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オリオン座の三つ星の真ん中へ [カウンセリング・心理のこと]

この話は、15年くらい前に参加したベーシック・エンカウンター・グループ(BEG)で聞いた話だ。もちろんこの会の話の内容に関しては守秘義務があり、このように公開するどころか、他言無用というのがきまりだ。しかし、この話はとても私の心にしみいり、そして大切な話しに思えてならず、話してくださった本人Sさんに直接了解を得て、個人のプライバシーがしっかりと保護される範囲でこうして書かせてもらう。

ファシリテーターや他の参加者のことも書くべきではないのだろうが、差し支えないだろう範囲で少しだけ書こう。参加者は12名。臨床心理士になりたての20代の女性もいたが、ほとんどは30代から50代前半で、少しだけ男性の方が多いというバランスだった。ファシリテーターは心理学者として新進気鋭のM氏であった。
パイプ椅子に座って車座になり、それぞれが視線を少し落としたまま沈黙の時間が続いたりもした。ファシリテーターも指を組みうつむき加減になりながら、辛抱強く何かを待つ時間も少なくなかった。その一方で、参加者全体に大人な雰囲気があり、何かを皮切りに参加者の意識が動き出すと、その話題について心を開き始め、深く追求しだすという傾向が強かった。

どのような話題であったか覚えていないが、その話題もそろそろ煮詰まりつつありそうな頃、他の参加者の言葉をうけて、それまでほとんど話すことのなかったSさんは話そうとし始めた。Sさんは、放り出した足を足首のあたりで小さく組み、上体を背もたれに預け浅く腰掛け腕組みをしていたが、パイプ椅子の座面に少し腰をもどして口を開いた。


……おれにはよ、二人息子がいて、そのうち下の方が体が小さかったものだから競馬の騎手を目指していたんだけど、あるとき病気してよ。(病名も言っていたが伏せておこうと思う)
しばらく入院していたんだけど、医者にはこれはもう治らないって言われてよ。そう言われてもどうすることもできないし、息子はベットに横になったまま寝ていてよ。長いこと寝ていたら息子自身もだんだん自分がどんな様子かもわかるし、そのうちおれも本当のことを言わなきゃなんなくなってきたしよ。
しょうがないからあるとき寝ている息子に向かって言ったさ。実はな、おまえはこうこうこういう病気で、先生からは治らないって言われたんだよ、って。
次男はじっと聞いてそれから頷いて、そして、おれの方を向いてにこっとして、お父さん教えてくれてありがとう、って顔したわけよ。

怒りを奥歯でかみしめるようにしながら、こんなことをも話しに挟んだ。
……話しが近所の人なんかにも伝わって、まだ一人いるんだからいいじゃない、とかいうのがいたけど、一人いるからいいとか、そういうことではないだろう。何をふざけたこと言ってんのかと思ったよ。

私たちは話しの続きを無言で待った。
……ある晩、次男の枕元で一緒にいたらよ、おれに背をむけて、
じっと、うなじを垂れて、底の底から、行き暮れて、
「死に方が、分からないんだ」
と言ってよ。言ってやる言葉がなくてよ、しばらくだまってたら、
それからおれの方を見て聞くわけよ。
「お父さん、おれよ、死んだらどこにいったらいい?」
って。

こみ上げてくるものでSさんの口元が歪んだ。そして、話しを続けた。
……おれはよ、何か言ってやらなきゃな、そうでないと行く所もなくてかわいそうだなって思ってよ、思いつきだったけど言った。
「いいか、オリオン座わかるだろう。あそこのな真ん中に三つ星があるだろう。あそこの真ん中の星にいけ。三つ星の真ん中の星に行って待ってろ。いいか間違うなよ。おれも必ずそこに行くからな」って。
次男は安心した様子でうんて頷いたよ。


Sさんの話しはそれで終わった。はるか遠くを見やるその目頭が熱くなっているのがわかった。
私たちは、沈黙の底にたたずみながら、それぞれの心にそれぞれの三つ星を描いていたと思う。












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ヴィゴツキーの「言葉」 [カウンセリング・心理のこと]

ベラルーシ共和国(旧ソビエト連邦)の出身でヴィゴツキーという心理学者がいた。(学者によってはヴィゴーツキーとも表記。たぶんこっちの方が発音に忠実だと勝手に思う)
「内言」の研究なども有名で、この内言というのは何かというと、簡単にいうと頭の中で言っている言葉のこと。
たとえば、人に話すときには
「わたしは、今ちょっと頭痛いんですよね……」
というようになるが、実際頭の中では(内言では)
「頭いてえんだよな……」
などのようになったりする。主語がつくことはほとんどない。
あるいはこんなことにもなる。
話される言葉では
「あ、課長大丈夫ですか、おけがはないですか」
なのに、内言では
「まぬけだよな、こんなところですっころびやがって」
だったりすることもあるかもしれない。
前書きが長くなった。
ヴィゴツキーの言葉でこんなものがあった。

意識は、
太陽が水の小さな一滴に映し出されるように、
言葉の中に映し出される

美しい言葉だと思うし、彼の理論も人柄もよくは知らないが、ヴィゴツキーその人と彼の理論を映し出しているのかなと思えてしまう。











参考『ヴィゴーツキー心理学』(中村和夫著)

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なまはんか心理学(14)マインドフルネスについての今のところの理解 [カウンセリング・心理のこと]

だいたい隔週でマインドフルネス瞑想会に参加している。
瞑想というのは、目的によっていろいろと取り組み方が変わるらしい。日本的には「無我の境地」や「悟りを得る」などというような言葉と結びつきやすいように思うが、リラクゼーションを目的としたものもあるであろう。
マインドフルネスというのはパーリ語の「サティ」の英訳で、もともとは「心にとどめておく、憶えておく、思い出す」という意味。マインドフルネス瞑想は、認知療法とか認知行動療法に分類されているのではないかと思うが、それは、「気づく」それから「気づいたものを一旦横に置いておく」という作業を繰り返すからである。
私が参加しているところでは、結跏趺坐(けっかふざ)、半跏趺坐(はんかふざ)、あるいは楽座を組みながら呼吸に意識を持ってゆく。そうしながらも、身体内外のことに意識がゆき(つまり、呼吸に意識が向いていない状態)、それに気づいたらまた呼吸に意識をもどす。ということを延々とやっている(正確には、手を動かしたり歩いたりする方法もやっているが割愛)。呼吸以外のものに意識がいったことに気づいては横に置く(あるいは、手放すといってもいい)。呼吸瞑想であるので、また呼吸に意識をもどして、となるわけだ。

雨が降り始めた音に気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
脚がしびれてきたことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
・・・
※腹が鳴ったことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
そういえば昨日食べたラーメンはちょっと変わった味だったけどうまかったことを思い出している、ことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
そのラーメンのチャーシューが、ぶ厚かったことを思い出した、ことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
それにしても、あの時向かいに座っていたおやじのラーメンをすする音は下品だったということを思い出している、ことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)
こんどいつ食べに行こうかな?そうだ、あいつラーメン好きだからあいつ誘おうかなと考えている、ことに気づいている(その気づきは横に置いといて、呼吸に意識をもどして)※

と、延々と頭の中に雑念・妄想・空想といった類いのものが広がる。今書いた※から※までをここでは「昨日のラーメンスキーマ」と仮に名前をつけよう。
この昨日のラーメンスキーマは、腹が鳴ったことに端を発し、「自動的に思い出された」ことばかりだ。全く別な人の昨日のラーメンスキーマは、ひょっとしたら、腹が鳴ったから、ラオスに旅行に行こう、ということになったかもしれない。

スキーマというのは、(よくわかんないけど)ものやことや概念や感情やそうした様々なものやことをつないでいる電線だったり繋がれているものだったり、その集合だったりかなと思うのだが、その電線の繋がり具合は、ほぼ共通したものから(たとえば車のスキーマなどは似ているだろうと思う)、個々人で全く違うものまである。
昨日のラーメンスキーマに関しては、その果てに地底の怪獣と決闘しようが火星に行こうがまあどうでもいいのだが、たとえば、

会社の上司が口やかましい
   ↓
死にたい気分になる

となる場合がある。

会社の上司が口やかましい
   ↓
言わせておけばいい

となる人もいる。電線の繋がり方が違うわけですね。
じゃあ、「死にたいとなるのは辛すぎるから、配線変えたい」というときに、
この配線はだいぶ昔からの配線で、気がついたときにはそういう配線になっていた、
ということが多い。
ほとんどの人が、「自動車→タイヤが4つ」というように配線されているのを「タイヤが5つ」と変えるのは難しいのに似ています。

では、できるところからということで、配線を変えるのは難しいけど、電気を止める練習をしましょうか。
スイッチもさび付いていて、なかなか電気も切れないけど、「はい、切ります」の練習です。つまり、この作業は
「その気づきは横に置いといて」ということになります。
時間と根気のいる作業です。しかし、少なからぬ人が経験していると思いますが、錆びたものも少しずつ動かすと動いたりするものですね。そんなことに似ていると思います。
一瞬電気が切れたときに「電気を切っても問題ないんだ」ということに気づき、さらには、「違うところに電気を流しても問題ないんだ」ということに気づいてゆくわけです。

実際はなかなかそううまくはゆかなくて、すとうの場合ですが、
頭の中には次から次にさまざまなことがぼこぼこと湧く。昔の思い出(思い出は昔のことに決まっているが)、今抱えている仕事のこと、思い出すと頭にきて怒りが止まらないようなこと。寒いとか暑いとか。昨日会った人のこと。特に仕事の上で重要なことが浮かんだりすると、「それを横に置いといて」とすることにはかなり抵抗があるようだ。
とにかくいろんなことが頭の中で「かつ消えかつ結びたるうたかた」のように湧き起こる。
他の人よりも「うたかた」が多いとか少ないとかは、全くわからないが、収拾がつかないほど次から次に沸きあがる。頭の中が爆発しそうになります。本当です。
そうした一つひとつのうたかたというか、気づいたことを「今はそれを横に置いておき」ということの繰り返しは、たとえば、武道館のタマネギの皮むきに似ているかもしれない、と思っている、ことに気づいている。とかとかの繰り返し・・・

たとえばこの作業を10年続けた時をイメージしてもらいたい。「無我の境地」とはいかないだろうが、多少なりとも生きるのに楽なように働く自動配電システムが作動するようになると想像できないだろうか。ひょっとしたら、新しい友達のさとるくんがたま〜に遊びに来るかもしれないし。















書いていることに間違いもあろうかと思う。先達にご教示をいただけたらありがたい。

コミュニケーションということ、あるいは実存的孤独 [カウンセリング・心理のこと]

