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タロット、ソードの8の意味するものは・・・ [いろいろ思うこと]

タロット占いの仕事では、ウェイト博士がパメラ・コールマン・スミスに描かせたタロットデッキ、いわゆるウェイト版を使っている。
最近のタロット占いの仕事で、その人の未来に「ソードの8」が出た。絵柄は、8本の剣に囲まれるようにして、目隠しされ縛られている臙脂の服を着た女性が立っている、という図だ。
ソードは剣であり、ソードのスート全体を通して暖かみのあるニュアンスは少なく、ソードの8もその例にもれず、剣に囲われ縛られて・・・、というものだ。
ほとんどセッションの終盤になってからのことではあるが、8本の剣に囲われているのではなく、守られているのかもしれないという考えが浮かんだ。緩く縛られたその図からしても「囚われている」という意識から離れてもいいのではないだろうか。
彼女は目隠しされ縛られてはいるけれども、彼女自身の思考や意識は縛られることはない、むしろ、何かを思考するために、あえて言えば、精神的な成長のためにそのようにしているのかもしれない。
それは、例えば「さなぎ」に似ている。そう思ってこのアルカナ(カード)を見直すと、彼女の姿態はさなぎに似ている気もする。
完全変態。たとえば蝶などは幼虫から成虫になる途中の段階でさなぎになる。そのとき、さなぎは、その中で一旦どろどろになり、そして、成虫である蝶の形を作り直す。
ひとは、身体の形こそどろどろに溶けはしないものの、意識・思考においては、自分のものの見方や握りしめている正しさなど、手放し変化してゆくとき、意識世界はどろどろになっているのかもしれない。
その時は非常に不安定であり、自分の身体もそうであるが、自分の意識世界もあるところで守ってもらう必要があるのかもしれない。













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幸せですか、と問われ…… [いろいろ思うこと]

江戸時代なのだろうと思うのだが、家が貧しく女郎屋に売られたある女性の句でこのようなのを聞いたことがあある。

恨むまい、恨むまい、これも我が選びし道  

正確ではないかもしれないが、このような韻であり、意味だった。「売られた」境遇で、それでこのように詠むのかと思うと凄みを感じる。自分から選んでこのような状況になったわけではないのに、それでも「我が選びし道」と言い切れるこの感じは、私には強烈だった。
曲名は知らないが、戦後の頃の曲に「♬こんな女に誰がした〜」という一節があったが、そんなふうに人のせいにしてしまいたいところだが、「我が選びし道」と他を寄せ付けないところに、何とも言えないものを感じる。

先日、
「いま、幸せですか?」
とひとに聞かれた。
そんなことを聞くのはさだまさしくらいだろうと思うが、まあ、実際聞かれた。
そう聞かれて、

幸せも 中くらいかな おらが秋  (おそまつ)

と一茶先生の句をもじって答えた。

不満や納得できないことや辛いことなどは、たくさんある。
「おれって、不幸だな〜」などとは思わないが、かといって、
「おれって、幸せだな〜」でもないだろうと思う。
幸も不幸も安物の物干し竿の上で戯れているような感じがする。

ちょっと前のことになるが、ラジオに自称「忍者」が出ていた。
忍者はサイドビジネスで経営コンサルタントをしているということだった。
(忍者の方がサイドビジネスかもしれないが)
その忍者が言うには、

「何か不都合なことがあったら、『それはちょうど良かった』と言葉にして言ったらいい」

というのだ。
そう言葉にすると、脳がちょうど良かった理由を探す、というのだ。
なるほどね。

幸せだ、と言ったら幸せである理由を探すだろうし、
不幸だ、と言ったらきっと不幸な理由を探し出すのだろう。

それにしても「我が選びし道」というのは、幸、不幸を超え、自分の人生を生きているからこその凄みなのかもしれないなと思う。
とりとめのない話になったが、「ちょうどよかった」。



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東京モノレールにて [いろいろ思うこと]

ずいぶんと前のことになりますが、羽田空港から浜松町駅まで通っているモノレールに乗ったときのことです。
通路を挟んだ向かいの席に20代の中頃でしょうか、女性の二人連れが座りました。座るとまもなく、ご多分に漏れずおしゃべりを始めました。地方に撮影に行った帰りで疲れていた私には、ただ近くに乗り合わせた人であり興味もありませんでした。
話し始めてまもなく小柄な方が、もう一人の少し大柄でおっとりした方に何やら強い口調で主張をし始めました。話している内容はわからないのですが、「なぜあなたはこうしないのか」「こうすべきだ」というようなことのようでした。おっとりした方は、小柄な方の理屈がもっともだからか、その勢いに気圧されてなのかは判然としませんが、いずれにしても全く反論できずに受け入れざるを得ないといったふうなままうなだれ、顔を少し紅潮させていたようにも思います。
時折視線を向けた私でさえも、どんな話しかわからないけれども、そんな言い方をしなくとも……、と思えたほどの強い口調でした。
浜松町駅に着くまでその動くことのないシーソーは続き、その頃にはおっとりさんはすっかりうなだれ泣き出しそうなほどになってしまった。

私はそこで起こっている何かが気になって気になって仕方がなく、浜松町駅に着き、モノレールのドアが開きチューブから絞り出されるように人が降り、階段を急ぎ足で下りながらも、何となく二人を目で追う自分がいました。

改札を出て、人混みの中で小柄な方とおっとりさんに少し距離が出て、小柄な方が乗り継ぎのことか何かに気をとられているうちに、おっとりさんは、瞬間、身体を翻してその場を離れ、向こうの階段をあっという間に駆け下りて見えなくなってしまいました。本当にあっという間のことで、私自身起こっていることがちょっと飲み込めないほどでした。
小柄な方は、後ろにいたはずのおっとりさんに何か話しかけようと振り向き、そして、何歩か駆け戻りつれであった人が忽然といなくなっていることに直面しました。小柄な方の驚きようといったらありませんでした。忽然と消えてしまった連れ人。小さな子が母親を見失ってしまったかのような突然の孤独。遠目の私からは本当は正確ではなかったのかもしれませんが、彼女のほおが引きつっていたようでした。

