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イエメンの濁流 [旅のこと]

首都サナアのYさんやSさんのところに居候をさせてもらいながら、国内のあちこちに撮影旅行をしていた。

そのときは、昔の南イエメン側、それもだいぶオマーンに近い方に撮影に行っていた。
おんぼろなバスで変わり映えのしない茶色の土漠の風景を、ひたすら東へ向かっていた。路線バスはエアコンなどあるわけなどなく、風がないよりはいいので、熱風を受けながらペットボトルの水を飲み続けていた。
村もないところでバスはゆっくりとため息をつくように停止した。何事かと前方を見るとトラックやバスが列をなして停まっている。
乗客たちはぞろぞろとバスを降りて先の様子を見に行く。バスやトラックや乗用車が30台ほどもずらっとならび、その先には、上流のどこでどれほど雨が降ったのかわからないが、低い地鳴りをたてながら濁流が流れている。川幅は50メートルほどもあったろうか。

ワディ(川、枯れ川)に水が戻ったのだ。枯れ川というのは日本人には少しわかりにくいが、乾季などの雨がない季節には全く干上がってしまい(そうである方がほとんどだが)、ごくまれにこうして流れが戻る川のこと。ふだんは流れがないので、橋を架けたりせずに川底を横切って通る。

濁流ではどうしようもない。流れが退くまで待つしかない。
足止めを食らった人々の多くが、することもなく珍しい濁流を眺めていた。
すると、川の向こう側から、二十歳前後とおぼしき数人の若者が、叫声をあげながら渡り始めた。
それにつられるようにして、こちら側からも向こう側からも若者たちが、おれが一番に渡りきってやると言わんばかりに騒ぎ立てながら渡り始めたのだった。
流れの中程にもさしかからないうちに、若者たちは濁流に足を取られ次々と濁流に流され、あれほど騒ぎ立てていた声も濁流に沈んだ。あっという間のことだった。
流されながらもたまたま岸に押しやられ、近くの灌木につかまることができた者もいた。流された者の中には、見ているうち空をつかむようにあがいていた手が沈み、うつぶせになりそのまま流されていった者もいた。

騒動がおさまり人々がバスに戻り、戻ってきた老人のひとりが
「二人死んだ」と言っていた。

アラビアでは、「水がなくて死ぬことよりも、水で死ぬことの方が多い」という言葉があるやに聞いたことがあった。




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ソーアン、トルコ語でタマネギのこと [旅のこと]

20代の後半ころに、インドからエジプトまで1年間バックパッカーをやっていたことがある。撮影旅行といってもいいが、どちらにしても超貧乏旅行だった。
トルコには3ヶ月以上滞在し、ほぼ一周した。ほとんどは安宿に泊まるのだが、古代遺跡の円形劇場に野宿したりもしたし、カッパドキアの岩に掘られた穴倉に寝たこともあった。学生たちが共同で借りているアパートにしばらく泊めてもらったりもした。

安食堂では大鍋に数種類の料理が並べてある。当たり前だがどれもトルコ料理でトマトベースのものが多く、挽肉料理だったり、ナスの煮物であったりした。日本人には口に合う。
それぞれの鍋ごとにひと皿いくらと値段があって、これくださいと指をさして注文する。それをテーブルの上のかごに入ったパンを適当にとって食べるというスタイルだった。付け合わせとして生のタマネギがつくことがあった。小ぶりで半切りにしてでることが多かった。
なんせ貧乏旅行なので、料理を半分注文したりもした。そうすると、笑顔でうなずいて、ひと皿分盛ってくれて、それで、半皿分の料金を取るのだった。そのうえ、ゆっくりとパンを食えるだけ食う。嫌な顔をされるどころかテーブルのパンを盛りたしてくれたりもしてくれた。
たぶん、付け合わせのタマネギをお代わりする人はほとんどいないと思うが、タマネギをお代わりしたりもした。「ソーアン、ソーアン」と言って、お代わりを頼んだ。はじめのうちはなかなか通じなかったが、それは、発音が悪いことはもちろんだが、タマネギのお代わりをする人がいないという証拠でもあった。だんだんと発音がよくなったようで、スムーズに通じるようになった。(それもいかがなものかと思ってしまうが)
半切りの生のタマネギをそのままかじるのだが、辛い。その辛さが胃を沈め、食を進める感じがしっかりと伝わって、トルコ料理にはいい。

