SSブログ

写真の原体験、あるいはレッスンの始まり [カメラマンになる周辺など]

幼稚園に通っていた頃、近所の同じ歳のTくんの家によく遊びに行っていた。今時なら危ないからとすぐに御法度になりそうだが、家の中では折り紙の手裏剣ごっこをしたりして遊んだのを覚えている。手裏剣だから友達をめがけて子供ながら真剣に当てようとする。投げつけあったりもしたが、あるときは手裏剣を受ける方がビニールの刀を持ってそれを受けたりした。いちどきりだが、投げつけられた手裏剣を刀で振り払って受けたことがあって(もちろんまぐれで)、その時はTくんも僕も「おー!!!」と感嘆をもらした。

Tくんの家は、ごく普通の二階建てだったが、ちょっとした広さの庭と、たぶん家庭菜園の畑とがあった。Tくんの両親が教育熱心だったからだろうと思うが、庭のはずれの日陰に手作りの鉄棒があった。隣の家の裏手にあたるのと、かえでの木があったのとで、そこでは日中でも暑くなることなく遊ぶことができた。
夏の日だったと思う。
僕は逆上がりもできないから、鉄棒で遊ぶのはあまり好きではなかったし、何をして遊んだのかも覚えてはいないが、子供のことだから何かしら適当なことをして遊んでいたのだろう。
しばらくして、Tくんのお母さんが帰ってきた。僕らの姿を見かけると、
「あら、なおとしくん来ったんがぁ。んじゃ、一緒に写真でも撮っかぁ」
と僕たちに声をかけてそのまま家に入って、まもなく小さなカメラを持って戻ってきた。
Tくんと僕は鉄棒の前に並んで立たされた。
Tくんのお母さんが小さなカメラを持って僕らを撮る姿を、僕は限りない不思議な思いと静かな興奮で見ていたのを覚えている。カメラというものを。写真を撮るということを。きっとぽっかりと口を開けて呆けたように見ていたことだろうと思う。
もちろんカメラというものを知ってはいたし、それ以前に写真を撮られたこともあるはずだった。けれども、それ以前の写真を撮られた記憶はなく、このときがカメラというもので写真を撮られるということの初めての「体験」になった。

その頃に出会ったものは、人生を大きく左右するのかもしれない。母の胎内にいるときから愛との関わりは始まり、愛についてのレッスンが始まる。しかし、ひょっとしたらこの時期に自分自身に内在するものと取り巻くものとの出合いから興味というものが芽生え始める、あるいは自己実現のレッスンが始まる頃なのかも知れないとも思う。
もしそうだとすると、芸能の世界で6歳の6月6日に芸を覚え始めるとよいなどといわれるが、あながちいい加減なことでもなく、それなりに理屈がつくのかも知れない。

興味というのは一粒の種にたとえれば聞こえはいいが、どちらかというと白癬菌のようなもので、洗って落ちるようなものではなく、体の中にしみ込んでしまっているものなのだろう。
小学校の2年生のころだったろうか、あの小さなカメラと同じようなものを、お小遣いをためてプラモデルなどを売っている店で買った。その小さなカメラは8ミリ幅のロールフィルムを使っていて、つまり普通のフィルムのようにパトローネという缶に入っているのではなく、遮光用の黒紙とフィルムが一緒に軸に巻いてあるのを使っていた。
そして、レンズは五円玉の穴ほどの凸型の一個のガラス玉。F/11だったろうかF/16だったろうか書いてあったが、そんな表示も実際にはてきとうに書いたものだったろうと思う。いずれにしても、晴天の屋外でならひょっとしたら写ることがあるかもしれないといった程度のものだった。そんなものではあったが、それは模型ではあったかもしれないがおもちゃではなく、カメラに違いなかった。僕の大事な大事な最初のカメラになった。

あのときTくんと一緒に撮ってもらった写真、あのような条件だったらきっと僕たちの形さえ写ってはいなかったはずだ。でも、僕の心には生涯にわたってはっきりと残るほど強烈に焼き付けられたものがあった。生涯つきあうことになる原体験が生まれた。
手裏剣の方に興味がいっていたら今時忍者になるわけにもいかないだろうから、スパイにでもなっていたのだろうか。全く想像がつかないが殺され役だったな、きっと。






Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。