4月から6月までだいたい隔週で計6回の「カウンセリング技法に学ぶ コミュニケーション講座」というものをすることになった。それで、アサーショントレーニングの本とか、コミュニケーションに関わるものを少し読み直そうと思った。図書館から何冊も本を借りたのだが、その中に『孤独であるためのレッスン』(諸富祥彦著)も借りてきていた。
頭の中に「コミュニケーション」があって、手に取るものが「孤独のレッスン」というのは、いかがな回路になっているのかと自分の事ながら思ってしまう。
諸富先生は、ムスターカスの概念を引用して「実存的孤独」と「孤独に対する単なる不安にすぎないもの」とを重要な違いとして説明している。前者の方を「人間の本質に目覚めていることの証であり、生の動乱や悲劇、変転に直面して行く際育まれるものである。この世に生まれ、激しく生き、ひとりで死んでゆくことの本質にある孤独が、実存的孤独である」と説明している。(なんだか難しいね)言い方を変えて「実存的孤独とは、人がひとりで生まれひとりで死んでゆくこの悲劇にもかかわらず、激しく生きなくてはならないという人生の本質に目覚めながら生きてゆくこと」と言っている。(やっぱり難しいね)

小学生の頃、学校の帰りに友達と道草を食いながら帰ったものだった。交差点で誰が勝ったらどっち、誰が勝ったらどっちに行く、と決めてじゃんけんをして一番先に家に着いた人が勝ち、という遊びをしたことを懐かしく思い出す。誰も一度も家に着いたことはなく、誰からということもなく遅くなりすぎたのでやめようといって終わりになった。この遊びは、私のお気に入りだった。楽しかった。
それ以上に身体が覚えているのは、ひとりで帰る時間だった。ひとりでつまらないというのでもなく楽しいというのでもなく帰るあの時間は、世の中からほったらかしにされる最初の体験だったわけではないが、まとまった体験としては初めてのことだったと思う。
大人になって都合5年くらい、カメラを持って海外をほっつき歩いていた。ほっつき歩いた時間は、ほとんど糸の切れた凧のような状態だった。
小学生が大人というかそんなようなものになり、学校の帰り道がチベットやラオスやボリビアやサモアとかとかになっただけのことで、ほとんど何も変わりがない。
諸富先生のこの本の表現を借りれば「・・・ひたすら砂や粘土をいじくったり、長い時間ボーッと列車を観ていたり、といった体験の中で、子どもの想像力や創造性は育っていくのです。」(大人の私はひたすら写真を撮っていたが、何かが育つには遅すぎだったかもしれない・・・合掌)

ひとりでいることが怖いので、そうならないために話し続けるというのであれば、それは心の中に巣くう恐怖の火に薪をくべ続けるようなものなのだろう。
コミュニケーションをとるということは、人前でじょうずに話せるとか、会議で説得力のある話ができるとか、英語力が高まったとか、そういうことではないのだろう。たとえば、受容し合える関係を作ることと言えるような感じもするし、また、しっかりと孤独に生きてゆくためだという気もする。











なまはんか心理学(13)アフォーダンスは、踊らされるダンスなのだ。(なのかも。) [カウンセリング・心理のこと]

アフォーダンス(affordance)というのは、afford(与える、提供する)という言葉から、ギブソンが作った造語だ。ほとんどの場合日本語には訳されず、そのまま使われていると思う(学術的なものには、「行為の可能性」などともあったりもする)。すとう的にあえて訳すとすれば「存在の供与性」というのがいいと思うが、どうであろうか。知識のある方に是非御指南いただきたい。

「アフォーダンスとは環境が動物に提供するもの。身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるものである。地面は立つことをアフォードし、水は泳ぐことをアフォードする。・・・」(『アフォーダンス入門』佐々木正人)

ところで、
大学を卒業したての頃、定時制の高校で教諭という仕事をしていたことがあった。田舎の定時制で、全体に生徒数は少なく、一番少ないクラスで6人だった。その6人が、全日制の35くらいある机と椅子のセットに、仲良し女子の二人だけが隣同士で、あとはみごとにバラバラにすわる。
今も尊敬する先輩教諭が「この子たちだって、6人がぴったり入る教室だったらちゃんと勉強するのに」とよく言っていた。理屈はわからないながら私も確かにそう感じていた。
学校は勉強することをアフォードする。教室もまた勉強することをアフォードする。
全日制のある一人の学生にとって、教室と34人のクラスメイトと教諭は、勉強することをアフォードする。しかし、定時制のある一人の学生にとって、29の空席と5人のクラスメイトというのは、勉強することをアフォードするのだろうか。バスケットボールのコートが2面取れる体育館に、バラバラにすわる6人を想像すればいい。何か特殊な試験ならいざしらず、共に学ぶという環境でないことは明らかであろう。
学校に集めておいて勉強することをアフォードしない環境に押し込めていたのだから暴力的だった。

別の例。
「私には超能力があって、あなたが任意にひいたトランプのカードを当てることができる」という手品ができる。私は相手がどのカードをひくかわかっているわけではない。しかし「特定のカードをひくようにアフォードしている」という言い方が今ならばできる。今まで使ってきた言い方だと、そのカードをひくように「仕向けた」ということだが。

コップの取っ手などはかなりわかりやすい。コップの取っ手は、そこを手に持つようにアフォードしている。ここを持てという意味がそこにはあり、持つように仕向けられている。

私たちが選択していることは、自分で選択しているようで、環境からアフォードされていることがものすごく多いのではないだろうか。一枚のカードを自分で選択したと思いながら、実はひかされているように。生命体が選択的な行動をしようとしたときに、その環境には意味が生じ、アフォーダンスが生じる。
環境のどの部分が、どれだけアフォードしているのかというのが、手品のトリックのように掴めない以上、たとえば、私が今こうしてキーボードを一つひとつ打って文字にしているが、こうした選択的な行動も、実は私が選択しているのではなく、時間的環境も含め、さまざまな環境が供与したものから、こうするように仕向けられているのではないとは言えない。自分のステップを踏んで踊っていると思いながら、じつのところ踊らされているとも考えられる。
踊るアフォー、か。













※うわっつらだけを、ちょっとなぞっただけで、アフォーダンスは本当はとっても難しくて、
私なんぞにはわからないのですよ。








諸富先生のサインが出てきた [カウンセリング・心理のこと]

ちょっと用事があって諸富先生の書いた
『カール・ロジャース入門 自分が自分になるということ』
という本を取り出した。
見返しに書いてもらった諸富先生のサインを見つけた。
たぶん諸富先生のベーシックエンカウンターグループを受けた時に、
持って行ってサインをしてもらったのだったと思う。

「どんな自分も大切な自分」

2005年の日付がある。
あのときに受けたこの言葉の意味と、今の私が受け取る意味とはだいぶ違うように感じる。
意味がわかることと、身体が感じることは全く別のものだね。

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なまはんか心理学(12)オープンダイアローグ [カウンセリング・心理のこと]

オープンダイアローグというのは、フィンランドで実践され始めている精神科治療(主に統合失調症)のための技法で、堅苦しくいうと「急性期精神病における開かれた対話におけるアプローチ」というものらしい。ダイアローグとは対話という意味。
フィンランド全国でおこなわれているわけではなく、特定の病院だけでおこなわれている。病院に依頼の電話が入ったら、電話を受けたものが担当者になり治療チームを作り(病院内で医師とか看護師とか心理士をかき集めるらしい)、24時間以内に初回のミーティングをおこなう。(クライアントの自宅に医療チームがみんなして押しかけることが多いらしい)
ミーティング全体のメンバーは、本人(クライアント)と本人に関わる重要な人なら誰でもよく(家族・親戚・ソーシャルワーカーなどなど)、毎回そのメンバーでミーティングがおこなわれることになる。
このミーティング(話し合い)は、クライアントをどこかへ導くためのものではなく(つまり「治療」という概念でクライアントと対応しない)、「専門性を持ちながらも平等に話す」というだけのもの、なのだそうだ。クライアントの言葉をさまざまな方向から受け止め返してゆくので、効果はめきめきと現れているらしい。
この療法は国立の病院だからできるのだと思うが、人材、経費ともにたいへんだろう。
オープンダイアローグでは、統合失調症の方をおもなクライアントとしているので、話しの中では妄想なども当然出てくる。そうした妄想なども、カウンセリングとしては当たり前のことだが否定することなく丁寧に聴いてゆく。
基本はそのようなことで、つまり「みんなで傾聴!」ということになるように思うがどうだろうか。最新の情報はわからないが、日本では統合失調症には(一般的には)カウンセリングは逆効果でよくないと言われているので、オープンダイアローグとは全く反対のことをしていることになる。
じつは、知りあいのカウンセラーでも、ごく普通に統合失調症の方にカウンセリングをしていて、効果を出しているという。
オープンダイアローグのことを読むと、人は自分の心を聞いて欲しいのだということを改めてつくづく感じる。それから、グループダイナミズムのパワフルさを。

じみ〜〜に続いてます「月に一度は男の集い」 [カウンセリング・心理のこと]

去年の梅雨前後から始めたので、一年くらいになる。
毎回毎回「今日は参加者ゼロかも・・・」と思いながらやっていたが、
とりあえずはゼロの日は今のところない。(来月はゼロかもしれない・・・)

グランドルール、つまりこの場でのきまりを確認して、
(守秘義務の確認とかね・・・)
「何か話したいことがあれば、どなたでも」と振る。あることもあるが、
大概は話題が出ない。話題が出ないことは半分前提でもあって、
そのときは準備してゆく「ワーク」とよんでいる簡単な作業などをしてもらう。
たとえば・・・
「5歳の私の人間関係地図」
「一番思い出に残っている食べ物」
「自己紹介のための4つのキーワード」
「今日の気分温度計」
などなど・・・
そんな作業をしてちょっと自分を振り返り、そのなかから何かしら
自分の感じていること、思っていること、悩んでいること、ぶつかっていること、
抱えている悲しみ、・・・
「安全な場」だからこそ言えるそうした思いが語られはじめる。

締めくくりには、余裕があれば「自律訓練法」。
「重感」と「温感」だけではあるけれども、
それでも皆さん結構すっきりしてゆきます。

次回は 6月11日(土)です。

ついに参加者ゼロになるか???