そんなことを思い出したのは、サラダに入れるタマネギを切って、その端っこをそのままつまみ食いしたからだった。タマネギの辛さがそんなことを思い出させた。涙が出そうになったのはタマネギの辛さのせいではない。
トルコではよくしてもらったと今でも思う。







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あなご、それからイワミーバイ [日々の生活のこと]

7月はどういう加減かわからないが、あなごがよく釣れた。狙いがあって釣る人には始末の悪い外道ではあるが、小生としてはもともと五目なので外道も何もない。
よく釣れたので杉板で専用のまな板を作り庭で裁くようになった。ぬめりを取って目に〆打ちをして開き、ぶつ切りにし、塩をまぶして鉄板で素焼きにして食すことが多かった。うちでは、かみさんの方が魚好きなのでほとんどかみさんが食した。天然のあなごなのでもちろん美味。
8月はミーバイをよく釣った。本名は知らないが沖縄ではイワミーバイといわれている種類で、これは沖縄で3大高級魚のひとつ。写真を取り忘れてしまったので写真はない。
イワミーバイは狙って釣ったものだが、このポイントでは小生以外はカーエーというものすごく釣りがいのある、つまり曳きのいいものを狙っているので、小生はかなり地味に釣りをしていた。夏休みということで遊びに来ていた土地の中学生が話しかけてきて、何を釣ったのかと聞くのでクーラーボックスの中のイワミーバイを見せたら、ここで釣れるんだ!!と驚いていた。
ちなみに、これも塩焼きにして食したが、ほとんどはかみさんの腹の中に入った。
以前糸満に住んでいたころ、オニカマスのポイントを見つけてよく釣ったが、自分が探し見つけた自分のポイントがあるのはいいなと思う。
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庭のハンモック [日々の生活のこと]

ニカラグア滞在中にハンモックを買った。ニカラグアのアパート(のようなところ)では使える環境になかったが、帰国してから使いたいとひとつ買ってかえった。
ちなみに、ニカラグアの人は、ロッキングチェアとハンモックが大好きで(揺れ物好きとでもいいましょうか)、ずいぶんと暮らし向きが厳しいような家にもロッキングチェアはあったりする。ニカラグアの南隣のコスタリカにも行ったが、コスタリカではロッキングチェアを見た記憶はない。
それはさておき、
帰国してからまだハンモックを吊したことがなかった。どうにか使いたいと思ってはいたが、日本の家向きではなく、吊すのにいいところを探せないままにいた。
今回沖縄に来てからはいまの借家にずっと住んでいるのだが、ここは庭が比較的広い。この庭には黒木(琉球黒檀)が何本か植えてあって、この黒木を利用してどうにかハンモックをつるせないものかと長いこと考えていた。
考えてきたが、ここにきて(今頃やっと)いいことを考えついた。それで、早速簡単な設計図を書き、作ってみた。
実際に作ってみて、横に渡しているパイプが5メートルを要したのには驚いた。想像以上の横幅が必要だった。これではつり下げる場所を探すのに苦労するわけだ。
写真は、朝まだ陽が直接あたらないうちのもの。(モデル、かみさま)中央のもっこりした緑の木が黒木。黒木は丈夫なので、倒れないようにパイプを結びつけている。それから、これが重要なのだが日中は木陰を作ってくれる。手前や奥に写っているのはパパイヤ。パパイヤは何本もあって、大小合わせると20個くらいは実をつけている。
写真は、クリックすると大きすぎる写真になるので注意。


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向こう側はだいぶ低いうえに畑になっているので人目は気にならない。


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パイプとチェーンが摺れないようにホースに通すなど、ミニミニ工夫をした。
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東京モノレールにて [いろいろ思うこと]