私が見ていたのは、ここまでです。
私は内蔵に何か苦いものを感じ、身体が重くなってゆくのを感じました。
カメラバックを肩に担ぎ直し、左には三脚を持ち直しその場を去りました。










もはや戦後ではない・・・ [いろいろ思うこと]

「いずも」の武器等防護の任務、北朝鮮、オキナワの基地問題。
私が小さい頃に、リアルタイムで「もはや戦後ではない」という言葉を聞いたように思う。
もはや戦後ではない。すでに戦前である。
ことが起こってからでないと、それと気がつくのは難しい。





マリーが教えてくれたこと、または、哀れについて                           [いろいろ思うこと]

マリー・ローランサンのこの詩に出会ったのは、20代のことだったと思う。
題も忘れていたが、あらためて見てみると「鎮静剤」だった。
「何々な女より もっと哀れなのは」が何度も繰り返され、「鎮静剤」?

この詩を思い出したのは、アメリカのTのことを考えていたからだ。
人を指さしで非難し、おまえは黙れ、おれの言うことをきけという。
おれの言うことをきかないなら、おまえの首はきってやる。
トランプゲームなら勝っても負けても笑って一緒に遊んで楽しかったと言えるだろうが、
生身の人間はトランプゲームをしているわけではない。
ひとは様々な思いを抱えながら、それぞれの人生を生きている。

私はある種の人を見ていてときどきこんなことを言いたくなることがる。
「この土地がおまえのものだというなら、死んだときに持ってゆけ」と。
持ってはゆけない。
理由は簡単で自分のものではなく借りているものだからだ。
自分の肉体も含め、借りているということを意識し
「借りているものは返さなければならないから、大事に使わなければ」
と思うと何かが変わる可能性があるのではないだろうか。

Tのことを言うのにどのような言葉が自分にとってしっくりくるのかわからない。
わからないながら今の感じをマリーに助けてもらいながら言葉にしておこうと思う。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  鎮静剤  
         マリー・ローランサン  (堀口大學訳)


 退屈な女より もっと哀れなのは
    悲しい女です。
 悲しい女より もっと哀れなのは
    不幸な女です。
 不幸な女より もっと哀れなのは
    病気の女です。
 病気の女より もっと哀れなのは
    捨てられた女です。
 捨てられた女より もっと哀れなのは
    よるべない女です。
 よるべない女より もっと哀れなのは
    追われた女です。
 追われた女より もっと哀れなのは
    死んだ女です。
 死んだ女より もっと哀れなのは
    忘れられた女です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 忘れられた女より もっと哀れなのは
    人の心に触れたことのない男です。


今の私はそんなふうに思う。
私はT本人に会ったことはない。大きな誤解があったら申し訳ないと思う。 
「Win Winの関係」などというのも時に白々しい感じがしないでもない。
でもないが、「自分ひとりだけ」が「幸せ」ということもあり得ない。






『民衆』の意味、あるいはカジノ法案のこと [いろいろ思うこと]

民衆、のもともとの意味を考えたい。
「民」という字は、目に矢(あるいは針のようなものが)刺さったという象形文字だ。
「衆」は、上の方の「血」は(この場合)元々は「日」すなわち太陽を意味する形から
変形しており、その下の方は、三人が(つまりたくさんの人が)労働をしている、
という意味。合わせて考えると、目の見えない人たちが太陽の下で労働をしている、
という意味。文字を作ったのは支配階級に属した知的階級だったろうから、
ろこつな上から目線の発想だったといえるだろう。
では、「目が見えない」というのはどういうことだろうか。
この文字ができたころには、一般の人たちの生活は豊かではなく、文字が読めず、
職業選択の余地もなく、生きてゆくのに奴隷的に肉体労働に従事するしか選択肢が
なかった人が多かっただろうと想像するのは難くない。

今の私たちにとって目が見えないという意味はどういうことだろうか。私の個人的な、
全く個人的な言い方をさせてもらえば、儲かるか儲からないかという目の前のニンジン
の揺れるままに行動すること、というような感じがしてしまう。
このまま時がたてば、いつしか儲かるか儲からないかが、選択行動するための判断の
すべての基準になってゆくことだろうと思えてしまう。

「カジノを含む統合型リゾート〈IR〉の整備を政府に促す議員立法」が通った。
(まだ半分だけど)「儲かる」ということの力は凄い。それは、依存症になる人は割合
としてかならず増えるが、そうした事を無視して儲けようということだ。
それは、「民」の目に刺さった矢だか針だかを、ひょっとしたら、自分で刺していると
いうことではないのかな。自分で刺すから「民」なのかもしれないが。

依存症の問題は大きい。依存症の問題に取り組んでいる医師たちが中心に行っている
MI(motivation interview 動機づけ面接)の学習会に参加させてもらっているが、
新たに生み出される依存症患者は多く、依存症から抜け出すのは難しい。そして何より
患者自身とその家族を破壊する。
しわ寄せは見えない者、弱者へやってくる。







日本、小径計画 [いろいろ思うこと]