なまはんか心理学(11)河合隼雄先生、魂を語る [カウンセリング・心理のこと]

私自身は、魂についてのオリジナルな考えを持っていない。
河合隼雄先生が言ってらっしゃることを書こうと思う。
下記、引用

・・・・・・・・・・・
無限の直線は線分と1対1で対応するんですね。部分は全体と等しくなる、これが無限の定義です。だからこの線分の話しが、僕は好きで、この話から、人間の心と体のことを言うんです。線を引いて、ここからここまでが人間とする。心は1から2で、体は2から3とすると、その間が無限にあるし分けることもできない。
(2の次の数は、2.0000000000000000000………… 、無限なので表記できないわけですね)
分けられないものを分けてしまうと、何か大切なものを飛ばしてしまうことになる。その一番大事なものが魂だ、というのが僕の魂の定義なんです。
お医者さんに、魂とは何ですか、と言われて、僕はよくこれを言いますよ。分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂というと。善と悪とかでもそうです。だから、魂の観点からものを見るというのは、そういう区別を全部、一遍、ご破算にして見ることなんです。障害のある人とない人、男と女、そういう区別を全部消して見る。
・・・・・・・・・・・・

『生きるとは、自分の物語を作ること』(新潮社)河合隼雄、小川洋子対談集からの引用。
河合先生は元々数学を専攻していた。小川洋子の作品に『博士の愛した数式』というのがあって、そんなことがご縁になっての対談だったらしい。
生きているものは、ある瞬間に生を受け、必ず死を迎える。その間の時間はある点からある点の間の線分と同じように始まりと終わりというか端と端がある。閉鎖された時間ということがいえる。
しかし、「無限の直線」が「線分」と「1対1」で対応するということは、限られた生の時間は、無限の時間と1対1で対応できるのではないだろうか。
現実には人生は有限なので、理屈といえばそうであろうし、詭弁といえばそうであろうと思う。
しかし、人生の瞬間瞬間に意味を感じ無限を感じ、あるいは深い愛を感じながら生きるとすれば、あながち詭弁とも言えないだろうと思う。

「聞かせて男の悩み」沖縄タイムス [カウンセリング・心理のこと]

当ブログにお立ち寄りくださいまして、誠にありがとうございます。(なんちゃって)
さて、ちょっと宣伝お願いになってしまいますが、・・・
ご縁がありまして、今月から沖縄の二大地方紙のひとつ「沖縄タイムス」に、
新規の企画「聞かせて男の悩み」というコーナーのアドバイスというか、
回答というか、相談受ける人をやらせてもらうことになりました。
男性から(女性でも質問があれば一応男性ということで大丈夫!!)の
お悩み(質問)を大募集中です。
ぜひお寄せくださいませ!!
質問がないとコーナーがつぶれてしまうので、個人的にはトホホになります・・・。
質問の送り先ですが・・・

メールなら   kurashi@okinawatimes.co.jp
ファックスなら 098-860-3484
郵便なら    〒900-8678 沖縄タイムス学芸部くらし班 男の悩み係 
                    (これで届くみたいです)

ちなみに、どのような感じか初回の分を載せましょう
(文字数の関係で、実際にはもうちょっと短くなっています)

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<相談>
33歳会社員、営業職です。午前中にやれる仕事をやり、特別なことがなければ定時にはほとんど仕事を終わらせます。それに子ども(4歳)もいるので早く帰りたいのですが、同僚はだらだらといつまでも仕事をして、結局7時すぎくらいになってしまいます。早く帰りづらい雰囲気です。何かいい方法はないでしょうか。

<アドバイス>
 オンとオフをしっかり区切りをつけて生活しようという感じは素敵ですね。同僚の中には、独身でアパートに帰ってもひとりという人もいるかもしれませんし、事情があって遅く帰りたいという人もいるかもしれませんね。いろいろな状況を抱えた人たちが混じっていれば、全体として遅い傾向になるのは当然です。「今日は……」と何か理由をつけてとりあえず一度、頑張って定時で帰ってみてはどうでしょうか。悪いことをするわけではないですし。後輩にあなたが帰った後の様子などを聞いてみると、案外何事もなかったように淡々と過ぎていることが多いものです。
 お子さんは可愛い盛りですよね。何年か経てば小学校、塾や習い事で忙しくなるでしょうし、お子さんと一緒に過ごすこの時期はかけがえのない時間ではないでしょうか。仕事を中途半端にして人より先に帰るのはいかがなものかとは思いますが、しっかりと仕事をし終えて帰るようになれば「あの人はプライベートを大切にしているから」と周囲は見るようになるのでは。それに、そうした生き方、生活に同感する人もきっと出てくるように思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんな感じです。
ぜひご質問お寄せくださいませ!!
よろしくお願いします!!


沖縄ドムスカウンセリングルーム やってます! [カウンセリング・心理のこと]

「・・・やってます!」などというと、冷やし中華を始めたラーメン屋のようだ。
それに「ドムス」などというのは、良さそうなそうでもなさそうな分譲マンションのようだ。
沖縄ドムスカウンセリングルームのブログを立ち上げなければと思っているのだけれど、とりあえすだいたいのことをここに載せようと思う。

カウンセリングは、今まで全く宣伝していなかっただけなのだが、口コミ・紹介などで連絡があると受けていた。
そうこうしていたのだが、最近必要があって
「沖縄ドムスカウンセリングルーム」という屋号をつけた。

屋号をつける必要があったひとつは、・・・
詳しくは書けないが、カウンセリングや相談を受けていると、男性の生きづらさをひしひしと感じさせられることが多い。男たちの、この袋小路に行き当たってしまった心をどうにかしないと、と思っていた。
それで、先月から「月に一度は男の集い」という男性限定の会を始めた。(先にブログに書いた)
この会の具体的な内容はまだまだ流動的なのだが、趣旨としては、心に抱えているものをお互いに話したり聞いたりする中で参加者に気づきが起こり、生き方やパートナーとの関係が自分自身によりしっくりくることをめざす、というようなこと。
ちなみに、この会のチラシをとある知り合いの精神科医に見てもらったら
「沖縄じゃあ誰も来ないよ・・・」と言われ
また別の精神科医に見てもらったら
「とても意味のあることを沖縄でやりはじめるんだね・・・」と。(※1)
とりあえずはまあまあな感じですべりだした。

クライアント中心療法でカウンセリングをやってきてはいたのだが、それに加えて、「タロットを用いたカウンセリング」(なかなかしっくりくる言い方が見つからない!)ということをやり始めたのも理由。どのようにやっているかなど、またブログに書く機会があるかもしれない。ないかもしれない。
タロットは当たるのか?などと時折聞かれるが、はっきり言って当たる。もっとしっくりした言い方をすれば、その人にその時必要なアルカナ(カード)が意味を持って出る。そういう点では、東洋の易によく似たところがあるように思える。
ついでなので書くと、このタロットを用いたカウンセリングのとてもいいなあと思うところは、カウンセリングの「敷居」をすごく低くしてくれたこと。
ちなみに、カウンセリングに占いを持ち込むのはいかがなものか、という声があるのも知っている。療法家の数だけ療法があるようなこの領域の中、タロット占いをしてそれをカウンセリングの話題提供に用いるのに問題はないでしょう。(むしろ、療法にかかわらずカウンセリングの質を問題にすべきなのでしょう)
もっと言ってしまえば、療法家・カウンセラーによっては「話を聞くのは大切だが、だからといって話を聞いてそれで何が変わるというのだ」と露骨にクライアント中心療法を否定する人もいるくらいなのですから。
ちなみに、このタロットを用いたカウンセリングは、ブリーフセラピーのひとつと認識しています。

好きな療法家としてはパールズ、それからアドラー、フランクルなど。
たとえば「実存主義」は、私の写真集『人間遺産』のサブタイトルとして書いている「あなたは宇宙が遺したかけがえのない存在だと思う」というメッセージに符合していてとても好きだ。クライアントにそういうことを感じてほしいと思わなくはないのだが、それは私のエゴであって、ただ私自身がそういう思いでクライアントと一緒にいたい思う。
パールズのゲシュタルトの祈りについても以前書いた。(なまはんか心理学、のどこか)
日本人では、児童精神科医の崎尾英子先生を尊敬している。崎尾先生のことを書くと長くなるが、すごいなあと思うところを簡単に言えば「人の言っている意味がわかる」ところ。

最後に「ドムス」の意味について書きましょう。
ドムスとは、ドメスティック(内の、家庭内の、などの意味)の語源で、ラテン語で「かまど」の意味です。火を囲むのが家族であったし、同じ釜の飯を食うのが家族でした。そこから派生してドムスとは「家族」の意味を持つようになりました。今はドメスティックバイオレンスという使われ方が多いのですが、ドメスティック、ドムスにはもっと温かいものがあります。
それに、糸満市摩文仁の「平和の礎」の前に立つと、かまどさんの名前の多いのに気がついたのもまた理由です。沖縄では、そんなふうに古くから「かまど」を大切にしていて重要な意味があったのでしょう。
「ドムス」は、そうした家族のぬくもり・温かさを大切にしたいという祈りを込めてつけさせていただきました。


なお、もしお問い合わせなどがあれば、
私のホームページ「人間遺産」http://www.ningen-isan.com
「手前生国は・・・」(プロフィールのコーナー)に載せている
携帯電話かメールでお願いいたします。











(※1)
アドラーはこういった。

 誰かが始めなければならない
 他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない
 わたしの助言はこうだ
 あなたが始めるべきだ
 他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

ワークショップ「月に一度は男の集い」始めます [カウンセリング・心理のこと]

タイトルのような
「月に一度は男の集い」
という名前のワークショップを始めることになりました。
これに合わせて「沖縄ドムスカウンセリングルーム」のブログを
立ち上げようと思いましたが、間に合わなかったので取りあえず
個人的なブログにちらしのオモテ・ウラを載せてみました。
中身は読んでもらえたらわかる、と言ってしまっては身もふたもないので、
ざくっと言うと、
人間関係が(特にパートナーと)少し良くなったり、
もうちょと力を抜いて生きられたり・・・、
そんなことをめざすもの。男性向けのね。
7月以降も(8月はお休みで)、9月19日、10月17日、と続いてゆく予定。

最新の予定は、こちら


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なまはんか心理学(10)救世主って救われたい人なのね [カウンセリング・心理のこと]

このコーナー、とコーナーのせいにしてはいけない。小生がなまはんかなので、今頃「メサイアコンプレックス」ということばを知った。小生が下手な解説をするよりもいいと思うので、下記のものをとある所から引用させてもらった。※

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メサイアとは、メシア(救世主)の事であり、誰か困った人を見ると、一生懸命に助け船を出します。特に自分自身が不幸な状態から脱出したりすると、尚更、「世の為、人の為」に尽くそうとします。しかし、相手が胡散臭く思い、ありがた迷惑を感じていようとも、「自分がどうにかして上げねば…」と近づきます。この場合、本当に精神的に弱く、依存対象を探しているような人と出会うと、硬いタッグが組まれる事となります。それが「共依存関係」です。メサイアコンプレックスの人は教祖様のように崇められ、感謝され、自己愛が満たされていくでしょう。クライアントも依存対象を見つけられたので下僕として安心できるかもしれません。
しかし、メサイアコンプレックスの人の行為は、弱者を救っているかの様に見えますが、実は無意識の内に相手の自発性や生活力を奪い、人間性を奪うことに繋がっているのです。ですが、不幸にして相手も本人も気が付いていなかったりします。
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こうした関係が起こりやすいのは、たとえば看護師と患者のあいだ。なんとなく想像がつく。もちろんそれに限らず、たとえば母親と子どもの間でも起こるだろうし、心理的なサポートをするような仕事や、ボランティア活動をしている人においてもまた起こりやすい気がする。