ずいぶんと前のことになりますが、羽田空港から浜松町駅まで通っているモノレールに乗ったときのことです。
通路を挟んだ向かいの席に20代の中頃でしょうか、女性の二人連れが座りました。座るとまもなく、ご多分に漏れずおしゃべりを始めました。地方に撮影に行った帰りで疲れていた私には、ただ近くに乗り合わせた人であり興味もありませんでした。
話し始めてまもなく小柄な方が、もう一人の少し大柄でおっとりした方に何やら強い口調で主張をし始めました。話している内容はわからないのですが、「なぜあなたはこうしないのか」「こうすべきだ」というようなことのようでした。おっとりした方は、小柄な方の理屈がもっともだからか、その勢いに気圧されてなのかは判然としませんが、いずれにしても全く反論できずに受け入れざるを得ないといったふうなままうなだれ、顔を少し紅潮させていたようにも思います。
時折視線を向けた私でさえも、どんな話しかわからないけれども、そんな言い方をしなくとも……、と思えたほどの強い口調でした。
浜松町駅に着くまでその動くことのないシーソーは続き、その頃にはおっとりさんはすっかりうなだれ泣き出しそうなほどになってしまった。

私はそこで起こっている何かが気になって気になって仕方がなく、浜松町駅に着き、モノレールのドアが開きチューブから絞り出されるように人が降り、階段を急ぎ足で下りながらも、何となく二人を目で追う自分がいました。

改札を出て、人混みの中で小柄な方とおっとりさんに少し距離が出て、小柄な方が乗り継ぎのことか何かに気をとられているうちに、おっとりさんは、瞬間、身体を翻してその場を離れ、向こうの階段をあっという間に駆け下りて見えなくなってしまいました。本当にあっという間のことで、私自身起こっていることがちょっと飲み込めないほどでした。
小柄な方は、後ろにいたはずのおっとりさんに何か話しかけようと振り向き、そして、何歩か駆け戻りつれであった人が忽然といなくなっていることに直面しました。小柄な方の驚きようといったらありませんでした。忽然と消えてしまった連れ人。小さな子が母親を見失ってしまったかのような突然の孤独。遠目の私からは本当は正確ではなかったのかもしれませんが、彼女のほおが引きつっていたようでした。

私が見ていたのは、ここまでです。
私は内蔵に何か苦いものを感じ、身体が重くなってゆくのを感じました。
カメラバックを肩に担ぎ直し、左には三脚を持ち直しその場を去りました。










もはや戦後ではない・・・ [いろいろ思うこと]

「いずも」の武器等防護の任務、北朝鮮、オキナワの基地問題。
私が小さい頃に、リアルタイムで「もはや戦後ではない」という言葉を聞いたように思う。
もはや戦後ではない。すでに戦前である。
ことが起こってからでないと、それと気がつくのは難しい。





「フーチバーの香り」 [日々の生活のこと]

まだ母が生きている頃の原稿なので、7年くらいまえに書いたものだろうかと思って見たら、日付があった。平成20年の9月だった。8年前になる。『パン便り』というたぶん沖縄のパンの業界紙だろうと思うが、ご縁があってそれに短いエッセーを書かせてもらった。このときはまだ母は生きていて、沖縄にも一度来た。その後透析が始まり、節制するということが苦手な母は、透析したり食事制限したりということが苦痛だったままいってしまったのだろうと思う。
まあ、せっかく出てきた原稿なので、備忘録的にブログに載せておこうとおもう。ちなみに、フーチバーとは沖縄の言葉でよもぎのこと。正確には沖縄よもぎという種類かもしれない。だとしても本土の種類とたいして変わらない。
写真をクリックすると大きくなって読めるようにはなるが、顔写真も大きくなるので、くれぐれもそこのところはご注意いただきたい。




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NHKラジオイタリア語講座、というより高座に近い [日々の生活のこと]


