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ボブ・ディランのことを少し書こうと思う [いろいろ思うこと]

私が育った世代は、音楽的にはロストゼネレーションともよばれたりすることのある世代で、ビートルズでもなければフォークでもない。しいて言えば、しいて言えばだが、花の中三トリオだとか麻丘めぐみとかキャンディーズとか、アイドルの世代だった。(少し悲しい)
私はませていなかったし、ボブ・ディランを聞いて育ったわけではなかったが、改めて書くまでもなく、彼はベトナム戦争を問い、反戦を示唆し、アメリカに限らず多くの若者の共感を呼んだ。あれだけ戦争に対しての思いを叫びながら、何十年も歌いながら、今更ノーベル賞がもらえるのだろうか。
ダイナマイトは確かに役立ってもきた。しかし、何人人を殺しただろうか。そして今も人を殺し続けている。もちろん、ダイナマイトそれ自体に罪があるわけではないのかもしれない。問題は使う人にあるのだろう。それでもダイナマイトがなければ・・・、と思わないではないだろう。
「ノーベル賞」は権威である。学術に関わる人は、多少なりとも権威に関わっているだろう。そういう人はもらえばいいと思う。しかし、「自由」を生きている人には権威は意味を持たないばかりではなく、ものを持つことになるので不自由になりがちだろう。

名前は失念したが、ある落語家に弟子から伝言が伝えられた。
「師匠、大変です。師匠に文化勲章をくださるそうです」
というと、その師匠
「お、そうかい。それじゃあ、何かのついでにでも届けてもらえ」
って。
たしかに、頼んでもいないのをくれるというのなら、そっちの方から届けるのが筋かもしれない。

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