この言葉に引っかかったのは、とある人間関係を見ていてずっと不思議に思っていたことがあったからだ。理屈を知ってしまえばメサイアコンプレックス的関係とでも言おうか、共依存関係であることがすうーっと見えてくる感じがするのだが。
それにしても、その関係はなんと25年に及ぶらしい!!
たとえばクライアント(引用にならってこういっておきましょう)が20歳で「救世主」に出会ったとしましょう。そしたら、今は45歳。
たとえばクライアントが30歳でメサイアに出会ったとすると、55歳。
大人の時間のうち、これだけ長い時間をメサイアと過ごしたわけで、これからメサイアとの関係を変えてゆくには莫大なエネルギーがいると思う。
メサイアが死んでしまえば、その関係が終了する。(のかな・・・?)
ところが、このケースの場合、メサイアは何人もいる。(正確な数は知らない)
で、あるメサイアが死んだとしてもメサイアは再生産されるシステムになっている。(たぶん)
ということは、このクライアントは死ぬまでメサイアの自己愛を満たすための奉仕活動をすることになる、ということなのだろう。
また、このケースの場合、なぜメサイアたちがメサイア(救世主)になったのか?にはちゃんと理由があるのです。それは、メサイアにもメサイアがいたのです!!!
だから救世主は本家メサイアをコピーしているにすぎないというか、ひな形にしているというか、こういう在り方がいいのだと自然に身につけているというか。
この本家の救世主ももちろん自分がメサイアであることには気がついていない。といいたいところだが、本家の救世主は心理関係の仕事をしているので、ひょっとしたら気がついているかもしれない。もしそうだとしたら、さすがにメサイアなどではなくデビルになってしまうわけだが・・・。











※メンタル・サポートNetwork

なまはんか心理学(9)EMDR・「キョロキョロ」ってどういうことかな [カウンセリング・心理のこと]

過日、心理療法家の友人M氏の紹介でEMDRを療法として開業しているT女史にあって、それを受けた。
EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)というのは、よくわかんないけど、目を動かして感度を鈍らせるように再処理する、みたいな意味だろうか。PTSDに非常に効果的なのだそうだ。学会もあるし、そのホームページもあるので、詳しく知りたければそちらを見るのが正確で早い。
実際に体験させていただいたT女史のお姉さまがわかりやすくいうには・・・
PTSDというのは、いわば記憶の瞬間冷凍のようなものなのだそうだ。強烈な体験の記憶がガチガチに瞬間冷凍されたままいつまでもそこに存在する、ような感じ。それってどうも具合が悪い。それで、まずはその冷凍記憶をいちど解凍してしまおうというわけだ。どうやって解凍するかというと、右脳と左脳に交互に刺激を与えると解凍するということが解っているのだそうだ。(もちろんそこでプロの療法家としての技が必要なわけだが)
それで、その解凍された記憶を、煮るなり焼くなり、ぶつ切りにしてどこぞに捨てるなり好きなやり方で処分する。すっかり始末が付いたら、頭の中で後片付けをして、はい終了・・・となる。
というようなこと。なるべく正確にと書いたつもりだが、間違っていたらごめんください。じゃなくて、ごめんなさい。
僕が受けたとき、どんな体験をまな板の上にのせたのか書いても差し支えないのだが、ビロウな話なので具体的に書くのは差し控えたい。
で、お姉さまからいわれるままに、映像やらを思い浮かべながらお姉さまの手のガイドに従って眼球を左右に動かす。僕の表現としては「目を左右にキョロキョロ動かす感じ」になる。
心理療法家の友人M氏からのメールでは
・・・・・
EMDRの眼球運動がなぜ効くかについてはまだ判っていないながらも、両側性刺激(左右にリズミカルな刺激)がよいとされていますから、イコール「キョロキョロ」(左右にリズミカルというよりちょっとランダムなニュアンスがある)と同じかはよくわからないです。・・・
・・・・・
と。このリズミカルな感じかランダムな感じか「キョロキョロ」のとらえ方に微妙な違いがあるようではあるけれども、ちょっと保留にしておきましょう。

話すときに目をキョロキョロ動かすのは嘘をついている証拠、などといわれるが、それは一般的にはうまいこと言うための言葉を探すというのはもちろんだと思うのだが、ひょっとしたら、加えてEMDRの理論と関連が出てくるのではないか、というのが僕の予想するところなんですが。
というのは、冷凍記憶を解凍するというのがこの場合の作業なら、「嘘をつくのはよくないと思いながら嘘をついている」という自分の心を護るためには、

嘘をついている→心に辛いものを感じるなあ→心が病気になりそうだ(凍結されそうだ)→この辛さをどうやって処理しよう→そうだ!「凍結されながら解凍」してしまえ!→目をキョロキョロさせたらいいだったな→右脳と左脳に交互に刺激がゆく→嘘をつきながら辛い気持ちが処理される

ということが自動反応的に瞬時に行われていると考えると、嘘をつきながら自分の心を護るということをするには、目をキョロキョロ動かすというのは、ちょっとは理にかなった行動に思えるが、どうであろうか。M氏からのメールには次のようにも
・・・・・
嘘をついている人がキョロキョロする場合、それがEMDRの機序と同じかは判りませんが、脳のいろんなところにアクセスしてうまい嘘を作り出そうといういわばクリエイティブな脳内活動をしているわけだから、目が動いているのだと考えれば、確かに須藤さんの書いておられるように、EMDRと似ているかもしれないですね。
・・・・・

T女史のEMDR療法を受けたときに、セッションの締めくくりに「T女史の指の動きを思い出すと、それで不快なことが完了する」ということをした。それ以来、ミニミニいやなことがあったときに、T女史の指が目の前を左右に動くのを目の前に映像化して、それを実行すると、なんとなくそのいやなことが小さくなる。

ところで、昨日の昼にM女史と沖縄そばを食べた。M女史は沖縄そばが大好きで、それにふーちばー(よもぎ)を入れるのがまた好きらしい。食べている最中のその不乱な目に嘘はなかった。





広辞苑が70ページだったらどんな感じかな [カウンセリング・心理のこと]

日本語は、単語の多い言語といわれている。どのくらいいっぱいかわからないが、特に感情表現の言葉が多いといわれる。ほかの言語の感情表現がどのようなものか僕は知らないので、今ここでの比較はできない。
しかし、たとえば「私」を言うにしても、俺・自分・拙者・小生・あたし・あたい・あちき・あっし・おいどん・儂(わし)・われ・わ(津軽方言)・わん(沖縄方言)・・・、ってなぐあいにたくさんある。
で、どの単語も同じような頻度で使われるかというと、あたりまえだけどもちろんそうじゃない。頻度の高い単語はとっても頻度が高い。そして、数が少ない。逆に、頻度の低い単語はとても頻度が低く、そうした単語の数自体は多くなる。頻度が少ないのは広辞苑ぱらぱらすれば、いっぱい見つかると思う。
今ちょっと思いついた単語なのだが「備忘録」。メモ帳のこと。ずっと前だけど、友だちと話していて、たまたまこの備忘録というのが口をついて出たんだね。そしたらその友だちに「おまえはいつの時代の人間か!?」ってびっくりされてしまった。自分でも何かの間違いで今の時代を生きてるのかなって、ちょっと思ってしまった・・・。
そうした一生のうち一回使うかな、たぶん使わないだろうなって思う単語が日本語にはいっぱいあって、そんなに使わないんだったら、じゃあそれをなくしてもいいかって言うと、そうなると困る。
「私」は窮屈でしょうがない。
じゃあ、なぜ英語では「アイ」しかなくて済むのか、僕は知らない。…あいすいません。
で、こういうことを長く書きたかったわけではなく、そんな無用に思えるものが、必要なのだ。僕が言っているわけではなく、老子先生が言っている。バカボンのパパも言っているのだ。
道が、自分が歩く足跡分しかないのだったらどうだろうか、というようなことを老子先生は言ってます。
広辞苑が70ページくらいになったらどうだろうか。

全く関係ないが、藤田まことがこんなことを言っていた。
「道を歩くときは、端の方を、貸してもらう気持ちで歩きなさい」
道をそれてしまった。それていいのだ。




道は歩くものなのだ! [カウンセリング・心理のこと]

『老子』を読んだことがあるわけではないし、これからも特に読む予定はないけどね、ちょっと知る必要が出てしまった。で、仕方がないから、ひとつには『マンガで読む中国の思想』のようなものをめくった。ほかには『くまのプーさんののんびりタオ』とかも。それに『バカボンのパパと読む「老子」』(ドリアン助川著)。オレとしては土理庵先生がおすすめ。
でね、読んでいるとね、たとえば「上善は水の如し」日本酒の銘柄としては知っていたけど、出典は老子だった。大器晩成などという言葉もここからきているんだよね。「柔よく剛を制す」などというのも。
そうそう「無用の用」なんていうのも出ていて、まあ、うちのブログのようなものとでもいいましょうか。いやいや、うちは無用の無用でしたか・・・。

「無為自然」は老子の中でもとても大事な考えのようなんだよね。でね、『バカボンのパパと…』に出ていたわけではないけど、オレがね、無為自然を平たく言い換えるとどうなるかというと
「これでいいのだ」
になるんだよね。バカボンのパパは、ほんと哲学者。
それから、これは土理庵先生の本に出ていたことだけれど、バカボンが言うんだよね
「原っぱにほおって置かれている土管の中は無限なんだよね」って。(細かいところ間違ってたらごめんなさい)
なんかわかんないけど、そうそうそんな感じって思っちゃうんだけど、オレって変かな。

でね、老子というと、道・タオ・TAOとどう言ってもいいけど、やっぱこれがないとね。
詳しくは老子を読んでもらうしかないんだけど、どうも、これが道だ、と言ってしまったらそれではなくなってしまうようなんだよね。だいたい、そんなふうにいえないし。不思議だよね。
オレのねイメージではね、野原のどこを歩かなくちゃならないとかなくて、好きに歩いたらよくって、それで、そこに咲いているタンポポを踏みつけながら歩くのか、愛おしくよけながら歩くのか、そんな違いな感じ。……よくわかんないよね。
違う見方をすると、ちょっとだけ気功道場みたいなところに行ったことがあって、そこの人がいうには、気の通るところは解剖学的にはないけど、ある、っていうんだよね。……ますますわかんないよね。
頭おかしくなっちゃうよね。

今日はこれまでなのだ。


これでいいのだ!





※ DJホットマンにちょっと頭をホットにされたうえに、バカボンのパパに頭を乗っ取られた口調で遊んでみたのだ!