小径計画(こみちけいかく)ということを考えた。
どういうことかというと、ただその地域そこ地域で、小径(基本的には一本道)を
整備する。そこに名前をつける。何でもいいのだが、思いつきで書くと・・・
「やんばる横断小径」沖縄本島北部、やんばる地域を横断するというコース。
歩行距離21キロ。宣伝文句は「歩くからこそ出会えるヤンバルクイナ」とか。
21キロだったら、途中にトイレときゅうけいができる東屋を作ることが必要だったり。
以前住んでいた長野県阿智村だったら、「あぜ道だけを歩いてもこんなに歩ける小径」14.7キロ。
「おひな様の小径」1.3キロ。
京都なら、それこそそのまま「哲学の小径」から始めてなにやらたくさんできそうだし。
富良野なら「恋人と織るパッチワークの小径(秋がお勧め)」
鳥取砂丘なら「砂だけの小径(体力ある人限定)」でもなんでも。
福島にだったら「智恵子が愛した小径」があったらちょっと歩きたい気分。
原宿表参道なら「こんなに人がいるのに小径」1.5キロ
友人が奈良県の十津川村に住んでいるが、「山奥すぎて誰も来ない小径(でも山菜や
キノコとれるかも)」といわれると、じゃあ、オレがいってやるぜと言いたい気分。
田舎の隣町はダリアが有名なので「ダリアの小径(期間限定)」ベタでOK。
たまたま今日ラジオで聞いたのだが、その地域では棚田の土手の草刈りが大変だから何か植えようということになって、みんなで話し合ってシバザクラを植えたのだそうだ。それがなかなかいい風景で季節には訪れる人も増えているらしい。そのような所にも、たとえば「早春の風に吹かれるシバザクラの小径(春限定)」などなんでもいい。
名前がついていれば、「そこに」行こうと思う力が働く。
ようは何でもいいのだが、安全に歩ける道があって、そこに「なんとかの小径」という名前があって、
距離によってはトイレの設置、場所によっては駐車場の確保が条件となったり、
あるいは、簡単に往復できない径では、径の端に公共の交通アクセスが必要だったりもするだろう。

金閣寺に名前がなかったら今ほど人は訪れない。
「百名山」があると百名山に行ってみたくなる心理。
登山では登山用品の店が儲かるだけだが、「小径」をつくれば、地域の活性化が見込める。
登山の道具をそろえずに歩け、健康にもよい。地域の共同体意識が生まれやすい。
整備の予算があまりかからない。地域をきれいにしようという意識が高まる。










ボブ・ディランのことを少し書こうと思う [いろいろ思うこと]

私が育った世代は、音楽的にはロストゼネレーションともよばれたりすることのある世代で、ビートルズでもなければフォークでもない。しいて言えば、しいて言えばだが、花の中三トリオだとか麻丘めぐみとかキャンディーズとか、アイドルの世代だった。(少し悲しい)
私はませていなかったし、ボブ・ディランを聞いて育ったわけではなかったが、改めて書くまでもなく、彼はベトナム戦争を問い、反戦を示唆し、アメリカに限らず多くの若者の共感を呼んだ。あれだけ戦争に対しての思いを叫びながら、何十年も歌いながら、今更ノーベル賞がもらえるのだろうか。
ダイナマイトは確かに役立ってもきた。しかし、何人人を殺しただろうか。そして今も人を殺し続けている。もちろん、ダイナマイトそれ自体に罪があるわけではないのかもしれない。問題は使う人にあるのだろう。それでもダイナマイトがなければ・・・、と思わないではないだろう。
「ノーベル賞」は権威である。学術に関わる人は、多少なりとも権威に関わっているだろう。そういう人はもらえばいいと思う。しかし、「自由」を生きている人には権威は意味を持たないばかりではなく、ものを持つことになるので不自由になりがちだろう。

名前は失念したが、ある落語家に弟子から伝言が伝えられた。
「師匠、大変です。師匠に文化勲章をくださるそうです」
というと、その師匠
「お、そうかい。それじゃあ、何かのついでにでも届けてもらえ」
って。
たしかに、頼んでもいないのをくれるというのなら、そっちの方から届けるのが筋かもしれない。

皇帝ペンギンの社会性 [いろいろ思うこと]

昔むかしのことになってしまうが、TBSラジオの「子ども電話相談室」を聞いていたら、(聞いているおとなというのもどうかと思うが・・・)ちっちゃな女の子が質問したんですね。
「あのね、あのね、ペンギン飼いたいの・・・」って。
答えた先生が言うには、ペンギンは菌に弱いのだそうだ。それで個人で飼うことはハイリスクであるためにお勧めできない、ということであった。(ハイリスクとは言っていなかった。もっとわかりやすい言い方をしていた)
菌に弱いから岬の先の取り残されたような所に住んだり、南極に行ったりしたのだろうか。それとも、そういう所に住んでいるから耐性が落ちたのだろうか。
こんなことを思い出したのは、皇帝ペンギンの事を書こうと思ったからでもあったが、永六輔がこの番組の回答者として出ていたからということもあるかもしれない。(合掌)

それはさておき、
皇帝ペンギンは、南極大陸に住んでいる。それだけでも大変だと思うが、卵を産み育てるために、交尾と産卵期には天敵がほとんどいない内陸まで行って(この行き来がまた大変なわけよ)、集団見合いをして(特定の相手がいたりもする)卵を産む。卵が生まれたら、氷点下なので卵を氷の上に置いておくわけにはいかない。卵はオスの脚の上、スカートのひだのような中で温められる。2ヶ月間。ずっと。体重は4割落ちるのだそうだ。その間メスは餌を食べに行く。(これもまた大変)
卵を温めているときにブリザードが吹き荒れたりもする。その時は、みんな(というのはオスばかり)が身を寄せて堪え忍ぶ。身を寄せるといっても、外側のペンギンはやっぱり寒い。それで、一番外側はなんとなく交替するのだそうだ。そうでないと外側からどんどん死んでいってしまう。
つまり、内側が温かくていいに決まっているが、「みんなが内側を指向する」と、外側から順々に死んでゆくことになるので、みんな死ぬことになる。
少しずつ譲ってみんなが生きるというのはすごいね。


