SSブログ
カメラマンになる周辺など ブログトップ
- | 次の30件

井上ひさしさん [カメラマンになる周辺など]

今日、井上ひさしさんが亡くなった。
フリーとして独立したころ日販の『Do Book』という販促のための冊子の仕事で毎月作家さんを撮らせてもらっていた。その何回目かの頃に井上ひさしさんを撮らせてもらった。
彼は山形は置賜の川西町の小松の出身で、僕はその隣の市の赤湯というところの出だ。彼の小説の中で、この場面はきっとここだろう、と思えるところが一カ所だけある。そこは僕が生まれてまだごく幼い頃までいたところなので、そのか所を読むとなんだかちょっとだけつーんとする。
川西出身の高校の同級生のKと去年の秋に飲んだときに、たまたま井上ひさしの話になってKは「あの小説に出てくる酒蔵はきっと・・・で、そこに出てくる・・・は・・・」というふうにかなり具体的にわかるようだった。
思えば、となり町といってもつい昨年までいったことがなかった。行く用事がなかった。去年の秋から冬にかけていろんなことがあった。

撮影のあとに「僕、赤湯の出身なんです」と話しかけた。
「そうですか、赤湯ですか。頑張ってくださいね」と言ってくださった。静かな口調だった。
意味のない会話だったけれど、言葉を交わしてもらったことに僕には意味があった。
僕が28歳の頃のことだった。
ばかばかしいように見える小説もあるけど、彼の小説では、たとえば人への慈しみとか平和への祈りといったようなものが、オーケストラのコントラバスのように奏でられているように思う。

中学生の頃から、黄色い背表紙の新潮文庫でいっぱい読ませてもらった。
(合掌)


コメント(0) 

「キャパにとってのカメラ」 [カメラマンになる周辺など]

カメラマンという仕事をし始めた頃、何かにとっても悩んだことがあった。なんのことだったかもう思い出せない。その頃とっても世話になっていたデザイナーのKさんに相談した。(足を向けて眠れない人のひとり。足を向けて眠れない方向がたくさんある)Kさんは事務所に積んであった中から探して、ある本の1ページをコピーして僕にくれた。それが「キャパにとってのカメラ」という小文だった。そのコピーは今も手帳に挟んである。(出典を知っている方があったら教えていただきたい)

=========================
「キャパにとってのカメラ」

自分に見合った道具ひとつさえあれば、
夢や行動はそこからいくらでもひろがってゆく。
物に使われるよりも、
何かを自分の創造力のまかすままに使いこなす方が、
人はもっと自由になることができる。
例えば、写真家のロバート・キャパ。
彼の人生をユーモアたっぷりに綴った『ちょっとピンぼけ』によると、
彼は、おおよそプロの写真家らしくない人物だったという。
何しろ、室内でのフラッシュの使い方も知らないし、
新機種のカメラを使うこともできなかった。
いつでもどこでも、ただ、押すだけ。
絞りもシャッター・スピードも成り行きまかせで、
作品の出来は、偶然性にかけていた。
それでも彼がカメラを選んだのは、
カメラを手にすることによって、
世界中を旅することが出来たからだ。
彼にとってのカメラは、『旅と冒険』という少年のような思いを、
現実のものに変えてくれる魔法の道具だったのだ。
だから、むしろ余計な技術や大きな機械を抱え込むと、
自由に身動きがとれなくなるだけだった。
彼は時として、使い物にならないような
ピンぼけの写真を通信社に送りつけることもあった。
カメラを手に実際に現場まで行くことで
彼の望みは既に果たされているのだから、
その後はどうなろうがおかまいなしなのだ。
ーー手のひらに乗るような小さなカメラから、
思いが無限にひろがってゆくままに自由に生きたキャパ。
夢のかたちがはっきりとしていれば、
生活に必要な物はそれほど多くはないということを、
彼は誰よりもよく知っていたのに違いない。

============================
(出典が判り次第記載いたします)

言葉は不思議だと思う。
それにしても、引っ越し荷物が多いので、哀しい。
荷物の重さはカルマの重さだと何かに書いてあったやに・・・。

コメント(0) 
- | 次の30件 カメラマンになる周辺など ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。