なまはんか心理学(8)チームタカクラの石巻での足湯・カフェ活動の報告 [カウンセリング・心理のこと]

僕は日本カウンセリング学会というところの会員で、そこの認定カウンセラーというのになっていて(役に立ったことないけど)、で、認定カウンセラー会というのがあって、そこにいくつかの部会があって、そこのコミュニティ部会というのに顔をたまに出していて・・・。下記のものは、そこに提出した報告書です。報告書を出せと言われた訳ではないのだけど、交通費や宿泊費に認定カウンセラー会からいくらかの補助をいただいているので書いてみようと思ったのでした。
「ケアをする」というのと「マッサージをする」というところを、混同しないでいただければ幸い。
この報告書を書いたのは今年の7月ですが、現在は福岡県に住んでいるので、さすがに距離があって、僕自身は休止中。もし興味があれば、埼玉カウンセリングセンターまで。


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  2013/7 認定カウンセラー会 コミュニティ部会 報告資料 

   チームタカクラの石巻での足湯・カフェ活動の報告(※1)
      〜危機支援からコミュニティサポートへの移行の観点から〜


                     コミュニティ部会 須 藤 尚 俊(※2)


 私たちがおこなっている石巻での足湯・カフェボランティア活動は、震災の年の9月からですので、もうすぐ二年になります。慌ただしく一年目が過ぎ二年目もあっという間でした。何人に足湯をしたとか、どのくらいその場に来てお茶やコーヒーを飲んでいってくれたとかのデータもありますが、この報告ではそうしたことよりも、どのように関わってきたかを中心に報告したいと思います。これまでは危機支援としての観点からのアプローチでしたが、今後はコミュニティへのアプローチがさらに重要になってくるように思えます。そうしたことをふまえ、今までの活動を報告するとともに、コミュニティへのアプローチを考えてゆく参考になればと思っています。
 また、この報告はこの活動においての私自身の来し方を振り返り、そして、行く先を改めて見定める意味合いも多分にあるように思われます。そういう意味でも、諸先輩方のご鞭撻を頂戴できればたいへん幸いに存じます。
 尚、認定カウンセラー会に援助をいただいていること、その源になる皆さまお一人おひとりに深く感謝申し上げます。

                    ***

 この活動の提唱者で中心になってやってきた高倉恵子さん(※3)は、最初はキャンピングカーに、炊事道具やシュラフやら、キャンプ道具一式と足湯の道具を詰め込んで「とにかく石巻へ」(※4)という思いだけで、自分たちがそこのどこに行こうとしているのか、どうなってゆくのか想像もつかないままの出発でした。とにかく石巻に行かなければ、という思いに突き動かされての行動でした。石巻に行ってどうしたらいいのか、どうなってゆくのか、全く先が見えないままでの出発だったのです。

                    ***

 まず、私たちが「足湯」を実際どのようにやっているかを少し書かせていただきます。
 仮設住宅の集会所におじゃまして、ビニールシートを敷き、折りたたみ椅子、足湯用のたらい、ハンドクリーム、タオルなどを準備します。深くかけられる折りたたみ椅子にゆったりとかけていただき、ほどよい温度のお湯に足をつけていただきます。芳香入浴剤も少し入れます。どうしても殺風景な感じがぬぐえない仮設住宅の環境では、これを入れただけでも「いい香りだねえ」などと喜ばれることがよくあります。やる人によって多少の違いが出てきますが、私は、失礼しますねとおことわりをして、お湯につかっていただいているまま土踏まずや足の指などをごく軽くもむことから始めます。
 足をケアした次には、手・指のケアに移ります。左手の小指から一本一本揉みほぐしてゆきます。また、指と指の間の水かきというのでしょうか、そこも揉みほぐします。それから、手のひらを開くようにして手のひらのあちこちのツボを押します。専門家ではありませんからツボの位置が詳しくわかるわけではありません。相手の様子をうかがい、また、「このあたりはどうですか?」と丁寧に聞きながら行います。最後に手の甲から腕にかけて優しくさすりあげてゆきます。時間的には手に触れている時間が一番長いことになります。
 ひととおり終える頃には、足湯の熱がじんわりと全身に廻り、こわばった指の一本一本がほぐれてきます。そんなとき、椅子の上の顔もゆるみ心の中の何かも少しほぐれてきているような、そんなふうに感じられることがよくあります。
 手をもんでいる間、実際顔と顔が近くなりますので、ため息と一緒に出てくるようなささやきやつぶやき、そんな心の底によどんでいたような小さな声も私たちに響いてきます。そうした吐露に静かにしっかり寄り添うとき、被災した方々の問わず語りが出始めることが多いようです。そして、語られる言葉の一つひとつに、肩を並べて芝生に腰を下ろすように心を寄り添わせてゆきます。
 最近は、最後に肩をもませていただくようになりました。全くの私事になりますが、ご年配の方の細い肩に手をかけながら、お母さんにもっと親孝行してやりたかったなあと、母が思い出されてしまうことがあります。親不孝の償いをしているような気持ちになっている自分がいたりします。

テーブルには少しばかりですが茶菓子を出しておきます。日本茶かレギュラーコーヒーの希望を聞いて飲み物を出します。年配の方が多いのですが、コーヒーを頼まれる方が案外と多いものです。足湯を待つ間、また、終わってゆっくりしながら皆さん方でお茶とお菓子で世間話を楽しんでゆきます。住んでいた地域が違っていても、そこは同じ石巻の人たちで、話始めれば話題はつきなく、お話の時間を楽しみにいらっしゃる方もたくさんいて、人によっては月一回の大切なコミュニケーションの場になっているようです。そういう意味では、実際にコミュニティサポートとしての役割を担ってきた面もあるようです。

                    ***

「なぜカウンセラーが足湯なのか」「カウンセラーが足湯でもあるまい」という声がこの認定カウンセラー会の中からも聞こえます。カウンセラーですから、カウンセリングを本道として、それ一本でやるというのはすばらしいことだと思いますし、本来そうあるべきなのかもしれません。
 私の技量がもっとあれば問題はないのかもしれませんが、こうした環境での継続的なカウンセリングというのは、こちら側の制約も厳しいものがあり、被災した方々にしても敷居がとても高く感じられるのではないでしょうか。
 私たちチームタカクラは、被災した方々に寄り添うために足湯をすることを選び、足湯を入り口にして心を聴き心に寄り添うということをしてきました。そうして一人ひとりの精神的自立をめざし支援してきました。傾聴に重きを置いた個々を大切にする関わりに心がけ、アセスメントをチームとして共有しながらの関わりを、次にお会いしたときに生かしながら継続してきました。
 たかが足湯と思われるかもしれませんが、ここで継続してきた結果として生まれたコミュニケーションは、確かなものになってきているという実感があります。
 また、被災者に限ったことではないと思いますが、カウンセリングが必要であろう方々の中には、はなから受けつけようとしない方がたくさんいるのではないでしょうか。仮設住宅では、とても強くそう感じられてしまいます。私たちの足湯活動は、多少なりともそうした方々を丁寧に掘り起こすことにも役立っているように思えます。

                    ***

 足湯をしながら、被災した方々それぞれの物語が聞くともなくよく語られますが、その体験は人それぞれに重いものです。
 ある女性は「私は娘を一人家ごと流されたけれど、小さい子をふたりも三人も流された人もいるから、私はまあよかった方だと、我慢しなければならないと思うよ・・・」ということをいってらっしゃいました。70代とお見受けしましたので、娘さんは40代くらいだったのでしょうか。自分よりも大事だろう娘さんを流されて、それでも「これでもまだよかったほうだから・・・」と自分自身を納得させようとしていらっしゃるのを、私はただ胸を痛めながら聴くしかありませんでした。
 あるひとり暮らしのおばあさんは新しく建つ復興住宅に当たりましたが、それを素直に喜べないでいました。同じ仮設住宅には当たらなかった人もいます。それに、知人のほとんどいない仮設住宅でやっとささやかな人間関係を築いたのに、復興住宅でまた一から作り直しです。年老いてからの新しい人間関係作りは大変です。そうしている間にも、だんだんと体が不自由になってゆくだろうことを思うと不安が募るようでした。
 卒寿を越したあるおじいさんは、こんなことを話してくれました。「みんなここでの生活が大変だ大変だっていうけど、おれはシベリアに何年もいできたがら、ここは何でもない。そんなこと誰にも言えんけどな・・・」無口なおじいさんですが、最近は表情も和らぎ、そんなことをもらしてくれるようになりました。
 ある60過ぎの女性の方は、話の折に「私は、だんながまだ見つからないから・・・」ともらしました。一瞬寂しそうにしたものの、あまり表情を変えずに話すようすに、かえって悲しみの深さが感じられるのでした。
 被災したといっても、一人ひとり体験は違いますし、一つひとつ例を挙げればきりがありません。一見境遇が同じように見える仮設住宅の人たちには話せないようなこと、第三者としての私たちにだからこそ話せることもあります。活動を続けてきて、近頃やっと話しだしてくださる方もいらっしゃいます。あれから時間が経った今だからこそ話せる話も出てきます。それに、時を経た今になって出てくる孤独感や悩み、そうしたものを私たちに話してくださることもあります。
 毎月地道に通ってゆくことで、そうした人間関係・コミュニケーションが築かれたわけですが、これは新しい資源であり、これを基にしてさらに共同体感覚を高められるような関わりにしてゆきたいと思うのです。

                     ***

 仮設住宅団地は、様々な地域からの寄せ集め的な人間関係、人それぞれに違った被災状況、それに、プライバシーが保たれにくいということなど、人間関係を築きにくい条件がたくさん重なっています。あらぬ噂がたちやすく、それがまた関係を築きにくくし、ということが起りやすいようです。
 このような状況だからこそ、息づいているコミュニティ作り、共同体感覚を持てるようなコミュニティ作りが求められているように思えます。少なくとも、今関わっている仮設住宅団地では、コミュニティへの働きかけ次第ではコミュニティのもつダイナミズムが動き出し、より強い共同体感覚が生まれ、個々人の精神的自立をも促進できるのではないかと思えます。
 活動を始めてから2年が経とうとしている今、個々を支えることと同時に、地域で支え合うことを支えるということも求められているように感じます。このような段階の今だからこそ、チームタカクラとしてコミュニティという視点に重きを置いたサポートが必要なのではないかと思います。

              ***

 南海トラフ巨大地震が遠からず起こると言われているこの頃。今日起こっても不思議ではない巨大地震に、カウンセラーとしての私たちは、いったいいま何をどのように準備しておいたらいいのでしょうか。
 次の大地震を待たずとも、私たちは日々危機にさらされています。たくさんの自死をしてしまう方、自分の本意ではなくとも子どもを虐待してしまうお母さん、不慮の事故に遭ってしまう人・・・。朝家を出かけ、夕方家に帰ってくるのは、決して当たり前のことではないという現実。私たちもそうした危機を潜在的に抱え、それでもなお、カウンセラーとしての生き方を選択しました。
 そうした中で、人は一人では生きてゆけないという当たり前のことを、どのように伝えていったらいいのでしょうか。自分を支えてくれる共同体感覚、あるいは生きる意味を、どのように形成したらいいのでしょうか。カウンセラーとしてどのようにサポートできるのでしょうか。
 石巻に通いながらも、私自身はまだまだ手探り状態です。被災者の方からは教わることばかりです。現場で一人ひとり足湯をさせていただきながらコミュニケーションを重ね、次のステップを探ってゆく、それが私にとっては今できることのようです。
 今までは、おもに危機支援という観点から石巻で足湯とカフェの活動をしてきました。しかし、チームタカクラが関わっている石巻の仮設住宅団地は、目の前の危機を乗り越えるということから、息づいたコミュニティが必要な段階のように見えます。人が人らしくあるために、精神的自立を支援するために、コミュニティを視野においての活動が非常に重要になってきていると感じられるのです。








☆ 私自身は、3.11当日は仕事で中米ニカラグア共和国に滞在しておりました。宿泊していたところのテレビでCNN緊急速報を見たのが第一報でした。この活動には帰国後の参加になります。
☆ カウンセリングでは、ほとんどの場合相手の身体に触れないので、足湯のように直接身体に触れることに違和感を感じるカウンセラーが少なくないように思います。しかし、臨床動作法などは直接顔や身体に触れますし、必ずしも触れない訳ではありません。また、足湯の本来的な意義は、その人の中にあるその人が本来持っている力に働きかけること、とも言われています。そういう意味では、カウンセリングと足湯は、非常に近似しており、カウンセリングのひとつのあり方として足湯があるとも言えるのではないかと思います。