野坂昭如が「おもちゃのチャチャチャ」を作詞とは変だと思っていた [いろいろ思うこと]

(この記事はおバカなのでご注意ください)
知られているのかそうでもないのか知らないが、
唱歌「おもちゃのチャチャチャ」は、あの野坂昭如の作詞だ。
野坂は他にも「黒の舟歌」なども作詞をしているが、こっちの方だと
野坂的な感じがあってしっくりくる。
いずれにしても、野坂は作詞家でもあったのだ。(どちらかというと
策士家かもしれないが)
さて、
『エロ事師たち』などというのを書いている野坂が「おもちゃのチャチャチャ」
はないだろう、と思い出すたびに思っていた。
あまりにも世界が違うし、接点が見いだせない感じがあった。
野坂の頭の中では、どんなふうにシナプスが伸びているのだろうと不思議だった。
そういう違った世界を同時進行的に書けるのが仕事人としての文筆家であろうとは思うが、
それにしても極端に違う。
と思いながらも、研究家ではないのでそのままになっていた。
ところが、
先日永年のナゾが解けた。
実は何と、野坂の頭の中では、
「おもちゃ」→「おとな」
「チャチャチャ」→「おもちゃ」
だったのだ!!!
で、それでは子どもの唱歌にはならないので、現存の詩のようになったのだ。
さらには、
・・・
みんなすやすや眠る頃(街にネオンの灯る頃)
おもちゃは(おとなは)箱を飛び出して(おもちゃを取り出して)
遊ぶおもちゃの(おとなの)チャチャチャ(おもちゃ)
・・・
というわけだ。
なるほど、フランス人形も登場して遊ぶわけだ。
ひざポンだ。
こうでなくては野坂昭如にならない。


ちょっと関係ない話をついでに付け足すと、
野坂昭如が大島渚をマイクでゴツンと殴ったのを覚えているだろうか。
一時期テレビのワイドショウを賑わせた。
何の場面かは覚えていないが、プレスリリースのため舞台の上に何人もいて、
マイクを持った野坂の話が終わり、そのあと持っていたマイクで
近くにいた大島渚を脳天からぶん殴ったのだ。
ものがマイクなだけに、そのゴンという生々しい音も一緒に流れ、
私もそれを見たときにはその音にびっくりした覚えがある。
たまたまそれを見ていたキンチョウの企画部の社員が
これだ!!と思って、「タンスにゴン」をネーミングしたらしい。
「マイクでゴン」から「タンスにゴン」というわけだ。
話しとしてはばかばかしすぎておもしろいとは思うが、
これに関しては眉唾物であろう。


















曖昧さの中に [いろいろ思うこと]

スクールバスを見て、自分が乗っているわけでもないがちょっと寂しく思ったりする。
学校にいるわけでもない、家にいるわけでもない、そんなどっちつかずの空間に道草は生えていて、その草をかじって、金儲けには役立たないことを育ててもらった。
起きているわけでもない寝ているわけでもない、まどろんでいる時間に何かわからないものを垣間見たりした気がする。
昼のように明るいわけでもない、夜のように真っ暗なわけでもない。そうした薄暗闇にいつもはいない何かが潜んで、かくれたままじっとこっちを見ているのがわかった。
寝る前に見た、木目がくっきり浮かぶ杉板の天井の、木目にも板の隙間にもいろんなものが住んでいて、毎晩じっとこちらを見ていた。
旅をしているとき、つまり、社会で働いているでもない、ご隠居なわけでもないというそんな時間の中じっとしていると、ふたをして重しの石を乗せていたはずなのに、そのふたの下の何かが、重しの石を揺らしてふたを持ち上げ、その隙間からこちらをのぞく。
体験したことはないが(正確には体験した記憶はないが)生と死の間にも、どちらでもないような時空間があるのだろう。日本人的にいえば、三途の川を渡っている途中のような。

そうした曖昧な時空間に命を吹き込んだひとりが水木しげるだった。
あるラジオの投書に「小さい頃、近くのどこぞの山の中腹に妖怪ポストがあるという噂が出て、友だちと冒険に行った」というのがあった。このてきとうであいまいなのに、妖怪ポストを探す冒険に行ったというが、見つけられなかったはずだ。・・・ないしょなのだが、・・・じつはむかし砂かけばばあからこっそり妖怪ポストのあるところを教えてもらった。ほんとはあそこにあるんだぜ。



死ぬことと学ぶこと [いろいろ思うこと]

結局死んでしまうのに、人はなぜ学ぶのだろうか?
とあるとき考えた。
もちろん、それぞれに理由はある。
ちょっと逆に考えた。
もし人が死ななかったら、学ぶのだろうか?
永遠に死なないのであれば、少なくとも今学ぶ必要はない。
今日でなくとも、明日でなくとも、1年後でも100年後でも
あまり変わらないかもしれない。どうせ死なないのだから。
今愛する必要もないかもしれないし、今考える必要もない。

結果に重きを置いているから、この話しはどこか変なのだろう。


「津波てんでんこ」深意 [いろいろ思うこと]

「津波てんでんこ」については以前少し書いた。津波が来るだろうことがわかったら家族のことを思って戻ったり探しに行ったりしないで、各自で逃げなさいよ、という言い伝え。このこと自体は全くその通りと思いながら、自分自身の中ですっきりしないものを抱えていた。それは、
「家族は本当に大丈夫だろうかと思いながら、自分が避難することができるのだろうか」
ということだ。
つまり、たとえば母親はたとえ自分が死んでしまうかもしれなくとも、子どもがそこに取り残されている可能性があれば、津波に向かってしまうのではないだろうか?ということ。
親は子を想い、子どもは子どもでかあちゃんやとうちゃんのことを想うと家に戻りたくなるだろう。
このことについて、ある防災関係の大学の先生が、学校でこのように教育することを提唱していた。

