SSブログ

道は歩くものなのだ! [カウンセリング・心理のこと]

『老子』を読んだことがあるわけではないし、これからも特に読む予定はないけどね、ちょっと知る必要が出てしまった。で、仕方がないから、ひとつには『マンガで読む中国の思想』のようなものをめくった。ほかには『くまのプーさんののんびりタオ』とかも。それに『バカボンのパパと読む「老子」』(ドリアン助川著)。オレとしては土理庵先生がおすすめ。
でね、読んでいるとね、たとえば「上善は水の如し」日本酒の銘柄としては知っていたけど、出典は老子だった。大器晩成などという言葉もここからきているんだよね。「柔よく剛を制す」などというのも。
そうそう「無用の用」なんていうのも出ていて、まあ、うちのブログのようなものとでもいいましょうか。いやいや、うちは無用の無用でしたか・・・。

「無為自然」は老子の中でもとても大事な考えのようなんだよね。でね、『バカボンのパパと…』に出ていたわけではないけど、オレがね、無為自然を平たく言い換えるとどうなるかというと
「これでいいのだ」
になるんだよね。バカボンのパパは、ほんと哲学者。
それから、これは土理庵先生の本に出ていたことだけれど、バカボンが言うんだよね
「原っぱにほおって置かれている土管の中は無限なんだよね」って。(細かいところ間違ってたらごめんなさい)
なんかわかんないけど、そうそうそんな感じって思っちゃうんだけど、オレって変かな。

でね、老子というと、道・タオ・TAOとどう言ってもいいけど、やっぱこれがないとね。
詳しくは老子を読んでもらうしかないんだけど、どうも、これが道だ、と言ってしまったらそれではなくなってしまうようなんだよね。だいたい、そんなふうにいえないし。不思議だよね。
オレのねイメージではね、野原のどこを歩かなくちゃならないとかなくて、好きに歩いたらよくって、それで、そこに咲いているタンポポを踏みつけながら歩くのか、愛おしくよけながら歩くのか、そんな違いな感じ。……よくわかんないよね。
違う見方をすると、ちょっとだけ気功道場みたいなところに行ったことがあって、そこの人がいうには、気の通るところは解剖学的にはないけど、ある、っていうんだよね。……ますますわかんないよね。
頭おかしくなっちゃうよね。

今日はこれまでなのだ。


これでいいのだ!





※ DJホットマンにちょっと頭をホットにされたうえに、バカボンのパパに頭を乗っ取られた口調で遊んでみたのだ!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。