※ 1)チームタカクラという呼称は今回便宜的に使いました。「石巻班」と用いたりしていますが、ほかの方々が別行動で石巻で足湯をすることがあってももちろんいいので「石巻」「足湯」を独占している感じは避けたいと思いました。それに、被災地支援活動は、さまざまな内容・方法があって当然だと思いますが、このチームはこのチームなりのやり方でやろうという意味合いでもあります。
このレポートはチームタカクラの石巻での足湯・カフェ活動の報告ではありますが、高倉さんの了解を得て個人的に書いた活動報告です。また、認定カウンセラー会の補助金に対しての活動報告書ではありません。
※ 2)須藤尚俊(すとうなおとし)フリーのフォトグラファー、エッセイスト
H.P.「人間遺産」は人間遺産で検索  ブログ「壺の中」は壺の中・須藤で検索かH.P.から
※ 3)高倉恵子(たかくらけいこ) 埼玉カウンセリングセンター主宰
H.P. 埼玉カウンセリングセンター で検索 
※ 4)高倉さんは振り返ってこんなふうに話してくれました。石巻は被害が非常に大きかったにもかかわらず、報道が控えめで被災状況がわかりにくかった。実際に行って見て感じることが第一歩だという思いで石巻になった。また、石巻ではボランティアを必要としていながら手が足りないところが多いのでは、・・・そんな直感もあった、と。

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なまはんか心理学(7)ケイチョウを問う [カウンセリング・心理のこと]

全く恥ずかしいことだが「傾聴」の意味を考えたことさえなかった。考えたことがあったが、全く勘違いしていたという意味ではやっぱり考えたことがなかった。「よく聞きなさい」などとしょっちゅう言われてきたが、傾聴とはどうもそういうこととは意味が違うようだ。その本※には、ロジャーズは傾聴について次のように言っていると書いてある。

「クライアントは相手が自分の感情に受容的に傾聴していることに気づくにつれて、少しずつ自分自身に耳を傾けるようになっていく。彼は自分の中から伝えられるものを受け取り始める。・・・
自分を傾聴することを学習すると、彼は自分自身に対してより受容的になれる。自分が隠してきた恐ろしい部分をより多く表現するにつれて、彼はカウンセラーが自分や自分の感情に一貫した無条件の積極的関心(肯定的配慮)を向けているということに気づくのである。彼は少しずつ自分に対して同じような態度をとるようになっていく。つまり、ありのままの自分を受容するようになり・・・」
難しくて僕にはよくはわからないけれども、何かとても大切なことを書いているような気がする。


ある学派のある先生が酒の席でこういった。
「傾聴するなんていうのはカウンセラーとして当たり前のことで、話を聞いて治るんなら苦労しないんだよ。プラス自分の技法がなきゃだめなんだ」と。定年を十数年もすぎた今でも論理的に少し早口で話す頭の回転のいい先生。そういわれるとそうなんだろうなと思うことは思うのだが、すっきりとそう思えないのはなぜかと考えてしまう。
僕自身を振りかえれば、人の話をよく聴くことができるようになるまでに人生が終わってしまうと思う。僕の生きているベクトルの向きが、僕自身納得できるものならそれでいいと思っているので、まあ、それはそれで全くかまわないのだが。
ちなみにその先生、初めの頃はお会いするたびに名刺を差し出してくださって、断るのもなんだかいい言葉が無くてそのたびにちょうだいしたので、先生の同じ名刺を3枚もっている。












※ 諸富祥彦著『はじめてのカウンセリング入門 下』(誠信書房)

なまはんか心理学(6)かなりピンぼけ [カウンセリング・心理のこと]

宿泊施設の小さな風呂の洗い場で、諸富先生※と隣り合わせになった。シャンプーを手に出しながら諸富先生はこんなことを話しかけてきた
「すとうさんは、ゲシュタルトがいいですよ、ゲシュタルト」
以前にも何度かお会いしたことがあったので、名前を覚えてくださっていた。
「ゲシュタルト?ですか?」と僕。
諸富先生
「そうそう。合うと思うよ、きっと」
「そうですか・・・」
それだけの会話だった。伺いたいことはたくさんあったが、そのあと頭をごしごししてシャワーで洗い流して、なんとなくそれからの続きを話す感じでもなく、そのままになった。諸富先生は僕のどういうところを見てゲシュタルト(療法)が向いているとおっしゃったのだろうか。諸富先生はそんなことは忘れていらっしゃるだろうが、いまだに謎は残されたままだ。

ゲシュタルトの話しを書くつもりではなかった。(すでにピンぼけだ・・・)
あれは諸富先生のフォーカシングの研修会※に参加したときのことだった。フォーカシングといっても写真の研修会ではない、心理の世界のことだ。

フォーカシングというからには焦点を合わせるということになるけれども、じゃあ何にどこに焦点を合わせるかというと、自分の体の「何か意味のある体の感じ」に意識を合わせる、ということになるのかなと。たとえば、顔が火照る、といってもかんかん照りの下を歩いて顔が火照るのと、好きな女の子の前で顔が火照るのでは意味が違ってくる。後者の方は心の動きと関係するわけですよね。
ユージン・ジェンドリンがこのフォーカシングという技法を考えたのだけれども、カウンセリングをしてゆくうちに、治療的効果が現れる人、全く変わらない人がわかるようになったというのがそもそものヒントだったようで、そこを注意深く見てゆくと、効果が現れる人は体も何かしら反応していることに気づいた。じゃあ逆にそこをとっかかりにして心の声を聞くことはできないかと考えたわけです。つまり、「顔が火照っている」ということに焦点を当てて注意深く意識を向けてゆくと「この子のことが好きなんだ」と気がつく、そう考えたわけです。
そして、それを体系化したのが、今のフォーカシングということになるのかなと理解しているのですがどうでしょうか。

埼玉の閑静なところ(田舎ともいう)にある宿泊を兼ねた研修施設に一泊二日。
一日目の研修が終わり、夜は和室で諸富先生を囲んでの楽しい宴会が始まった。諸富先生は風呂にも入ってさっぱりとし、服装も楽な感じでビールから始まった。ほろほろと酔いがまわり始めると、諸富先生があのお人柄で受講生にカウンセリングのまじめな話しを折りませながらも楽しい話しを連発してくれるから、ちょっとまじめになったかと思うと爆笑に次ぐ爆笑の大盛り上がり。お酒が足りなくなって、誰かが寝酒に買っておいたウイスキーを提供したり。研修会場と宿泊するところが同じところという気楽さから、酔いのまわりがまたいい。大盛り上がりの宴会は延々と続いた。

二日目、研修室でおはようの挨拶と一緒に目を合わせると、夕べは楽しかったね・・・、という表情になるが、だれもが疲れ気味な感じは否めない。
セッションが始まった。フォーカシングでは、実際に自分の体に焦点を当てる人(フォーカサー)とそれを聞きながらサポートする人(リスナー)が二人ひと組になっておこなわれることが多いが、そのような形での演習が始まった。二人ひと組になって研修室に散らばっていすに座る。たまたま僕が座った位置からは、研修室全体が見えた。

僕の目の前のフォーカサーは目を閉じて、ゆっくりとフォーカシングを始めた。
片手が胸の中央あたりに触れ、
フォーカサー「このあたりに少し違和感が・・・」
リスナー「胸のあたりに違和感が・・・」
(間)
フォーカサー「そう、なんていうのかな・・・。むかむかする感じっていうのかな・・・」
リスナー「むかむかする感じ・・・」

僕の頭にはハテナが浮かんだ。フォーカサーへ意識をそのままやりながらも、ちらと部屋を眺める。胸に手を当てている人が多いようなのは、気のせいではない。
むかむかする感じ?二日酔いにピントが合っている・・・ってこと?
役割を交代して、今度は僕がフォーカサーをやる。静かに体に意識を持ってゆく。
しばらくして、僕も胸のあたりに違和感を・・・。僕はあきらかに二日酔いだった。そして、動きの悪いオートフォーカスは胸のむかむかに焦点を合わせようとする。
人生に意味のないことなど起こらないともいわれるが、このかなりピンぼけフォーカシングにもまた意味があったのだろう。と思うことにしよう。・・・それにしても楽しい宴会だった。
ジェンドリン先生、諸富先生、こんなフォーカシングですいません。












※諸富祥彦先生
http://morotomi.net/
http://ja.wikipedia.org/wiki/諸富祥彦

※埼玉カウンセリングセンター主催の研修会だった。ここが開催する研修会はリーズナブルな料金でいいものが多いのでよく参加していた。
http://npo-scc.jp/
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なまはんか心理学(5)我が心のタコ社長 [カウンセリング・心理のこと]

ゲシュタルト療法では徹底的に「いま、ここ」にこだわるのだそうだ。たとえば昔起こった問題でも、今それを引きずっているとしたらそれは「今」の問題ととらえる。
僕はカメラマンを生業としている。言うまでもなく、写真はいつでも「いま、ここ」なのだ。当たり前すぎることだ。いまここでじぃーっと凝視して、いまここでシャッターを押す。「いま、ここ」にこだわるも何もない。打ち合わせやセレクト作業はあるものの、「いま、ここ」でシャッターを押すということが核になって、一枚の写真を作ってゆく。そうでないとカメラマンは飯が食えない。

同じカメラマンといっても、撮影内容も仕事の受け方も人によってまちまちで、もちろん写真に対する考え方も千差万別。で、僕はどんなことを長くしてきたかというと、雑誌全般、会社・大学案内のパンフレット、地方にいっての紀行・取材もの。そうしたものが多かったが、それらの仕事の中で人物を撮影することが多かった。ポートレイトもそうではあるけれどもインタビュー中の写真を撮ることも多かった。それに、依頼の仕事でなく、自分自身の作品としても、いろんな国に行ってポートレイトを撮るということをしてきた。
ファインダーを通して、インタビューに答えるその人をじぃーっと見る。考えてみれば、人をじぃーっと見続けるというのは日常ではちょっと考えられない。けれども、仕事ということと何よりも「レンズを通して」ということで、1時間近くもまじまじと人の顔を凝視する。アングルを変えたりしながらその人の何かを感じ何かを撮ってゆくことになる。

あるとき太宰久雄さん(もうお亡くなりになりましたが、寅さんに出てくるあのタコ社長です)を撮影する機会があった。
そのときご丁寧に名刺をくださったということもあって撮影した写真を一枚贈らせてもらった。そしたら後日太宰さんからお電話があって、頂戴した写真は本当に私らしく写っているので、もしさしつかえなければ宣材※に使いたいので50枚プリントして売ってもらえないかと。太宰さんのような方が、それでも宣材を作って前向きにやっていらっしゃるということに凄いなあと感動し、そしてまた太宰さんのような一流の役者さんに僕が撮った写真を「本当に私らしく写っている」と評価してもらえたのがとても嬉しかった。カメラマン冥利、といってもいいのかもしれない。太宰さんは、あの一枚のゲシュタルトは美しく完成したものだと教えてくれたのだと、今になって思う。
電話口で料金を決めかねている僕に、いい写真を撮っていらっしゃるのだから遠慮なく料金をおっしゃってくださっていいいのですよ、と優しくおっしゃってくださった。

