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なまはんか心理学(10)救世主って救われたい人なのね [カウンセリング・心理のこと]

このコーナー、とコーナーのせいにしてはいけない。小生がなまはんかなので、今頃「メサイアコンプレックス」ということばを知った。小生が下手な解説をするよりもいいと思うので、下記のものをとある所から引用させてもらった。※

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メサイアとは、メシア(救世主)の事であり、誰か困った人を見ると、一生懸命に助け船を出します。特に自分自身が不幸な状態から脱出したりすると、尚更、「世の為、人の為」に尽くそうとします。しかし、相手が胡散臭く思い、ありがた迷惑を感じていようとも、「自分がどうにかして上げねば…」と近づきます。この場合、本当に精神的に弱く、依存対象を探しているような人と出会うと、硬いタッグが組まれる事となります。それが「共依存関係」です。メサイアコンプレックスの人は教祖様のように崇められ、感謝され、自己愛が満たされていくでしょう。クライアントも依存対象を見つけられたので下僕として安心できるかもしれません。
しかし、メサイアコンプレックスの人の行為は、弱者を救っているかの様に見えますが、実は無意識の内に相手の自発性や生活力を奪い、人間性を奪うことに繋がっているのです。ですが、不幸にして相手も本人も気が付いていなかったりします。
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こうした関係が起こりやすいのは、たとえば看護師と患者のあいだ。なんとなく想像がつく。もちろんそれに限らず、たとえば母親と子どもの間でも起こるだろうし、心理的なサポートをするような仕事や、ボランティア活動をしている人においてもまた起こりやすい気がする。

この言葉に引っかかったのは、とある人間関係を見ていてずっと不思議に思っていたことがあったからだ。理屈を知ってしまえばメサイアコンプレックス的関係とでも言おうか、共依存関係であることがすうーっと見えてくる感じがするのだが。
それにしても、その関係はなんと25年に及ぶらしい!!
たとえばクライアント(引用にならってこういっておきましょう)が20歳で「救世主」に出会ったとしましょう。そしたら、今は45歳。
たとえばクライアントが30歳でメサイアに出会ったとすると、55歳。
大人の時間のうち、これだけ長い時間をメサイアと過ごしたわけで、これからメサイアとの関係を変えてゆくには莫大なエネルギーがいると思う。
メサイアが死んでしまえば、その関係が終了する。(のかな・・・?)
ところが、このケースの場合、メサイアは何人もいる。(正確な数は知らない)
で、あるメサイアが死んだとしてもメサイアは再生産されるシステムになっている。(たぶん)
ということは、このクライアントは死ぬまでメサイアの自己愛を満たすための奉仕活動をすることになる、ということなのだろう。
また、このケースの場合、なぜメサイアたちがメサイア(救世主)になったのか?にはちゃんと理由があるのです。それは、メサイアにもメサイアがいたのです!!!
だから救世主は本家メサイアをコピーしているにすぎないというか、ひな形にしているというか、こういう在り方がいいのだと自然に身につけているというか。
この本家の救世主ももちろん自分がメサイアであることには気がついていない。といいたいところだが、本家の救世主は心理関係の仕事をしているので、ひょっとしたら気がついているかもしれない。もしそうだとしたら、さすがにメサイアなどではなくデビルになってしまうわけだが・・・。











※メンタル・サポートNetwork
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