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おひょいの藤村俊二さん (合掌)                         [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

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永井豪の「ハレンチ学園 ー実写版ー 」に原始人のイメージのかっこうのおばかな先生、ヒゲゴジラででてました(ハレンチ学園も親に隠れて見た番組でした。番組が短命だったのはハレンチだったからでしょうな)。進学するならやっぱりハレンチ学園が絶対にいい!!と思ったものでした。(冗談です。昔の小学生でしたから進学のことを考える年ではなかった。)
それから、「ゲバゲバ90分」にもレギュラーででてました。この番組でもおばかなこといっぱいをやってました。関係ないのですが、「ゲバゲバ90分のテーマソング」と「星条旗よ永遠なれ」のイントロ、よく似てますよ、宮川泰先生。
それから、10数年前にNHKのラジオコメディドラマで「みんな大好き」というのがあったが、この番組にも出ていた。その番組をざくっと説明すると、ある普通の一家とその友達たちのありふれた日常の喜怒哀楽を描いたもの。一家のお母さんは中村メイコ(メイコさんは孫の役もやっていた)、お父さんは小松政夫、で、藤村俊二は近所に住むお父さんの古いお友だちとい設定だったと思う。(皆さんゴーカですな)このドラマは、毎回これでもかと言うほどの予定調和。小さな事件は起こるが突拍子もないことが起きないし、予定調和そのものなのだが、そこに描かれる幸せ感にうまいこと泣かされるのだった。いいラジオドラマだった。
話がそれた。その番組でも藤村俊二はたまらなくいい味を出していた。何ともいえない存在だった。
ひとは、ひょいと向こう側に行ってしまう。

楽しかったです。ありがとうございました。   (合掌)








※ 写真は朝日新聞デジタルから借用


ご自愛ステッカー [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

どうでもいい人にはどうでもいいステッカー、もらいました。
NHK-FMのだいぶゆるい感じのクラシック番組で「キラクラ!」というのがありまして、
そこでは、クラシッククイズコーナーやその他気分で「ご自愛ステッカー」をプレゼントしているんですね。
で、ステッカーをもらったのはイントロクイズ。その時のお題の正解はアメリカの有名なマーチ。アメリカの国旗の星々が目に浮かびそうなほどに有名な、あのマーチでした。
それで僕が答えたのは「ゲバゲバ90分のテーマ」です。(作曲・宮川泰)もちろん本当にあてようと思ったのではなく、ニアピン狙いというのでしょうか、似ているけど違っているのでおかしい、というところの狙いです。ユーチューブにでているので興味があれば。懐かしい人もどうぞ。
番組のふかわりょうさんが「宮川先生は引き出したくさん持ってらっしゃるでしょうから・・・」と苦笑い気味にいってましたが、そういうしかないような感じで似ていたのでしょう。
まあ、それで番組のファンにはちょっとだけエンズイものの、番組のファンでない人にはどうでもいいシール(ステッカーといっているがシールの方がしっくりくるな、これだと)をもらったのでした。
これを読んだ人でも、うらやましい!と思った人がひとりはいるのではと思いますが、安心してください、うらやましがらなくとも大丈夫です。
クラシック音楽のことを書く機会はほとんどないので、ついでに書くと、
好きなクラシックはと聞かれたら(聞かれていないけど)、一番先に浮かぶのは朝比奈隆さん指揮の「ドナウ川のさざ波」。
ダビングしたのかエアーチェックしたのか覚えていないけど、カセットテープで持っていた。あれはどこにいってしまったのだろう。いつかまた是非とも聞きたい・・・。

『正しい保健体育』みうらじゅん先生著、つづき [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

『正しい保健体育』って、どんなことが書いてあるの?もちょっと詳しく教えて!
などという反応は全くありません。だいたい、閲覧数のわりにはコメントがひじょーに少ないブログです、ここは。(「読者の広場」みたいなことをやったら、きっと秋風だけが吹きすぎてゆく広場になることでしょう)
それはさておき、見本的に見開きをふたつ、4ページ載せましょう。
まあまあ穏便なページですが、みうら先生の慧眼を察するには充分でしょう。

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『正しい保健体育』みうらじゅん先生著 [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