タコ社長の太宰久雄さんは指をあごに当てて話す癖があった。目線はやや上目で遠くを見るような感じ、そしてインタビュアーの言葉を頭の中で反芻し、言葉を選ぶようにしてゆっくり丁寧に話していた。静かな物腰の方だった。あえてひと言で印象を言うならばジェントルマンだった。

「男はつらいよ」では、寅さんが寅さんでいるためには、タコ社長は不可欠な存在だった。欠かせない「地」だった。
タコ社長、太宰久雄さんの奥さん宛の遺言、
【葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者の為に煩わさるべからず。】※
これをどんなふうにとったらいいのかは、よくわからない。太宰さんがそのような用語を使いはしなかったと思うが、たとえば、生者を「図」死者を「地」、そんなふうに見ていたとはとれないだろうか。
そんなことをつらつら考えると、役者としても生き方としても「地」を作ることにかけた人生だったのかもしれないと思う。大げさに言えば「地のゲシュタルト」を作り上げた人生だったとはいえないだろうか。
そして、太宰さん本人にとっては「地であること」それこそがまさに「図」であった。

「地」に意識を持ってゆかなくてはならない。「地」の中に新しい気づきやヒント、そうしたものが隠されている。パールズはそう教える。
ふだん意識に上らない「地」は広い。エベレストは目で見ることができるけれども、海の底にはそれよりもはるかに深い海溝が延々と広がっているのに似ているかも知れない。
タコ社長を想うとき、広大な大地を鍬を持って耕しては休み、そして、顔を上げてあの笑顔で陽をあびるタコ社長、僕にはそんな光景が思い描かれてしょうがない。
僕自身「図」と「地」のこともよくわからない。それでもあえて言わせてもらえば、「地」と「図」のことはタコ社長、太宰さんの生き方にとても大切なヒントがあるように思える。










※宣伝材料の略だと思う。営業用に使う写真付きのプロフィールをこの業界ではこういっている。
※朝日新聞、天声人語に掲載
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なまはんか心理学(4)ゲシュタルトの祈り [カウンセリング・心理のこと]

ここにはフレデリック・パールズというゲシュタルト療法の創始者のことば「ゲシュタルトの祈り」と題されたものについて少し書きたいと思う。この言葉も手帳にはさんでから何年にもなる。ゲシュタルトとは四国の銘菓、一六タルトのようなお菓子ではなく、ドイツ語で「かたち」とか「全体性」とか「まとまった全体」のような意味らしく、「意味のあるまとまったひとつの全体像」というように表現しているものがあったが、個人的には解りいい感じがする。またその全体は「全体とは部分の単純な総和以上のものである」などとも言われるのだそうですが、僕にはすぐにわからなくなって、一六タルトの渦巻きがハテナの形に見えて頭の中を埋める。

それで早速「ゲシュタルトの祈り」と題されたものを書きたいところなのですが、ところが訳がいろいろとある。先のものでは國分康孝先生が訳していらっしゃるし、自分自身がすっきりくるような言葉に訳している人もいるし。ところが、その訳の違いによって微妙に意味が違ってくるようで、その違っている「そのところの言葉」に胸打たれたなどと、ネットを見るといろいろと出てくるわけです。というわけで、胸打たれないように橋田壽賀子テレビドラマ風にしてみました。※


「ゲシュタルトの祈り」
わてはわてのために、あんたはんもあんたはんのために生きてます。
わてはなんもあんたはんの期待どおりに生きるためにいるわけやおまへん。
あんたはんやて、わての期待どおりに生きるためにいるわけやおまへんやろ。
わてはわて。あんたはんはあんたはん。
ほんで、出会うことがおましたら結構なことでございます。
そうあらへんでも、それもまたようございます。


題の「ゲシュタルト」とはこの場合いったい何をさすのだろうか。単に「ゲシュタルト療法としての」という意味には思えない。この場合の意味のあるまとまったひとつの全体像とは何だろうか。そして何を「祈る」のだろうか。人それぞれが自分自身のために生きることを祈っているのだろうか。この言葉を手帳に挟んだときに確かにそのことを考えた。このタイトルは何を意味しているのだろうかと。そして、そのままになって忘れ去られていた。
パールズはワークの時に好んでこの言葉を使ったということらしいので、何かゲシュタルト療法の神髄に触れる意味があるのだろうか。謎解きのヒントを残したような言葉に思えてしまう。

ところで、ゲシュタルトの箱を開けば必ず出てくるのが「ルビンの盃」という絵。盃が真ん中にひとつある、と思いきや、その盃を挟んで「ふたり」が向かい合っているというようにも見える、というあの絵。地と図を説明するのに使われている有名なもの。意識にあがったものが図となりそうでないものが地となって云々・・・、と説明される。
僕は今わざわざ「ふたり」にカッコをつけた。僕が勝手に見解するには、これは「ふたり」ではなくて「あなたと私」なのだと思う。あなたはあなた、私は私として存在している。しかし、実は切り離すことはできない。あなたと私は、気づいていようがいまいが繋がっている。そしてあなたと私が作り出しているものは盃。盃というのは勝利のシンボルであったり愛のシンボル※であったり(するんじゃないかなぁ・・・)。

そういうことをふまえてもう一度「ゲシュタルトの祈り」を振り返ってはどうだろうか。
あなたがあなたとしてそこにいて、私が私としてそこにいる。自分自身の人生を生きるためにそこにいることは、とりもなおさず二人で盃を作ること。そんな関係が人と人の間に生まれたらそれはとても素敵なことだ。いろんなかたちの盃ができるだろう。盃ができないことも含めて。
ある解説では、今私たちはポジティブであることをよいことと訓練されているが、パールズによればこれは自虐でありポジティブ教の信者なのだと。
「出会うことがなくても、それもまたそれでいい」この言葉には、あるがままを受け止めるゲシュタルトの精神が集約されているというのだ。※

あなたはあなたというひとつのゲシュタルトをなしていると考えられないだろうか。そのゲシュタルトの総体としての地球上に住む人類全体もまたひとつのゲシュタルトをなしているといえないだろうか。そうだとしたら、私は何を祈るのだろうか。
足を大きく組んでたばこをすっぱすぱ吸いながらクライアントに向き合っていたパールズ。※パールズは胸の奥深くで何を思っていたのだろうか。
パールズご夫妻特製の「ゲシュ」タルト。味わい深いが、僕には消化するのにまだまだ時間がかかる。












※本当はこんな感じ

「ゲシュタルトの祈り」
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。
私は私。あなたはあなた。
私たちがたまたま出会うことがあれば、それは素敵なことだ。
そうでなくても、それもまたいい。

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
ICH BIN ich und DU BIST du -
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
(原文っぽいのが出ていたので拾ってみた。原文かどうか知らない)

※タロットではカップは愛のシンボルでもあったように思う。それは、カップつまりそれに入る水は、相手の心の、その心のかたちに合わせて心を満たすから、というようなことを読んだような気もするがさだかではない。

http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html
上記ドイツ語もここからの引用。

※「グロリアと3人のセラピスト」
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なまはんか心理学(3)また飲もうよ、いーぽん [カウンセリング・心理のこと]

母が亡くなった秋の年明けでしたから、もう2年ほど前になるでしょうか、「実存主義的カウンセリング」(だったと思う)というタイトルの研修会に参加しました。「実存主義」とはということになりますが、いまだにこんな基本的な意味さえも実は僕にはよくはわからないのです。(こういうところが生半可もいいところ)
その研修会ではお手伝い係もしていたので、先生とも直接お話しする機会がありました。年明け早々ということで、たまたま母の喪中はがき※を持っていたのですが、どういう話しの流れだったか、先生にそれを見せたら、その先生がおっしゃるには
「これがまさに実存ですよ」
と。そういわれても私の頭の中は?????でいっぱいなわけです。

後日また先生とご一緒に何人かで晩ご飯を食べる機会があって、その時に聞いたんですね
「実存ってどういうことですか?」と
実存ということを自分なりに言うと、と前置きして
「交換不可能な存在としていること」とおっしゃっていたように記憶しています。
僕なりに考えると、たとえば市役所の住民係の窓口の担当は交換可能ですよね。いずれ定年退職したら担当が変わるわけで、交換不可能だったら大変なことになってしまう。小澤征爾の指揮は交換可能かというと、これは不可能でしょうね。OZAWAはOZAWAなわけです。

錦糸町の居酒屋で友達のいーぽんと飲んだときのことです。混み始めて忙しい時間、通されたのは向かい合わせの二人用の席。そして通路を挟んだ向かいにも同じような席。向かいには話の内容から競馬帰りのお二人。
彼らは頼んだあれはまだかとか、酒を早く持ってこいとか、取り皿がないとか、すこし乱暴な命令口調で言うわけです。働いているのはアルバイトだろう20代の女性。仕事なのでやることはやるのですが、見ているとどうも向こうのお客さんには愛想が悪いというか、事務的にというか、つまらなそうでそっけない。僕らにはいい感じで対応してくれる。笑顔だってある。何か違う。僕らがいい男たちだから、では決してない。(そんなに自信をもって否定しなくてもいいが)どうも、僕らはつまみやお酒を持ってきてくれるたびに嬉しそうに「ありがとう」を連発していたからのようなのです。持ってきてくれたので「ありがとう」をいう。そうすると彼女としても悪い気はしないので、自然に笑顔もでる。笑顔で給仕されれば僕らも悪い気はしない。そんなことが何かいい方向に関係を作ったようなのです。注文したのは焼き鳥とかそんなものだったけれども、何かいい感じで料理もこころなしか美味しくなっていった気がしました。
向かいに対してとこちらに対してでは、彼女の働く気持ちの何かが違う。向かいの二人に対してと僕らに対してでは、彼女の細胞の一つ一つにとって、大げさに言えばが生きている意味が違っているように感じられるのです。
市役所の住民係の窓口の担当も、その仕事をする人という意味では交換可能だけれども、その人自身は交換不可能なわけだし、そこでの在り方によってはそこでも交換不可能な存在になるのではと思います。居酒屋のアルバイトの彼女は、僕らには交換不可能な存在だった。

フランクル※は、人生の意味ということを深く考えてきたようです。
彼はロゴセラピー(ロゴというのはギリシャ語で「意味」という意味だそうです)の創始者で、Wikipedia※によると「ロゴセラピーとは、人は実存的に自らの生の意味を追い求めており、その人生の意味が充たされないということが、メンタルな障害や心の病に関係してくる、という見解を基にしている。」のだそうです。僕にはよくわかりませんが。もちろん彼は人生には意味があるということをいっています。

「交換不可能な存在」ということばを、自分なりに咀嚼した言葉で言うと「かけがえのない存在」という表現がしっくりくるような気がします。
ちょっとイメージしてみて欲しいのですが、あなたがそこに立っていて、それをぐうっと遠くから見ると、あなたはそこに小さくぽつんと立っていて、それをまたぐうっと引いてみると、あなたは地球のそこだろうところに見えなくなっているけどいて、それをまたぐうっと引いてみると、天の川銀河の中に全く見えないけれども確かに存在している。それはあなたの命で、かけがえのないもの。宇宙の彼方からこうしてみると、全く見えない存在ではかないけれども、確かにあなたはかけがえのないものとして存在している。
宇宙は広いので、ひょっとしたら宇宙のどこか遠いところに、あなたと全く同じ遺伝子を持ったヒトが絶対に存在しないとは断言できないけれども、それでもそれはあなたではなくてまったく違う存在。あなたはあなた。あなたはあなた。