・・・・・・・・・・
おとうちゃんやおかあちゃんや家族のみんなは大丈夫だろうかと心配になりますよね。でも、たとえばおかあちゃんが「あなた(子ども)は家に戻るだろう」と思うと、心配で心配で心配でおかあちゃんはどうしても家に戻らないわけにはいかない。それはとっても危険ですよね。
それではどうしたらいいでしょうか。
あなたは今日家に帰ったら、おかあちゃんにこう言うのはどうでしょうか。
「津波が来たら『僕は必ず避難する』から、だから、おかあちゃんも僕のことは心配だろうけど心配しないで必ず避難してね。僕は必ず避難するから。」
もちろん、実際に津波が来たら必ず避難するのですよ。
・・・・・・・・・・・

うちの子は必ず避難するという信頼。逆説的ではあるけれども、家族間に信頼がないとてんでんには避難できない。

「なんくるないさぁ〜」 [いろいろ思うこと]

沖縄の言葉や食文化などが本土でも広く知られるようになった。
うちなぁぐち(沖縄の言葉)の「なんくるないさぁ〜」。
共通的な日本語でどんな言葉がしっくりくるのかわからないが、
「なんともない」「大丈夫だよ」などのようになるだろうか。

幸せ度合いは別にして、楽ではない生活が続いただろう沖縄。
低い山しかない小さな島は、その年のお天道さまの具合で、
すぐに飢饉にもなっただろうし、漁のできない日も続いたろうと思う。
人頭税も人々を苦しめた。
そんな中で、あるときは鉄の雨も降った。

たとえば夫を亡くした女性は、それでも生き抜かなければならず
子どもたちを抱えながらどれほど苦労したことだろうかと思う。
そうしたなかで、彼女たちはこう言うしかなかったと思う。
「なんくるないさぁ〜」
本当に何ともない人は、「何ともない」という必要などなかった。
自分を鼓舞しなければ生きられなかったのだろう。

あしたは、慰霊の日。

辺野古に作ろうとしているのは、替わりのものではない。
超巨大な軍港。
超弩級の空母も着岸予定されている。
海も人も、死んでしまったら
「なんくるないさぁ〜」とも言えない。

生きていればこそ。
そして、
生きているからこそ言わなければならないこと。







チェックシート [いろいろ思うこと]

きょう、話を聞いていて腑に落ちたことがある。
チェックシート。

これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、
これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、
これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、これは大丈夫ですか、
で、
全部クリアーして、・・・大丈夫です。
こういうチェックが必要なことには必要。

だけども、わずか12の「これは大丈夫ですか」を見ただけでも
何かがそがれてしまう感じがするのは、僕だけではないだろう。

「チェックシートは新しいものを創造しない」と言ったのは、
はやぶさのお父さん、川口淳一郎教授。
創造させない力が働く、といってもいいかもしれない。

新しいことにはチェックのしようがない。

余談だが、『「はやぶさ」式子育て法』を上梓したときには、
奥さんから
「あんたに子育てのことが言えるの???」
と言われたらしい。





だから、イチロー。 [いろいろ思うこと]

イチローがマイアミの何とかというところに移籍がきまり、
そのインタビューのごく部分をラジオで聞いた。
その中で、3000本安打までのことを聞かれ、
イチローはかく語りき・・・
「確かに数字は大事だと思うけれども、
それだけではなく、
応援し続けてもらえるような選手でいるために努力し続ける…」
と言っていた。
でしょ。応援をお願いしたりはしないんですよ。
やっぱりイチローは。

パリでの出来事 [いろいろ思うこと]

パリでの惨事には言葉がない。(合掌)
私が旅をした中で、イスラム圏は、パキスタン・イラン・トルコ・シリア・ヨルダン・エジプト、それからイエメン。ほかには、地域として東アフリカの海岸沿い。都合2年弱の期間になる。

イスラム過激派、というのがニュースになるが、イスラム教の国々を旅した感じとしては、敬虔なイスラム教徒も多い。そうでない人もそれなりにいる。それはきっと、アメリカにしてもいろんなクリスチャンがいるだろうし、ヨーロッパの国々にしてもそうなのではないだろうか。(ましてや日本は・・・)

言論・表現の自由。それは護られなければならない。
では、たとえばこのような場合はどうなのだろうか・・・
(たとえばでも書きたくはないが、伝えたいことを感じてほしいので、すいません)

教室で、ある子に向かって
「おまえみたいにくさいヤツは学校に来るな!!とっととくたばれ!!」

あるヨーロッパの人が
「○○なんか、あんとき皆殺しにされればよかった・・・」

風刺画(?)で、マリア様の股間からイエスキリストが顔を出しながら、吹き出しに
「処女懐胎?んなわけね〜よ。不倫に決まってるでしょ!」

「たとえば」でもものすごく不快に感じられたことでしょう。(申し訳ない)
書く方だって気分のいいものではないが、この不快さを感じてほしかった。
「意見の違い」などということではない。
言っていいことといけないことがある。
描いていいことといけないことがある。
自由は、人の人としての尊厳を尊重した上で、その上で自由なのだ。
たとえば先に書いたものはどれも、人としての尊厳を冒涜した暴力でしかない。
許しがたい、自由という皮を被った暴力でしかない。
(暴力は、ふるう方は「そんなつもりではない」とよく言う。そして、ふるわれたときに
「それは暴力だ!!!」と声を荒げていう・・・今回のケースはどうなのだろうか)

決して、人を殺した者を擁護するものではない。

イスラム教では、偶像というものを持たない。
顔も形もわからない(ない)神(この場合は唯一神アッラー)に対して、
それを何かしら形に表すのは不遜に過ぎる、という。
アッラーの預言者であるムハマッドに対しても、同様にカタチ(偶像)で現すことはないし、それもまた不遜に過ぎ、決してしてはならないことなのだ。
ましてや、それを茶化したりすることは、それは風刺などといって笑えるものではなく
戦争を仕掛けているようにさえ私には感じられる。

