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自転車先輩の釣り竿1/3 [日々の生活のこと]

釣りをはじめたのは沖縄に行ってからだった。
たまたま大家さんが釣具屋だったということもあって、そこで子ども向けの廉価版の竿とリールのセットを買って、大家さんに「打ち込み」のごくごく簡単なしかけを教えてもらって始めた。

家からの一番の近場は糸満漁港で、そこにゆくことが多かったが、そこは新旧の港があったし、特に新しい港は堤防が迷路を作るように何本も突き出ていて広かった。そのあちこちから突き出たコンクリートの釣れそうなところを、陸から車でうろうろと探し、今日の場所の見当をつける。潮のことも全くわからないので、本当は釣れそうなところがわかるわけではない。今になって思えば、日向ぼっこがてらにいいようなところを探していたふしもある。

仕掛けのことや魚の習性など、まだまだ何も知らなかったから、教えてもらいたいことが山盛りにあった。釣り人には、話しかけやすい人と、全く話しかける余地のない人がいた。あまりにも真剣に没頭していれば話しかけるのははばかられたし、漂う浮きに目をやりながらも、好んで釣りの情報交換を楽しんだりする人もいた。
そうした背中に書いてあるサインを読んで、話しかけてもいいベテランを見つけては、仕掛けを見せてもらったり、魚種による釣り方をいろいろと教えてもらったりしていた。
ベテランの人たちはさすがにものを知っていて、観天望気という言葉があるが、観天望魚とでも言いたくなるほどにそうしたことをよく知っている。今日は潮が甘いから釣れないとか、今日のような低い雲は電気を出すから、チヌはそれを嫌って潜るので釣れないとか。さっと誰もいなくなったと思ったら、土砂降りの雨になって一人びしょ濡れになったこともあった。

釣り日和のある平日、ひとり迷路の中の堤防の先端で沖縄の三角編み笠をかぶって釣り糸を垂らしていた。
堤防を自転車に乗ってのろのろとやってくるおじいが目に入った。
おじいは近くに自転車を止め釣り道具をおろした。強い日差しを受けている自転車は、黒く古いがっしりした年代物だった。それに、荷台の横にいい具合に塩ビの管で竿立てが作られていた。荷台の太いゴム紐も昔から長く使っているものだとわかった。何年もあるいは何十年もこうして自転車で港に来ては釣りを楽しんできた様子がうかがえた。
おじいはとりあえず道具を置くと僕の近くに来て、黒縁のめがねの奥に愛嬌のある目を覗かせながら
「どうねえ、釣れてるね」
と聞いてきた。
「いやあ、一回当たりがあっただけっす・・・」
相変わらずの下手な釣りをしているのだった。
「釣りは釣れるまでやると釣れるんさあ」
と口角を緩ませて言って、おじいは釣りの準備をし始めた。沖縄の釣り人たちは、ときどき哲学じみたことをいうものだと思う。

おじいはその季節のそのポイントが気に入ったらしく、よく会うようになり、よく話もするようになった。
おじいはコチを狙いに来ていた。コチを釣るには、ここではスルル(きびなご)を一匹丸ごと使うことが多いのだが、その仕掛け針は三センチくらいの間隔で二本付ける。その一本はスルルの目を通してからえらに掛けて針が外れないようにし、もう一本は食いつきやすい腹の辺りに掛ける。これはなかなかな工夫だ。教えてもらいながら作ってみなくては到底できないが、こんな仕掛け作りもおじいが丁寧に教えてくれた。
おじいは緩い感じで釣りをしているが、コチは当たりがほとんどわからないので、話をしながらも気を張らずにどこか慎重に細い穂先を見る。そして、当たりがあったときの置き竿をさっと振り上げる感じなどは、腕が立つのに気のいい素浪人のようにも見えた。


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