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広辞苑が70ページだったらどんな感じかな [カウンセリング・心理のこと]

日本語は、単語の多い言語といわれている。どのくらいいっぱいかわからないが、特に感情表現の言葉が多いといわれる。ほかの言語の感情表現がどのようなものか僕は知らないので、今ここでの比較はできない。
しかし、たとえば「私」を言うにしても、俺・自分・拙者・小生・あたし・あたい・あちき・あっし・おいどん・儂(わし)・われ・わ(津軽方言)・わん(沖縄方言)・・・、ってなぐあいにたくさんある。
で、どの単語も同じような頻度で使われるかというと、あたりまえだけどもちろんそうじゃない。頻度の高い単語はとっても頻度が高い。そして、数が少ない。逆に、頻度の低い単語はとても頻度が低く、そうした単語の数自体は多くなる。頻度が少ないのは広辞苑ぱらぱらすれば、いっぱい見つかると思う。
今ちょっと思いついた単語なのだが「備忘録」。メモ帳のこと。ずっと前だけど、友だちと話していて、たまたまこの備忘録というのが口をついて出たんだね。そしたらその友だちに「おまえはいつの時代の人間か!?」ってびっくりされてしまった。自分でも何かの間違いで今の時代を生きてるのかなって、ちょっと思ってしまった・・・。
そうした一生のうち一回使うかな、たぶん使わないだろうなって思う単語が日本語にはいっぱいあって、そんなに使わないんだったら、じゃあそれをなくしてもいいかって言うと、そうなると困る。
「私」は窮屈でしょうがない。
じゃあ、なぜ英語では「アイ」しかなくて済むのか、僕は知らない。…あいすいません。
で、こういうことを長く書きたかったわけではなく、そんな無用に思えるものが、必要なのだ。僕が言っているわけではなく、老子先生が言っている。バカボンのパパも言っているのだ。
道が、自分が歩く足跡分しかないのだったらどうだろうか、というようなことを老子先生は言ってます。
広辞苑が70ページくらいになったらどうだろうか。

全く関係ないが、藤田まことがこんなことを言っていた。
「道を歩くときは、端の方を、貸してもらう気持ちで歩きなさい」
道をそれてしまった。それていいのだ。




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