『仏週刊紙テロ:表現の自由守れ!漫画をツイッターに投稿』
というところに
「ユーモアがなければ私たちは死んだも同然だ」
という風刺画(?)があった。
敬虔なイスラム教徒にとっては
「アッラーがいなければ私たちは死んだも同然だ」
と思うだろう。
「アッラーが冒涜されたら、それは自分の命に代えても許せない」
と思うだろう。
それぞれにアイデンティティがあり、尊厳があり、生きる意味がある。
それぞれに違ったそうしたものを持って生きている。

イスラム教徒を擁護するものではない。
イスラム教徒といっても人によって違う。
その当時、イエメンにも何件か外人向けにアルコールを出すホテルがあって、
そこでビールを飲んでいるイエメン人がいたので、(オレ的には結構腹が立って)
「酒飲んでるけど、イスラム教徒なんでしょ?」
と聞くと一瞬考えて
「ボーン ムスリム」
と酔っ払いは答えた。生まれながらのイスラム教徒ということだろうが、オレとしては
「はぁー、なにそれ。ふざけんな。酒飲むんならムスリムじゃないっていえよ。この半端やろう」
そんな気持ちだった。

ラジオで聞いたので、ちょっと間違いがあるかもしれないが、
この新聞社(?)のオーナー(?)のシャルルなんとかが、
「宗教でも風刺の対象になっていい……」
と言っていた。
宗教を風刺の対象にしてはいけないとは思わない。
しかし、風刺をするにはあまりにもイスラム教に対して無知であるし、
何よりも、先に書いたようにイスラム教を冒涜している。
風刺のつもりかもしれないが、暴力でありイスラム教(徒)に対する宣戦布告に思える。

しつこいようだが、殺人を擁護するものではない。それは許すことはできない。

トルコを旅していたときのこと・・・
ある田舎のホテルで、アメリカかヨーロッパの英語を母国語にする若者がホテルのボーイに何か話しているのだが、通じない。彼は何度も何度も同じことを英語で繰り返すが通じない。
彼は、最後には業を煮やし、ボーイに
「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」
と怒鳴った。英語で。
それでオレは彼に
「あんたがトルコ語を話したら、ここはトルコなんだから。べつにあんたの国じゃないし。不満ならトルコに来なきゃいいんじゃない。自分の国に帰ればどう」
といった。こういうやつ、オレ結構腹立つ。
(こいつ、火星人を前にしても「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」なんて怒っちゃうのかな。こういうのは風刺画にいいですね)

フランスはヨーロッパの中ではイスラム教徒は多い。とはいってもマイノリティには変わらない。ちゃんとしたイスラム教徒の心痛はいかばかりか。
もしも、世界のほとんどの国がトルコ語を話しても「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」というのだろうか。














付記)
20代で読んでくれている人がいたら・・・・・
旅をしよう。世界を見よう。
わかり合うには、まず、わからないということを知ろうよ。

イデオロギーとか、アイデンティティとか [いろいろ思うこと]

このところ選挙が続いている。
右だとか左だとか真ん中の道だとか、そういうことはとりあえず置いておこう。

沖縄には、「オール沖縄」という言い方がある。(オール読物はまだあるのだろうか・・・、それはまあいい)どういうときに使われるかというと、おもに米軍基地反対とか本土から理不尽なことを押しつけられたとき、とかとか。
たとえば、
「沖縄県民〜、一丸となって〜、この〜理不尽な〜要求を〜、断固〜、阻止しようでは〜、ありませんか〜!!!」
こんな演説があるようなときには「沖縄県民(ウチナンチュ)が一丸となって・・・」というような意味で、どこかに「オール沖縄」という言葉が入っても違和感がない。
僕は山形県出身だが、「オール山形」などと言う言葉は聞いたことがない。山形県にはそのような意識が存在しない。

「日本がもっとこうなったらいいな」とか、山形県民だったら「山形がもっとこうなったらいいな」という思いや考えで投票する。それは、ざくっとした意味でのイデオロギーを基にして行動していると言っていいだろう。東京に住んでいた経験から、東京に住んでいる人も多くはそうなのではないかと思うし、高知県民にしても茨城県民にしても似たようなものではないかと想像する。

沖縄県民も「沖縄がもっとこうなったらいいな」と当然思う。しかし「沖縄県民として・・・」などと始まるときは、そこには、イデオロギーではなくアイデンティティとしての礎がある。
そのアイデンティティの根は、一族(門中=ムンチュウ)にあったり、その土地にあったりするのかもしれない。それは僕にはわからない。





良寛のことば [いろいろ思うこと]

良寛が言葉の使い方、話し方について戒めている言葉を見つけた。
「ことばのおおき」という題になっていた。

人のもの言い切らぬうちにもの言う
人のことをよくも聞き分けずに答えする
もの知り顔の話
我がことを強いて人にいい聞かさんとする
親切げにもの言う、恨みのもと也
確かにも知らぬことを人に教ふる
すべて言葉は愛(お)しみ愛しみ言ふべし

「愛しみ愛しみ」などという表現は、ちょっと好きだな。
今住んでいる沖縄にある、言葉の使い方を戒めたことばには
「くとぅばやじんちけー」
というのがある。
言葉(くとぅば)は、お金(じん)を使うようによく考えて大切に使いなさい、という意味。
ここではあまり関係ないが、「じん」は「銭」が転訛したものと言われている。
(zeni→...→jin、それっぽいですね)
良寛の言葉に戻る。勝手に漢字に直してしまったが、実際に書いてあったものは、こんな感じ・・・。

