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今帰仁にシークァーサーを摘めば 3/3 [日々の生活のこと]

 レジ袋は一瞬でいっぱいになった。車のトランクに戻り、ホームセンターで大きな物を買ったときに入れてもらうような大きなレジ袋にそれをあけた。これに入れようと思って用意した袋ではあるけれども、もともとは大物を釣ったときに困らないようにと車に積みっぱなしにしておいたもの。それが初めて役に立った。
 片手にレジ袋を持ちながらは不便だと思い、車に積んであった釣り用の水くみバケツを腰のベルトに結わえて上がった。効率よくなった分、それもほどなくいっぱいになり、大きなレジ袋にあけた。
 脚立の上で座ったり立ったりしながら、それから脚立を今度はこの辺りと移動させながらシークヮーサーを摘む。それを何度も繰り返した。
 両手には柑橘の香りが皮膚深く染みついて、子どもが背伸びした仕事をやり終えたときのようにちょっと自慢で、何か満たされた気持ちがした。
 
 ただ酸っぱいだけなのに、どうしてこれほど幸せを感じさせるのだろうと、むせかえるほどの柑橘の香りの車を運転しながら思った。途中用事を済ませたりしたので、糸満に戻った頃には、すっかり夕闇が垂れていた。
 まっすぐ大家さんの釣具屋に行って、トランクからシークヮーサーの詰まったビニール袋を卸業者のよう勝手口の方にいくつも置いた。
「あいえー」
というおばさんの驚きの声。おじさんの相好はくずれる。

 家に帰って、島酒を片手に、使い切れないほどもらったシークヮーサーの保存にかかった。シークヮーサーは、絞ってそのまま小分けに冷凍して、使う分だけそのつど出したらいいと、保存の仕方を教えてもらってきた。
 まな板の上のシークヮーサーは、包丁に怒ったように霧状のしぶきを吹き上げ、あたり一面をさらに酸っぱさでいっぱいにする。完熟したまん丸な黄色が、ころん、と現れる。酸っぱい満月ってとこかな、と思う。妻たちは今頃満月の下、どんなところを走っているのだろうか。

 次の日の午後、同じように車を走らせて、運天港まで迎えに行った。船着き場で定期船から降りてくるのを待っていると、ムーンライトマラソンに参加したであろう若い男女が快活にタラップを次々と降りてきた。それに紛れて、かみさんたちが疲れたようすで肩をがっくりと下げながら降りてくるのが見えた。僕の方にやってきて、
 「あと三年は一歩も走りたくないわ」
と笑顔で言ったのが、妻の第一声だった。よっぽど疲れたのだろう。だが、身体の疲れとは裏腹に、妻も二人の友だちも、きらきらと瞳が輝いていて、二十キロの旅が充実していたのだなと思う。へろへろになりながら、よっぽど諦めようかと思いながら、それでもみんな走り抜いたのだろう。 

 帰りの車の中では、あそこでがんばろうっと言ってもらえなかったら、もう止めてたわ、とか、あのとき島の人が持っている明かりが見えて、とりあえずそこまでがんばろうと思って、そしたら声援が響いて、何言ってるかよくわかんないんだけど、すっごい嬉しかったのよ、とか。大イベントの翌日だけあって、話は盛り上がり尽きなかった。

 家に帰ってから、参加記念のTシャツを見せてくれた。しっかりした黒い綿に鮮やかな黄色で、
 月の伴走、星の声援、伊平屋島ムーンライトマラソン
というコピー。そしてその下に、大きな月と星々、それから月明かりに照らされて走る人たちが描かれていた。
 丸い大きな月の伴走。そして、満天に輝く星々の声援。月は飽かずに伴走をしてくれる。星は夜明けまで見つめていてくれる。

 眠れない夜、しかたなく起きだしカーテンをめくって庭を覗くと、煌煌とした白い光が庭一面に降りそそぎ、ナスやキュウリの葉っぱがくっきりと影を落としていた。窓に顔を付けて天頂を見上げると、白い満月がくっきりと南中に漂い、さらさらと銀粉を散らすように輝いていた。美しい月だなと思う。
 一人そんな月に見入り、沖縄が懐かしく思い出された。今帰仁のシークヮーサーは今年もたくさんの実をつけただろうか。おじさんおばさんは元気にしているだろうか。
 月が少しいびつに滲み、そして、口の中が酸っぱくなった。

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