いま、みうらじゅん先生が上梓した『正しい保健体育』(理論社、よりみちパン・セ
シリーズ)を拝読させていただいております。
どういうことを書いていらっしゃるかといいますと、・・・ちょっと、書けません。
いいことがいっぱい書いてあるのは間違いありません。と、書きながら一瞬で読み終わってもいいくらいのボリュームの本なのですが、もったいないので、ゆっくりとまだ読んでいます。
みうら先生は怪獣論・見仏論・親孝行プレイ論・DT論・崖論・マイブーム論などなど枚挙にいとまがないほどの独自のすばらしい論を展開なさってきました。すべてにおいて、その慧眼からみうらじゅん先生を尊敬しておりましたが、この本に出会い、みうら先生を尊敬していたことをこれほど誇らしく思ったことはありません。
こんな本が読書感想文課題図書になったらすばらしいだろうな、日本も変わってゆくだろうなあと思います。
ちなみに、この本は隣村の図書館から借りてきたのですが、その図書館では「Yang Adalt Books Best Selection 」に選定しておりました。この場を借りまして、図書司書の皆さまのご英断に拍手を送りたいと思います。








※じょーだん入ってますので。すいません。

地震を知ったのは [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

だいぶ前に下書きをしていたが、アップしようと思う。
「復興」の意味が今の僕にはよくわからない。
今日はただ鎮魂を祈った。(合掌)

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東日本大震災を知ったのは、ニカラグアに着いた次の日の朝だった。
「日本で地震!地震!降りてこい!」
下に住む大家さんが、二階のフラットの僕に、テレビを見に来いと叫んでいた。
時差ぼけでまだ自分が自分でない感じのまま、いったい何事かと下に行ってみると、大家のドン・フランと住人のヨーロッパの女性がCNNに食い入っていた。
スペイン語の「緊急」(たぶん)という文字が右下で真っ赤に点滅していて、映像は惨状を伝えていた。言葉もないままにテレビに見入った。
「惨状」と書きながらも、不思議なことに、そのときの映像は全く覚えていない。現実を受け入れたくはなかったのだろうと、今思う。
その後、ニカラグアのネットカフェで、u-tubeにアップされた映像を見ることになった。押し寄せる津波、流される家、横転する漁船。叫び。
石油コンビナートがめらめらと炎をあげて燃えているヘリからの映像を見ていると、不謹慎かもしれないけれども、そのときのことを正直に書けば、ウルトラ怪獣が暴れ回っているスタジオのセットではないかと思った。
それほどに現実離れし、信じがたかったのだろう。
子どもの頃に見たウルトラマンの世界ならよかった。石油コンビナートであろうと都会であろうと、子供でも「そこには本当は人はいない」ということを知っていたから。ウルトラマンと怪獣が思う存分暴れることができた。
CNNが放送していたもの、u-tubeで見たものは違うのだ。そこに人がいるのだ。そこには生身の人々が住んでいる。
それが起こる前の日まで僕がいた日本でのことだ。
大学の友達のあいつはたしか久慈市にいるはずだが、大丈夫だろうか。交々と脳裏をよぎる。
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帰国してから縁があって石巻に時々行っていた。どれほど役に立っているのかわからないが、仮設住宅に住んでいるおばあちゃんの、手をもんだり足をこすったり肩をたたいたりしてきた。今は遠すぎて行けなくなってしまった。








ブルームガーデン( bloom garden ) [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

お友だちになったアメリカ人の女性と食事をした折りに、プレゼントに僕の写真集※をもっていった。
彼女はさっそく写真集を開いて見入っていた。手前味噌な話しになって恐縮だけれども、その様子を見ていると、どうもリップサービスでもなく、ほんとうにいたく感動している様子で「凄いわ」と何度も言葉をもらしていた。私は写真の技術的なことは全くわからないけれども、こういう仕事をしてきたから見ればわかるのよ、と僕を見ていった。

後日彼女はメールでこんなことを質問してきた。直訳すると
「あなたの撮ったポートレートのどの被写体にも、レンズを通してたくさんの愛と信頼( love and trust )が写し出されているけれども、どのようにして撮ったのですか?」
僕にははっきりとした答えがなかったけれども、このように答えた。
「そのように見えたのならとても嬉しく思う。僕は長い間人の顔を撮影してきたが、僕にもわからない。いま言えることはひとつで、人に笑えといっても、笑ったふりをすることはあるけれども、決して笑うことはないということ」
僕の英語をわざわざ直訳することはないが、そろえてみた。
もし、もしも「愛と信頼を写す方法」を誰か知っていたら、僕が教えて欲しい。僕が知りたい。

