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大学受験ラジオ講座の時代 [学生の頃のこと]

僕はセンター試験の前身、共通一次試験の一期だった。
今となってはセンター試験は当たり前のことになって、そして前期後期とチャンスも増えてるようだが、当時は、つまり僕の前の年までは、国立大学がそれぞれ一回の試験をして、合否を決める入試だった。
そこに国立志望の学生は、全員が共通の一次試験を受けるという革命的な制度が取り入れられた。だから、受験生も高校の先生も勝手がわからすに、試行錯誤的に受験対策をしている時代だった。いちばん勝手がよくわかっていたのはきっと予備校の先生だったろう。暗中模索・試行錯誤といえば聞こえはいいが、ある意味どさくさの時代だった。
大学受験勉強をしていたその頃、今はなき「大学受験ラジオ講座」を一応聞いていた。テーマソングの「大学祝典序曲」で始まるあの番組。懐かしい!と思った人はみんないい歳だ。
競馬中継を聞くために作られたのだろうラジオ短波の固定周波数のラジオで聞いていた。夜の11時半から12時半まで。聞いていたとはいっても、半分以上は聞かないでさぼったし、聞いたうちの半分は睡眠学習だったが・・・。不思議なもので、講座が始まると睡魔が襲ってきて、テキストに顔ごと埋めていることが多かった。そして、講座の終わりになると決まって目が覚めた。
聞いていた中で、数Ⅰ担当でカツヤマステゾウ先生とおっしゃる方がいた。当時でたぶん70歳くらいだったのではないかと思うが、僕はこの先生が好きだった。それは解りやすいからではなくて、ただただ熱い30分だったからだ。どうしてだろうか不思議と勇気が湧いてくる熱い数Ⅰだった。
その先生が、12月の末その年の講座の最後の回にこんな歌を歌った。

げに我らこそ荒波を 渡る小舟に似たらずや
今宵つながん島もなく 漂うままにさまよえば
正しき道を進めよと みなれ竿とる友ごころ

歌謡曲などでも歌詞をちゃんと覚えることはほとんどできないのだが、この歌詞はどうしてかよく覚えている。
北海道の教育大学を受けたのだが、二次試験は現国・小論文・数学Ⅰが「すべての専攻共通」でこの3科目だった。教員になろうというのだから現国・小論文は理にかなうといえるだろうけれども、小学校の先生になりたい人も中学校の英語の先生になりたい人も美術の先生になりたい人も、幼稚園課程もあったから幼稚園の先生になりたい人も二次試験で「数学Ⅰ」を受けなければならなかった。受け入れる大学側も訳がわからないでいたのだと思う。
僕自身も高校では理系にいて国語科を志望したというのだから訳がわからないが、まあとにかくどさくさまぎれ、まさにそんな感じで大学にもぐり込んだ。

大学受験も終盤の季節なのだろう、ラジオでは受験生の悲喜が投稿されたのを流していた。そんなことを聞きながら大学受験ラジオ講座を思い出したのだろう。
手塚治虫の「火の鳥」では、ある男が永遠に死ぬことができないという刑を受ける。もし人が死なないとしたら、何かを勉強したり、夢に向かって何かをしたり、そんなことはおよそ意味がなくなってしまう。いつでもいいのだから。死なないのだから。
逆説的だけれども、死んでしまうからこそ何かをしようと思うのだ。
人は死んでしまうからこそ、今を生きる。
カツヤマステゾウ先生の熱い講座からは、数Ⅰよりもそんなことが伝わったのだろう。
相変わらず、とりとめがなくなった。



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