ひとのものいいきらぬうちにものいう
ひとのことをよくもききわけずにこたえする
ものしりがほのはなし
わがことをしひて人にいひきかさんとする
しんせつげに物いふうらみのもと也
たしかにもしらぬことを人にをしふる
すべてことばはをしみをしみいふべし



良寛自身の体験からこのような言葉が出てきたのか、それとも、人を見ていてこのような言葉が出てきたのか知らないが、良寛自身の戒めとして感じられてしまう。良寛とて生まれ落ちたときから悟っていたわけではないだろう。失敗もありながら、しかし、一つひとつに意識を持って話し、聞き、・・・。そして、良寛となっていったのだろう。
良寛にしても、自分自身が気がつかないことは直せない。


のこのこ辺野古へ 6 [いろいろ思うこと]

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この人は、「スカイジュゴン計画」という名前をつけたたこ揚げ作戦をやり始めたところです。連凧にメッセージを書きそれを揚げる。毎週何曜日だったか決まっているようですが、辺野古に行くようです。子どもたちも楽しく参加できたり、凧が風に流されて米軍基地上空に飛んでゆくのもまたいいのでは、ということらしいです。よくはわかりません。

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反対派のシーカヤックの人たちと海上保安庁の人たち、それから調査のための櫓、櫓を囲んだブイ、そんなものがまとめて写っています。こんな感じでした。
海上保安庁の人はそれはそれで職務と自分自身の思いとかが乖離しているかもしれないし、シーカヤックの人たちにしても、「反対」という中に、自分のなかに、なにかちょっとそこにコミットしないなにかがあったりするかもしれません。僕は気持ちを聞いたわけではないので、かもしれないということですが。
考えさせられることが多い辺野古でした。  (のこのこ辺野古へ は以上)

のこのこ辺野古へ 5 [いろいろ思うこと]

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シーカヤックで反対を示す人たちです。カヤックの向こうには海上保安庁の方々が写っています。このカヤックのシステムがよくわかりませんが、来た人に貸していると聞いたような気がします。遠くからカヤックを持ってくるのは大変でしょうからね。

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これは推進派の人のボートで、赤い旗の下の所、紫色の地に「ODB」と書いた旗がつけてあります。(この写真では拡大しても判読できません。すいません)何の略かは知りません。先にも書きましたが、こうしたボートを貸し出しているのは一日5万円で雇われている近在の漁師さんとかとかだそうです。辺野古では、漁をしている人はほとんどいないとか、です。
ちなみに、反対派のボートには虹の7色の横のストライプの旗がついています。横に縞になっているからといって、よこしまな人たちと限ったわけではありません。

のこのこ辺野古へ 4 [いろいろ思うこと]

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辺野古の海からの風景ですが、この山の法面、赤茶けたところがあるのがわかるでしょうか。米軍が実弾演習をしたところです。こんなふうになっています。外れた弾が山向こうに飛んでいったりもしました。もちろん、そこには沖縄の人が暮らしているわけですが。山の名前とかいろいろ教えていただいたのですが、詳しくは忘れました。

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「のこのこ辺野古 3」で、登場していただいた海上保安庁のかたです。大きくするとこんな感じです。お話をしたことがないので、この人たちがどんなことを考えているのかわかりませんが、見た目ちょっと怖い気がしなくもありません。一人ひとりはひょっとしたらいい人なのかもしれませんが、こんなふうに仕事をしています。
シュノーケリングの用意をしているのは、いつでも飛び込んで「阻止」したりするためのようです。
それから、このゴムボートについている船外機はかなり馬力のあるもので、しかもそれが2つもついているということでした。反対派の方が言ってました。

のこのこ辺野古へ 3 [いろいろ思うこと]

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「辺野古に基地移設反対」というと、いまはないように思うかもしれませんが、既にあります。辺野古の海上から撮ったもので、米軍の基地です。この裏側、つまり基地の正面入り口には座り込みが続いています。それはさておき、今問題になっているのは、この海を埋め立てようとか、埋め立てないでもこの海の上をも基地にしようということなわけです。どちらにしても広大な海域を巨大な軍港にしようということです。完成すれば、それだけのお金をかけたのだから、永住するかそれに近いことになります。
ここにはジュゴンの餌になる海藻がたくさんあって、それでジュゴンが来るのですが、埋め立てなくともジュゴンは来なくなるといわれています。(それはそうでしょう)
写真のコンクリートの坂は、陸海両用車が、トレーニングに出入りするためのものです。わざわざトレーニングなどと書いてみましたが、軍事演習です。書きようでイメージがだいぶ違います。僕が行ったときには、陸海両用車は海上の向こうでものすごい黒煙を吐いていました。ここを出入りするとは、轟音がものすごいらしいです。


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海底の調査なのでしょう、櫓を組んで何やらやっています。それを阻止しようと、あるいは抗議しようとカヤックやボートが出ているのですが、それを阻もうと海上保安庁の人たちがゴムボートに乗って見張りをしています。ときどき「ブイに近づかないように」などの拡声器からの声が聞こえます。ちょっとまえですが、海上保安庁の人が、カヤックの人をけがさせたという事件が起こりましたが、この人たちのことです。(この写真では小さいですが、あとで大きく写った写真も載せようと思います)新聞一面に、一般人を羽交い締めにしているような写真が大きく出ていましたが、やっぱり事件になるのはまずいので、ちょっと気にしながら仕事をしています。ちなみに、ここで新聞といえば「琉球新報」と「沖縄タイムス」のことです。それから、こうして出来事があったりすると、証拠が大事になるからでしょうか、賛成反対どちらの側の人も、ずっとビデオを撮っていました。

のこのこ辺野古へ 2 [いろいろ思うこと]

