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自転車先輩の釣り竿2/3 [日々の生活のこと]

釣り場では、ほとんど名前を聞いたり言ったりすることはない。それで僕は、時折会ったり話を交わすようになった人たちには、わかりいいように勝手にあだ名をつけた。「あかがあら」という居酒屋をやっている五十を越した人には「赤瓦の先輩」だったし、猫の餌にするのだとボラだけを狙っているめっぽううまいじいさんがいたが、ニカッと笑うと上も下もみごとなくらいのぐちゃぐちゃな歯並びだったから「がじゃっ歯先輩」になった。それで、いつも年季の入った黒い自転車でやってくるじいさんは「自転車先輩」となった。

自転車先輩はそんな仕掛けのほかにも、枝針の付け方だとか、テグスとテグスの結び方だとかを、釣りをしながら一つひとつ丁寧に教えてくれた。そのたびに自転車先輩の目の前でその仕掛けを作って、その出来具合を自転車先輩は黒縁の奥からいつもの優しい目を覗かせて見守ってくれた。こういう作業だから、どうしても仕上げにはテグスの切れっ端が出てしまうが、僕はいつも荷物バケツの上で切り、ちょっとしたゴミでも捨てないようにしていた。

自転車先輩からは、そんなふうに仕掛けのことだとか、サビキの竿の微妙な動かし方だとかを教えてもらったりした。また時には、釣りの昔話などをおもしろおかしく聞かせてもらっていた。いつだったか、釣りの一番大切なコツは何かを聞いたことがあった。ちょっと考えてから、しかつめらしい顔をして
「魚のいるところに餌のついた針を垂らすことだな」
と自転車先輩はいった。一瞬僕はやっぱりこの素浪人は哲学者かもしれないと思った。しかし、釣りには疑似餌で釣るやり方もあるので、冗談だったかもしれない。
あるときは、あまりにも話に夢中になって竿から全く目を離してしまい
「あい、あい、引いてるね」
と自転車先輩に言われて、安物とはいえ危うく竿を持って行かれてしまいそうになったりしたこともあった。

自転車先輩が先に来ているときには、遠くからでも先輩の黒い自転車が無造作に太陽に当たっていてすぐにわかった。
編み笠にTシャツに島ぞうり、片手に竿ともう片手には道具入れのバケツをぶら下げて堤防をとことこと近づいてゆくと、釣り糸を垂れているじいさんの背中が見える。今日はコチがあがっただろうかと気になりながら、自転車先輩の隣に今日も腰を下ろす。

何年も釣りをしていれば、何となく知り合いもできそうなものだが、自転車先輩にはそんななじみというか、釣り仲間がどうもいないようなのが気になったことがあった。それで、あるとき僕は
「先輩、いつもひとりで釣りするねえ」
と聞くと、自転車先輩はいった、
「昔はよ、よく友だちと来よったけどよ、みんなそのへんにぽいぽいぽいぽいゴミ捨てよってからによ、だんだん一緒にいるんがいやんなってな・・・」
少し寂しそうにそういって、言葉を濁した。そして、すぐにまたいつもの優しい目を覗かせた。
僕はテグスの切れっ端も、小物が入っていたビニール袋も、釣り場に捨てたことはなかった。とりあえずは道具入れのプラスチックバケツの中に捨てて、家に帰ってからゴミ箱に捨てなおしていた。何の造作もないことだった。
そして、改めて自転車先輩も全くゴミを捨てていないことに気がついた。
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