たまたまNHKのラジオ第2に合わせていたらイタリア語の講座が流れてきた。
聞いていたわけでもないがそのまま流していた。
話しは美術館に行った父親と男の子の会話。美術館が出てくるあたりがイタリアじゃないですか。
で、レンブラントの絵を見ながら(レンブラントが出てくるあたりもイタリアだね)
父親が聞く
「この絵はどう思う?」
男の子
「光と影の感じがとってもいい」
父親
「おー、わかってるじゃないか!!」
その後にダビデの像なども見たりしながら美術館を出る。出たところで、
父親
「一番良かったのはなんだい?」
男の子
「ん・・・、切符売り場のお姉さん」
父親
「おー、わかってるじゃないか!!」
(このあたり、最高にイタリアでんなー)
チャンチャン。
でも、NHKラジオの語学番組なんですけど・・・。

そーいえば、ヤマザキマリが
「イタリアには普通という言葉はない」と言っていた。(と思う)
すとう的には、それはかなりナイスな感じ。
次に生まれるときはイタリア人がいいかもしれない。温泉あるし。
そーいえば、イタリア人は手を動かさないと話ができない。
そーいえば、淀川長治さんが愛した『道』(La Strada)もイタリア。

そーいえば、徳島には阿波踊りをリハビリに取り入れているところがあって、
立てないといっている車いすのじいさんが、阿波踊りのあの鉦や太鼓の音が聞こえてくると
立ち上がって手足を動かして踊り始めたりするのだそうだ。
・・・これは関係なかった。




『アサヒカメラ』に載った最初の写真 [カメラマンになる周辺など]



この写真は『アサヒカメラ』の「中高校生のひろば」みたいなコーナーに載ったもの。見てみると興譲館高校となっているが、投稿したのが高校生の時で、実際に撮ったのは中学2年のとき。棒を持っている先生は中学2年生のときの担任で数学のY田先生。(愛のある先生だったな〜)転任になったので中2の時でまちがいないと思うが、ひょっとしたら1年の時かもしれない。(どっちでもまああまり変わらない)
今なら体罰だとかなんだとか問題になってしまうが、こんなことではそんなことを誰も考えなかった。(少なくともこのときはそうだったろうと思う)
この写真以前に、新聞に写真が使われたことがあった。夜の10時ころだったろうか、家のすぐ前で交通事故があり、その音でカメラを持って飛び出したのだった。ストロボをたきながらいろんな角度でバシャバシャと撮っていると、そこに地方新聞の記者が遅れてきた。その記者にフィルムを貸してもらいたいというようなことを言われ、渡したのだと思う。後日、彼が現像したそのフィルムを返してもらい、使用料として3000円もらったように思う。やはり高校生のことだった。
話しがそれたが、この写真がカメラ雑誌に載った初めての写真。
学校の帰りに、デパートに入っている書店でアサヒカメラのこの号を立ち読みし、パラパラとめくりながら自分が撮った写真に出会ったときは突然のことで驚き、そして嬉しかった。
写真を大きくして見ると、学級目標らしきものに「協力しよう」とあったりとか、赤線で囲んだ写真の評とかが何となく読めておかしい。
アサヒペンタックスSP、レンズは50ミリf1.8で撮影。(55ミリだったかな、忘れた)
ちなみに、高校時代のその後にとある写真コンクールで入賞してニコンのFMというカメラをもらった。それからはニコン派になっていった。今は派閥に属していない。



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宇宙いも [日々の生活のこと]

友達に「宇宙兄弟」にはまっていると言ったら、
「宇宙いも」をくれるとどこからか出してきた。二個もらった。
小惑星のような雰囲気がある。行ったことないけど。
近所の人が植えているのだそうだ。
むかごのようなものらしい。
一個は食べて、一個は植えようと思う。


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カニステルが実をつけた [日々の生活のこと]

庭には二羽ニワトリがいて・・・。
もとい
庭にはカニステルの木が1本あって、
大家さんが植えたものかどうかもわからないが、
ここに来たときにはすでにあった。
住み始めてからいままで実をつけたのを見たことがなかった。
それが、先日実がなっているのを見つけた。
確認できたのは2こ。
食すにはまだまだ時間がかかる。
熟してくると黄色く色づいてくる。
味や食感は、ざくっというとカボチャに似ている。
(他のものにたとえるのはいかがなものかと思うが、わかりやすい)
個人的にはおいしいと思うが、
どうしてなのか飽きがくるのが早い。


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