あなたは宇宙が遺(のこ)したかけがえのない存在だと思う。

こんな表現が、僕にはぴったりくるように感じられます。
あなたの存在あるいは人生に意味があるかないかはさておいて、僕自身の存在あるいは人生に意味があるのかというと、僕は知らない。
僕のある尊敬する方が全く冗談というわけでもなく
「人生なんて、まあ、暇つぶしみたいなもんだね」
と言ったことがありました。
全くその通りと思うわけでもないのですが、そういう考え方もそれはそれでありだな、と思うのです。
自分の存在がかけがえがないと思えるとき、なぜか命が愛おしい。それがどうしてなのかは僕にはわからない。
一緒に暇つぶしをするその命もどうしてかはわからないけど、またたまらなく愛おしい。
また一緒に飲もうよ、いーぽん。







※「母の喪中はがき」というタイトルで先に書いていますので、よろしければ参照してください。
https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=36890644

※フランクルの本を読んで「人生には意味がある」ということが、僕にはまだすっきりとは飲み込めません。彼の本からは、むしろ「自分らしく生きて欲しい」「充実した人生を生きて欲しい」そんな人の幸せを願う激しい思い、もっと言ってしまえば愛が感じられるのです。そういう意味で大好きで尊敬する先人の一人です。教員をしていたときに、授業の中でフランクルがアウシュヴィッツ収容所での体験を書いた『夜と霧』を紹介したことがありました。高校1年生のかれらが、その時に限っては真剣に話を聞いていたのを印象深く覚えています。

※先日このWikipediaで諸富祥彦先生の項を見ていたら、大のプロレス好きでリングネームはゾンビ・ザ・グレーテストで、ということまで書いてあったが・・・。誰が書いているのか知らないが、不思議な辞書だ。

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なまはんか心理学(2)エリス先生への手紙 [カウンセリング・心理のこと]

で、その論理療法、認知情動行動療法は、もとはA・エリスという先生が考え出したということらしいんですね。
話がそれるようですが、僕は怒りっぽいところがあって、自分自身の中の「怒りの感情」とどうつきあうかというのは、なかなか大きなテーマでした。(今でもそうではあるのですが今は「地」になっていることが多いようです)そんなときに、S先生に教えられてA・エリスの著書『怒りをコントロールできる人、できない人』という本を読んだんですが、それは僕にはしっくりくるものがあって、いい一冊との出合いとなりました。怒りは人間関係を壊し、一度の人生を破壊する強烈な力を持っていると思います。自分の中のその力とどのようにつきあうかというのは、少なからぬ人にとって難しい問題のようです。なかなかお勧めなのですが、だからといって人に勧めると「あなたは怒りっぽいから、これを読んでみたら」ということになりかねないので、やたらに勧めるわけにもゆきませんが。

はなしをもどします、
僕が尊敬しているおひとりであるS先生の集中講義に参加させてもらったときの話しです。ちなみにS先生は非常に優秀な方でしかも大変な努力家。出会えて本当によかったなあと思う先生のお一人です。そのS先生が言うには「A・エリスは『人は幸せになるために生まれてきた』と言っている」というのです。(言葉尻は間違っているかも知れません。)それが認知情動行動療法の基本的にある概念だということです。幸せのかたちは一人ひとり違うのでしょうが「幸せじゃあないけど、まあ、このままでいいや」といったら、わざわざ頭の中で考えてそれからわざわざ行動を変えるという必要はない、ということになってこの療法自体、存在意味をなさなくなるということなのでしょうか。
35歳頃だったでしょうか、僕自身も「人は幸せを味わうために生きているんだ」と思っていたことがありました。その頃は自信をもってそう思っていました。ですが、今はそうは思えなくなりました。
これだけそれぞれの人生があって、時には、一生逃れることのできないどうしようもない悲しみや不幸な出来事が訪れることもある。そう思いますがどうでしょうか。そうしたときに「幸せ」って何なのでしょうか。
認知情動行動療法は、非常に優れた心理療法のひとつだと思います。ただカウンセラー・療法家もいろいろいて、こころシステムのどういうところにフォーカスしてクライアントに向き合うかというのはそれぞれ大きく違う点になるのではないでしょうか。
S先生の集中講義では、レポートの必要はなかったのですが、自分自身のまとめとしてこんなことを書きました。少し手を入れて載せますが主旨は同じです。(講義の中でアウシュビッツの収容所を体験した心理学者ヴィクトール・フランクルのことも出てきたのでそれについても少し書きましたが、その部分は割愛)

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「エリス先生への手紙」

エリス先生、たとえばですがこんな状況を考えてみてはどうでしょうか。
僕の所に赤ちゃんが生まれて、その赤ちゃんが体が悪くて、あと1時間の命。生まれてわずか1時間の命。たとえば、こんな状況を想像してみたいと思うのです。
僕は、この赤ちゃんを前にして、「あなたは幸せになるために生きているのだよ」というのだろうか。いえるのだろうか。僕はそうは言わないと思うのです。おろおろと泣きそして強く抱きながら、百万回の「ごめんね」と百万回の「ありがとう」と繰り返すような、そんなふうに思うのです。僕たちの所に生まれてきてくれてありがとう、そして、こんな体に生んでしまってごめんね、そんな気がします。
もし隣にエリス先生がいらして先生が
「この子は幸せになるために生きているのだよ」
とおっしゃたら、僕は泣きながら先生に何というのでしょうか。
「先生に何がわかるというのですか!」
とでもいうのでしょうか。
それともただ沈黙するのでしょうか。
エリス先生に同じようにこのようなことが起こったとしたらどうでしょうか。先生は
「それでもこの子は幸せになるために生まれてきた」
とおっしゃるのでしょうか。
繰り返しますが、私にはとうてい言えないと思います。生まれてきてくれたこの子を、愛おしく抱き、温もりを感じ、そうして1時間という人生をともに過ごすだろうと思うのです。僕たち親子にとってどういう意味があるのか、なかんずく赤ちゃんにとってどういう意味があるのか僕にはわかりませんが。
トイレに産み落とされてそのまま死んでしまった赤ちゃんのニュースを聞いたりもします。幸せになるために生まれてきた、といったらあまりにも「幸せ」は空虚ではないでしょうか。
たとえばということで1時間の命などを考えてみましたが、それが2時間だったら本質は変わるのでしょうか。1日だったら、1ヶ月だったら、1年だったら・・・。
エリス先生、僕には幸せがまだまだわからないようです。

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僕が想像するには、エリス先生はそれなりにいいところの出身で、いい教育を受けて、勉強したいと思ったことを勉強して育ってきたのではないかと思うのです。人ですからいろいろとあったとは思いますが、おおむね「めぐまれた」人生だったことと思います。
ですが、世の中そんな人ばかりじゃあないなあと、つくづくと思うのです。言ってしまえば、生きたいと思ってもいきられない人もたくさんいる。不幸を絵に描いたような人生もたくさんある。
先日ドイツに行く機会がありましたが、そこと今これを書いている中米のN国では、QOLがとんでもなく違いすぎる。オーストリア、ドイツ、アメリカ、イギリスなど、成熟した(といってよければ)国で心理学・カウンセリングが発展した訳ですが、そうした国の目線からこころシステムを見てゆくのには、抵抗がある感じがしてしまうのです。胸の中心、肋骨の下、みぞおちの少し上あたりになにか引っかかるものを感じてしまうのです。

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なまはんか心理学(1)「なんだおかまかよ論」 [カウンセリング・心理のこと]

はじめにお断りしなければなりませんが、カウンセリング・心理学をしばらく学んではきましたが生半可な知識しかありません。でもそれなりに勉強した甲斐があってカウンセラーではあります。※まだまだ道は遠く、東海道五十三次でいえば、日本橋を出て高輪のあたりでしょうか。ちなみに、なまはんかとつけましたが、とんちんかんで生半可です。ではありますが、いいかげんにやってきたのではなく、仕事の合間に自分なりに放送大学のテープを聴きに行ったり、ご紹介いただいた先生の勉強会に参加したりと、素人なりにそれなりにがんばってやってきたつもりではあります。
ここには学派やその他にあまりとらわれないで、思うことを書きたいと思ってます。
間違いや勘違い、それこそとんちんかんなことなども出てくるかも知れません。勉強不足故の失礼も出てくるかも知れませんが、諸先輩・先生方にはご鞭撻、ご指導をいただけましたら幸甚でございます。



さて、早速その生半可さがばれてしまうわけですが、・・・
論理情動行動療法は、今の日本では人気のある療法のひとつで、ざくっと言うと「物事のとらえ方が変わると、気持ちが変わる。物事のとらえ方は時には不合理なこともあるから※、その不合理なところをちょっと見直してみると気持ちが変わりますよ」というもの。
感情(情動)は、それが「こころシステム」の中で独立しているのではなく、先に感情が発現するのではなく、実は認知(物事のとらえ方)によっているというもので、わかりやすい(と思うのですが)例を挙げましょうね、このたとえはオリジナルです・・・・

同性の友達Aとお昼を食べにゆこうとお店を探しながら歩いていた。
すると向こうの方からとっても素敵な女性が(あなたが女性なら男性が)やってきた。
(あなたの好みの素敵な異性の姿を上から下まで思い描いてくださいね。そうです、そうです、いいですね、いい感じに描けましたね・・・)
Aも気になるらしいようすで、私に言うには
「ごめん、ちょっと彼女(彼)に話しかけるからご飯は今度にしよう」
と。私も気になるから、先を越されたというか抜け駆けされたようでおもしろくない。それで、ちょと思いつきでこんなふうに言う
「ああ、わかったよ。でも大きな声じゃ言えないけど、あれ、この辺で有名なおかまだよ」
と。それを聞いたAは舌打ちしていう
「なんだ、おかまかよ」
それで、Aの燃え上がり始めた気持ちは一瞬にして冷めてしまう・・・。

というもの。ちなみにこれを『なんだおかまかよ論』と名付けています。本当は「論」といえるものではないのですが。
沖縄に住んでいたときに、琉球大学の論理情動行動療法の先生に話したら「これいいね。大学生にはぴったりだね。今度使わせてもらっていいかな」といわれたので、相変わらずの手前味噌ながらナイスなたとえなのだと思います、きっと。
目の前の「素敵な女性(男性)」という事実は変わらないのに、それを「女性」ととらえるのと「おかま」ととらえるのとでは感情(情動)が変わる。(もちろん、それでかえって気持ちが燃え上がる人もいるでしょうが、いずれにしても)







※2006年、日本カウンセリング学会認定カウンセラー取得。
※たとえば、「誰からも好かれなければならない」というのは、日本人が持ちがちな観念。アメリカ人のほとんどははじめからそんなことは思わないらしい。
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