彼女は僕よりもまだ年上で、僕が6歳の頃に2ヶ月間ほど仕事で日本に滞在したという。まだ20代の頃だったろう。東京、奈良、大阪、岡山、それに福岡にも行ったというから結構な長旅だったにちがいない。
彼女はバレリーナだった。コスタリカで知り合ったのだが、首都サンホセのシンボル的な建物、コスタリカ国立劇場でも若かりし頃に公演をしたという。食事をしたのはたまたまそのすぐ隣のホテルの一階、半分オープンエアーのゆったりしたところだった。
彼女は国立劇場を見やって
「懐かしいわ」
といった。
ブルームガーデン (bloom garden) =花咲き誇る庭、彼女のもう一つの名前。






※ 写真集『人間遺産』

HAYABUSA [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

HAYABUSAの映像は何度見ても泣けてくる。
なんだか凄いね。

ハッブル宇宙望遠鏡の写真 [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

女性の友達から悩み事があるんだけど、と相談を受けた。
お湯を沸かして、ゆっくりとコーヒー豆をひきながら話を聞いた。
コーヒーを煎れるあいだにと、本棚にある一冊をとり出して差し出した。
正確ではないが「ハッブル宇宙望遠鏡が見た宇宙」というようなタイトルの本だった。
コーヒーを飲みながらその写真を見続けていた。
ハッブル宇宙望遠鏡で撮影された写真。ブルーの星々が輝くなんとか星団、
吸い込まれそうな渦巻いた銀河、情熱的な赤い色をしたなんとか星雲、・・・。
そうした色鮮やかな宇宙がページをめくるごとにくりひろげられていた。
宇宙の神秘や哀しさまでも伝わりそうな写真。
そして解説には何万光年という、くらくらしてしまいそうな単位。
彼女は、しばしコーヒーを飲むのを忘れて写真に見入っていた。
本を閉じると
「なんだかすっきりしたわ」
といって、帰って行った。

だいぶ以前のことだからというわけではなく、
どんな悩みだったか、全く覚えていない。

沖縄の空 [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

緩やかな坂道を登って、その頂上のちょっと手前に来ると、
はっと視界が広がり、大きな雲が目の前に悠然と現れる。
沖縄に来た頃、沖縄の空は広いなあと思った。
今もそう思う。
好きなポイントがいくつかあって、
糸満から南風原に抜ける裏道のあそこ、
それから、そこを通りぬけてしばらくした橋の手前。
H.Wife氏が通っていた裏道のあそこの坂の上。
あまり行くことはなかったけれど、久高島のあそこの道。
きっといつか、沖縄で見た雲を、懐かしく思い出すのだろうと思う。
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「壺の中」解題 [分類しにくい、って分類するのも変だけど]

昨年の秋に母が亡くなった。
母は腹の据わった女で、僕が生まれる前からうちの家計は母が担ってきた。
母は田舎の八百屋の長女に生まれ、そのあとは、パチンコ屋、スナック、モーテルなどを経営して支えてきた。そんな母だった。
そんな母が晩年、ある時「人生なんてあっていうまだなぁ」としみじみと言ったことがあった。人はそれが過ぎたときに「あっという間だった」とはいうけれども、その渦中でそうはいわない。そういう意味で人生を達観した名言だと息子の僕は贔屓めでそう思っている。
そんな母を荼毘にふしたあと、僕がお骨をもってお墓までいった。骨壺、そしてそれを覆う箱を通して母の暖かさが伝わってきた。
百日も過ぎたが母のことをよく思う。母はどう考えても変な人だったし、性格の善し悪しもかなりあやしい。そんなことも含めていろんな事を思い出す。けれど、母が死んでしまった今思うには母の人柄とか性格とか、いろんな事はどうでもいいと思う。僕の心に残っているのは「愛された」ということだけ。締めつけられるような、つーんとするような「愛された」という思い出、実感だけだ。そう思うと、ひょとしたら壺の中に持って行けるのは、「愛した」ということだけなのかもしれない。僕はまだ確定的なことはいえないが。
「座って半畳寝て一畳」は僕の座右の銘。
必要なのはそんなものかと思う。足るを知る、というのも近い意味かと思うが、畳は日本人的でいい。
「壺の中」は小さい。持ってゆけるものは少ない。

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