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海外ひとり旅の事件簿(10)クエッタでヤツは目をぎょろつかせて待ち伏せしていた2/2 [旅のこと]

数日後にバスに乗って国境に向かった。
ギョロ目が同じバスに乗っていた。
いろいろあるが、まぁ自然、旅は道連れとなる。

夜も明けきらないうちに国境についた。国境には小さな村があって、旅人相手のお茶屋が開いていた。極寒の中でお茶を飲み、あとはじっとして過ごした。
その頃はイランイラク戦争の真っ最中で、イランの国境入りは緊張するものがあった。バスでとりあえず近場の町、ザヘダンまで行くのだが、その間、10回くらいもチェックがあった。
その時はもうひとり日本人男性がいたので、3人で安宿に泊まることになった。宿に落ち着いて、最初にやったことは両替だった。闇でドルが30倍らしいことがわかっていた。ただ、どこでどうしたらいいかがわからない。・・・時効ではあるが、そのあとのことは省こう。
ザヘダンをでるとき、ギョロ目と僕は一緒だった。
ギョロ目はS本さんといって、結局テヘランまで一緒でそこで別れることになる。ちょうど一ヶ月間一緒に過ごした。
それまで、よく一緒に朝食のナンを買ってきて、部屋で紅茶をいれて飲んだ。(ちなみに、個人的には今まで食った中で、イランのナンが最高にうまいと思う。)そうした共同の食事代などはきっちりと割り勘をした。そんな感じも僕には合っていた。ボール紙で丁寧にチェスのコマと板をつくって、チェスをして遊んだりもした。
イスファハンだったろうか(違うかもしれない)、ある晩やることもなく二人で部屋にいたとき突然電気が消えた。窓から外を見ると真っ暗で美しい夜空が浮かんでいた。ろうそくをつけた。すると、すぐにホテルのボーイが部屋に飛び込んできて、ろうそくを吹き消し、窓から離れろ、という。
何事かと思いながらも言われたとおりにしていると、しばらくして、爆音とともに窓ガラスがピシピシとゆれた。
後でわかったのだが、すぐ近くの総合バスターミナルに爆弾が落ちた。そこは、この町に着いたときに降りたところだった。
そういうことの一つひとつが二人の間でお互いの考え方や生き方や、そうしたことを深く話す機会となった。

S本さんは、今ではとても大切な友人のひとりだ。
奈良の山奥で暮らしている彼の家には何度も世話になった。当時世田谷にいた僕のマンションに奥さんと子どもたちとで泊まりに来たこともあった。二番目の子は女の子でまだ2才か3才と小さく、S本さんとあぐらをかいて酒を飲みながら話をしていると、その子が僕の股ぐらにすぽんと入ってきたのも懐かしい。

あのギョロ目は、クエッタの寒い路上で、他の誰でもない僕を待っていたんだなと思う。




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