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海外ひとり旅の事件簿(8)ラサ、高山病は大変危険です [旅のこと]

成都に一週間も泊まっただろうか、その間にチベット、ラサまでの安チケットを探した。
ちなみに、成都では本家本元の麻婆豆腐屋にいった。本家の麻婆豆腐は辛い。辛いというのは、とうがらしではなく、山椒の辛さなのだ。知らないものだから大盛りを頼んでしまい(ご飯はお代わり自由)、汗だらだらかきながら何杯ご飯をお代わりしたことやら。
汗のかきようが半端ではなく、まわりの中国人家族から笑われてしまう始末。

閑話休題。
チベットに入るには、その時々の中国政府の裁量で、自由だったり、グループでなら入っていいとか、全くだめだとか、・・・そんなことが普通な時だった。(いまはどうなっているのだろうか・・・)
僕が行こうとしたタイミングでは、グループ旅行可、だった。それで、旅行代理店がツアー旅行を企画しバックパッカーに売るということをしていた。もっとも、今の日本では当たり前のシステムだが。
そんなチケットで成都からラサまで飛んだ。

また話がそれるが、飛行機のとなりの座席に座ったヨーロッパ人のバックッパカーの彼は、映画「SEVEN YEARS IN TIBET」を見て、それで憧れてチベットに行こうと思ったのだそうだ。そんな話を目をうるうるしながら話してくれたのだった。
その彼にしばらくしてからラサの町中で出会ったが、「チベットはどう?」と聞くと、ちょっとへちゃむくれなペコちゃんのような顔をして「まあまあ……」と答えただけだった。
人の体験はそれぞれだ。

閑話休題。形ばかりのツアーながら唯一ツアーの体をなしていたのが、ラサ空港からラサ市街までツアー用のマイクロバスが手配されていたということだけだった。
僕はわざわざマイクロバスの助手席に座った。思い返せば、すでにハイだった。兆候は出ていたのだ。
一応ツアー用のマイクロバスではあるので、マイクがあった。コンダクターに使っていいかと聞くと、スイッチを入れてくれた。僕は重いマイクを手にして
「レディーズ、アンド、ジェントルメン、ウエルカム、トゥ、ティベット!!!」
とかなんとか大声で言ってマイクロバスの中を頼まれもしないのに盛り上げていた。
この段階で重体だと気がつかなければいけなかったが、由もなし。

ラサの町に着いた。忘れていたが、もうひとつツアーらしかったのは、最初の3泊が決まっていたこと。そのホテルの前でマイクロバスを降り、部屋に案内されると、後でわかることだがラサの中で一番賑やかなところだった。
荷物を置いてさっそくお茶でもとおもい、トラディショナルなお茶屋に入った。
たまたま入ったそこは、なかなかいい感じの店で、チベットのおっちゃんたちのまねをしてミルクティーだったかを飲んでいた。
疲れが出たのだと思った。頭が重くて痛い。全身もなんだか脱力状態だ。そのあたりで、ひょっとして高山病かと気がつく。遅すぎだ。

ホテルに戻る。ベットに横になるが、ここで不運に気がつく。町の中心、とにかくやかましい。それに日が入って部屋の中は暑い。頭を抱えたまま脂汗がだらだらだ。どうにもしようがない。
と、そこで、いいことを思い出した。
たしか、酸素を売っているらしいことを聞いていた。テーブルコンロに使うくらいのボンベに入っていて、それを使えば楽になるとかならないとか。
頭は割れんばかりにズッキンズッキンする。全く力が出ない。それでもこのあたりだったら薬屋があるはずだからと外に出た。
言葉も通じずにどうやって買ったのかわからないが、薬屋を探して買った。この国の物価にしたらえらい高かったが背に腹は変えられない。

ホテルの部屋でボンベを包んでいる薄いセロファンをやぶり、付属の口あてをあててシューシューした。
楽になる(気がしただけかも)。助かった!!!と思う。
思うまもなく、あれれ、もうなくなっちゃたの?1分も使ったか使わないうちにだった。
このがっかり指数のメモリは振り切れた。ブースカが言えば「シオシオのパー〜〜」というか。高山病も忘れてしまうくらいだった。(忘れられないけど・・・)
とにかく、どうしようもない。せいぜいが、水をたくさん飲むことくらいだ。クラクションのよく響く暑い部屋。ここで横になっているしかないのだ。痛い頭にはクラクションが脳髄まで響くようだった。

どうやって過ごしていたのかわからない。
たぶん果物などを買って食べていたのだろう。ロビーの方が静かで涼しかったから、なるべくロビーにいたような気もするが、そこはそこで、話したりするのも辛かったから、元気な日本人に話しかけられたりするとこれまたしんどかった。それに横になれなかったし。
どうしても横になりたいときは、クラクション地獄へ帰って横になった。早く夜にならないかとそれだけを思って、頭痛と闘いながら昼を過ごした。
SEVEN DAYS IN TIBET 、一週間くらいで強烈な頭痛からは解放された。しかし、本調子に戻るにはまだまだ日にちを要した。

後日の話になるが、
東京で車に乗って仕事に行く途中だったか、ラジオのニュースで、
「××石油の○○さんが、△△山で高山病で死んだ」
というのを聞いて驚いた。○○さんは旅先で出会っていろんな話をしたヤツだったから。(合掌)

おまけなのだが、
高山病にはバファリンが効く。(あくまでも個人的な感想です)どうしてかというと、薬の成分的にはわからないが、人体実験をしたから。この実験は、チチカカ湖のあたりに泊まっていたときにやった。あくまでも個人的な感想で言えば、3割くらい楽になる感じがした。もちろん、彼のように生命の危機がある場合には効かないだろう。痛みを和らげるという効果という意味で。
これもついでだが、僕はほかにインド、ラダック地方のレーでも高山病にかかったことがあった。
高山病対策として一番いいのは、高いところに行かないことだ。
だが、ことわざにいう通り、どうしても高いところに行きたがるようだ。






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