SSブログ

カメラの歴史、ったって個人的な(1) [カメラマンになる周辺など]

ひとがどんなカメラを使ってきたかなど、興味がないだろうが、自分自身のメモとして書きたい。
小学2年生頃になると思うが、おもちゃのようなカメラを自分のお小遣いで買った。これは、8ミリ幅(たぶん)のロールフィルムを入れて実際撮ることができた。シャッターは簡単なバネ式、絞りはなく(たぶん、F16とか、22くらいだったのだろう)、ピントはもちろん固定。どちらかというと針穴写真に近い。
このフィルムの現像はカメラ屋も困ったようだったが、やってくれた。友だちのKの輪郭が映っていたのを覚えている。
8ミリのロールフィルムは、カメラを買ったプラモデル屋(模型材料店)に、カメラと一緒に商品になっていたのだが、その店もよくそんなものを置いておいたものだと思う。後にも先にもその時しかそのフィルムは見ていない。
1,2年経ち、そのころうちにはカメラがなかったので、うちでコンパクトカメラを買った。当時はヤシカが頑張っているような時代で、「明るくても、暗くても。ヤシカC−35」などというコピーがテレビから流れていた。うちで買ったのがそれかどうかは覚えていないが、ヤシカのカメラだった。小学4年頃だったように思う。カメラらしいカメラは初めてだったから、喜んで使った。そのカメラを持って自転車で出かけたりした。しかし、物足りなさを感じるには時間がかからなかった。
小学5年頃、母に月賦で一眼レフのカメラを買ってもらった。アサヒペンタックスSP。
http://ningen-isan2.blog.so-net.ne.jp/2011-05-21
このときのことは、ここに書いている。
当時、アサヒペンタックスSPはよく売れたカメラだった。レンズが「スクリューマウント」といって、なんのことはないただのねじ回し式のマウントだというような欠点(というか、時代遅れなところ)はあったが、いいカメラだった。
お小遣いを貯めては28ミリとか105ミリを買っていった。
小学校の高学年から高校にかけていろんなものを撮った。朝一の電車に乗ってうちよりさらに田舎にいって軒下に干してある干し柿を撮ったり、高校の文化祭でピンクレディーの「UFO」を踊る同級生の女の子を撮ったり、飼っている猫を撮ったり。
そんなものしか撮らなかったが、それでも僕を自由にさせてくれるには充分な道具だった。
この頃から一眼レフ(フィルム)の時代だった。僕自身は一眼レフ(フィルム)の時代に生まれ合わせたことを感謝している。
高校生の時に写真のコンテストに入賞してニコンの「FM」というカメラを賞品にもらった。このカメラは、SPもそうではあったが、このニコンFMも完全なマニュアルカメラで(露出計等は電池がないと動かないが、写真を撮る働きとしては電池がなくとも機械的に動くという意味)性に合っていたし、手になじんだ。
カメラマンをしていると、時折「こうこうこいうように使いたいのだけれど、どのカメラがいいか」と聞かれたりする。じつは、カメラというのはカタログに載っているスペックでははかれないものがあって、それは、手になじむか、何となくしっくりくるか、デザインも含めて持っていて気持ちがいいか、といったようなこと。カメラは身体の延長線上にある。その延長線上のカメラは、カメラとしての性能は大事ではあるけれども、それ同様に、「それは私の延長線上のもの(道具)だ」といえるか、というのは重要なことだ。SPもそうだったが、FMも自分の延長線上のものだった。
システムとしてはSPには未来がないのはわかっていて、いずれは違うものにしなければならないのはわかっていた。互換性のない他社になかなか踏ん切りがつかなかったが、これを機会にニコンになってゆくことになる。






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。