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宮本武蔵がいうには [いろいろ思うこと]

石巻の仮設住宅の集会場にうかがって、たまたまその人と話をしていたら、その人は剣道の達人だということがわかった。
つい最近『バガボンド』という宮本武蔵のことを書いたまんがを読んだところだったので、そんなことを話したら、
「まんがだからってあれはバカにできない。なかなかいいもんだ」
と思うところありげにいった。そしてまた、今の剣道はいろいろな流派があるけれども、おおよそ宮本武蔵を基としているということだった。
その人は、しみじみとこうも言っていた。
「宮本武蔵みたいな強い人でもやっぱり死んでしまうんだもんな・・・」
武蔵、享年62歳。晩年書き上げた『五輪書』は、僕が二十代か三十代の頃に読んだ。最初岩波文庫を買って読み、そのとき何かしら感銘を受けたのだろう、その後、岩波文庫のワイド版を見つけて買った。しかし、哀しいかなどのようなことが書いてあったか今は全く覚えていない。

「見るともなく全体を見よ」
それは『バガボンド』に書いてあった宮本武蔵の言葉だ。『五輪書』に書いてあるのかどうかは知らない。
武蔵も若かりし頃は何かを凝視し、深い藪をかき分けるようにしながらひたすら己の道をつき進んでいた。真っ直ぐに突き進む若い武蔵の姿も素敵なことだったろうと思う。
僕は以前こんなふうに思った。目標を見据えてそれに真っ直ぐに向かってゆけば、確実に一歩近づく。途中どんなことがあっても、つまずいて転んでも、それでも間違いなく一歩近づく。うまくゆくとかいかないとか、そういうことではなく、それでいいと。
雪の降りしきる真っ白な雪の平原を真っ直ぐに歩いてゆこうとすると、人はどちらかに円を描くように曲がって歩くのだそうだ。
足元だけを見て歩いても同じことが起こることは自明だ。足元を見ているから石ころに躓いたりはしないだろうが、しかし、ふと思いたって顔を上げて周りを見わたすと、・・・元の位置に立っている。
そんなことを恐れていた。それよりも、転んでも一歩近づく方がどんなに素敵かと。

仮設住宅に住むその人は、毎朝素振りを決まった本数振るのだそうだ。若い頃は何分で振れたが、今は何分余計にかかるようになってしまった、とちらと寂しそうな表情を見せながらいった。
彼のご家族は大丈夫だったのだろうか。毎日どんなことを思いながら暮らしているのだろうか。思いは巡るが、僕からうかがうものではない。もしお話くださったらしっかりと聞きたいと思うが。
「がんばろう日本」その方々が言うのはかまわないと思うが、石巻を見てしまって言うには、僕にはちょっと抵抗がある。
まさに洗いざらい奪われてしまったあの現場、大方のがれきは撤去され「あったものがない」風景。

僕自身、これからの生活など一切合切どうなってゆくのかわからない。
そんな漠とした将来を思うときに、「見るともなく全体を見る」もしそんなふうにものを見ることができたとしたら、何かが見えてくるかもしれないような気がする。




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