕事で、新聞のチラシ用に、様々なメーカーの住宅が見本で建ち並びそしてそれがあたかも素敵な新興住宅街のようになっている、そんな風景を撮影するものだった。
お客さんの少ない平日の撮影だったが、それでも撮影中に何組みかのカップルがその展示場に来て、「街を散歩しながら」いろんな住宅メーカーの家を見て歩いていた。気になったところで、そのメーカーの営業マンなりに話を聞いたりするのだろう。そして、話しがすすめばご成約ということになるわけだ。
撮影が終わり、出されたお茶をすすりながら、住宅展示場の担当の方としばし世間話になった。こういう撮影は多いのかとか、どの家が気に入ったかとか、今どき住宅はいくらするものなのか、そんな四方山な話になった。
そんななかで、50代も半ばを超え定年が遠からぬ担当の方はこんなことをいった。
「・・・お客さんたちは、どうも家を見てないんだよな。」
「???。家を買いに来て、家を見ないんですか?」
「どうもそんな気がするんだよなぁ。家を見てない気がするんだよなぁ」
「何を見に来てるんでしょうかね?・・・」
「・・・どうも営業マンを見てる気がするんだよなぁ。どうもそこなんだよなぁ・・・」
と。家を見ないで家を買う、人というのはそういうものか、と思った。

その担当の方はいろいろな住宅メーカーと組んで、一緒になって家を売るということをしてきた。いろんな住宅メーカーの「内側から一緒になって」家を売るということをしてきた訳だから、住宅メーカーの体質の違いや、さまざまな営業マンを何十年にもわたって、ひょっとしたら何百人かの営業マンを見てきたのだろうと思う。
もし彼の言うとおりだとしたら、生涯の大きな買い物を営業マンで決めるとしたら、営業マンの何で、何を見て、何を感じて、たぶん一回きりだろう大きな買い物の決断をするのだろうか。僕は営業マンではないけれども、営業にも足を運ぶことを思うと他人ごとではなく興味深いものがあった。


こんなだいぶ前の話を思い出したのは、先の「なぜ『所得倍増計画』は達成されたのか」を書いているときだった。
書きながら当然その頃の自分自身を振り返ってみることになる。僕は何を考えて生きていたのだろうかと、あるいは自分の在りようはどうだったのだろうかと。
自分のことは見えないものだからわからないけれども、きっと、飢えた痩せ犬のようにもの欲しそうな目をしながら、見境なしに「仕事くれ、仕事くれ」と吠えていたのだろう。周りが視界に入らず自分自身の腹を満たす餌を探すためだけに突っ走っていたのだろう。振りかえるとそんなふうに思えるところもある。
ある意味では、最初の一年はそれでいいのだろう。とにかくがむしゃらに、ただそれでいいのかもしれない。しかし、それが何年にもわたって続けば習い性となり、何か本来の思いからは大きく離れてゆくのかもしれない。
独立した頃にこんなことを思った。3年間は写真を撮る仕事ならどんなことでもしよう。それは、お金が必要だし、写真は撮り続けてゆかないと腕は上がらないし、人間関係を広げてゆかなければならないし。
「3年間は・・・」と思ったその裏には、「3年経ったならば・・・」という思いがいつもあった。その時には、3年経ったらどうしようという具体的な構想は全く何もなかったけれども、それでも焦りにも似たそうした思いが沸々としていた。

仕事帰りの車の中だったりで、親しくなった編集者に、何度か全く同じようにこんなことを言われたことがある
「すとうさんは、営業が下手ですよね〜」(カッコワライ)
「そうですか・・・」(カッコニガワライ)
仕事の発注先の人に営業ベタといわれるのは、ちょっと嬉しいところもあるが、それはさておき、営業ベタを補って余りある凄い写真を撮るので仕事を発注しているとでもいうのだろうか。まさか。
カメラマンとして独立した2年目の春に所得倍増計画をたて、額の大小はさておき、まがりなりにも実現した。ただ単に人間関係が広くなったからとか、がむしゃらに頑張ったからというのではなく、自分の中の何かが変わっていった結果としてそうだったのであれば、それはとても嬉しいことだったとは思うが、実際どうだったかはわからない。どうしてこんなふうに生かしてもらえたのか、わからない。
よく売れる営業マンの方々から「家の売り方」を学びたいものだが、今からでは遅きに失するだな。


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