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全くわからないと思いますが、これは、先に書いた300年かかってできた珊瑚礁です。これだけ大きなものはそうそうないらしいです。この日の海は少し濁っているようでした。どれだけの価値があるのかは僕にはわかりませんが、巨大なものではありました。ちなみにここも埋め立てられる予定の所のようです。


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反対派のテントです。運動会の時に使うようなテントが2つ。夜間は人はいなくなりますが、テントはそのまま常設。中には、どうして反対なのかいろいろと書いたものがあります。過日、雨のひどい夜だかに、中に置いてあるパネルや資料などが、だれかに海に放り込まれたとのこと。それから、この人たちは同じ反対派でもカヌーで反対している人たちとは、ちょっと反対の仕方が違うのだそうです。

のこのこ辺野古へ 1 [いろいろ思うこと]

沖縄の常なのでもありますが、辺野古にしてもいろんなことが絡み合っていて、一筋縄ではいかないようです。たとえば、漁師さんで、一日5万円の日当で建設側に雇われている方もいます。この写真の方は反対している方で、現状を視察にきた方をボートに乗せて、この辺りがどうなる予定だとか、ここの下には300年かかってできた珊瑚礁があるとか、そうしたことを案内してくださったりもします。

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僕としても思うところはありますが、比較的ニュートラルなところからちょっとだけ書こうと思います。ちなみに、写真は今年の9月10日に撮影したものです。

ソブラエティ または 酔生夢死 [いろいろ思うこと]

ソブラエティ(sobriety)とは、酒に酔っていないこと、酔わないで生きるという意味。そのほかに平穏とか豊かさという意味があるようだが、酔わないで心の平穏さを保つとか、酔っ払っていることのむなしさに対する豊かさとか、そういうふうに考えれば、反対方向から見ているだけで、ほぼ同義ともいえる。

中学生だった時、Y校長先生が校長講話の折によく話をしていたのが、「酔生夢死」ということだった。goo辞書というのには
「何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から。」
とあった。

酔った状態、とはどういうことだろうか。酔った状態で生きるとはどういうことだろうか。
アルコールに酔う、女性に盲目になる、ばくちにのめり込む、受験勉強に明け暮れる、事業の拡張に夢中になる、ボランティア活動に熱中する・・・、そうしたことは酔っているということだろうか、酔っていないだろうか。
山田洋次監督は映画作りに酔っているだろうか、酔っていないだろうか。
あるいは、覚醒しているとはどういうことか。あるいは、平穏とか豊かさとかどういうことだろうか。
たまたまユーチューブで「禅」という映画を見た。修行に修行を積み重ねる中に「悟り」を得てゆこうとする僧が描かれているのだが、僕の中のどこかで
「それって酔ってんじゃない?」
と思ってしまった。

酔生夢死という言葉は、原典は程子語録という書物によるのだそうで、
「雖高才明智、膠於見聞、酔生夢死、不自覚也」
とあるのだそうだ。平易な言葉に訳してみると(間違っているかもしれないけど)、
「いくら頭いいったって、自分が見たり聞いたりしたものだけにこだわってたら、酔っぱらったまま生きていても、夢見るように死んでいっても、わかんないんじゃないの。」
こんな訳はどうであろうか。
酔うというのは、周りが見えないほどに何かにこだわることに通じるかもしれない。たとえば「悟る」ということにこだわりすぎると、日々の生きるということから、あるいは「悟る」ということの本質からそれて行ってしまいそうな気がするが、そう感じるのは変だろうか。

ちょっと話がかわるが、以前Nという人の『気の奥義』という本を読んだことがある。その時は、気を学んでいたので、気の奥義とはいったい何だろうと真剣に読んだのだった。気の奥義について、一冊のそのなかにわずかこう書いてあった。
「気の奥義は、過去を捨てて今を生きること」
これは「謬於見聞、・・・」に通じるのかとも思う。
過去やこだわりを捨てて生きたとき、平穏とか豊かさとか、そうしたものに近づくのだろうか。(ちなみに、N氏はがちがちに過去にしがみついているように見えたので、いかがなものかと思った。)

アメリカに暮らす非常に優秀な友だちがいるが、彼女にソブラエティについてメールで聞いたことがあった。その返信の一部を
・・・・・・・・・・
ソブラエティという表現で普段耳にする事はほとんどありませんが(少し専門的な使われ方かもしれません)、その語源となっているsober (しらふ)という形容詞はよく使います。パーティの後で、車を運転して帰る人に「Are you sober? (しらふだよね)」とかそんな使い方です。
おっしゃるように、Soberには、ただ「酔ってない」という事以上に、「平常心」、「本来の自分」というようなニュアンスがあるとは感じます。

あくまでもアメリカの話ですが、ピューリタンが建国した国のせいか、お酒に酔って正体を無くすのはとても軽蔑すべき事、と彼らは捉えるようです。酔うことは、自分ではなくなること、無責任になること、そんな考え方がベースにあるように思えます。
・・・・・・・・・・

人は、生まれたときにはそのままの自分なのに、いつからか、自分自身に違和感を持ったりすることもある。そのあげく「自分らしく生きよう」などという努力に、人生の多くをさいたりして。僕が僕であることは大切なことなのだろうとは思う。でも、ある意味どうでもいいかもしれない。
僕には、日々の生活を丁寧に生きることの中に、ソブラエティということを理解するヒントがあるように思えるが、そんなこともどうでもいいのかもしれない。酔生夢死というような生き方をしないようにと中学生の時に教わったが、その善し悪しなどどうでもいいのかもしれない。
三が日から酔いが覚めそうな話になってしまった。




なぜヒトは二足歩行になったか [いろいろ思うこと]

最近のイギリスの研究者によると、補食動物から逃れるために、岩場や厳しい渓谷に身を隠すようになったが、そこでは、より直立した状態で行動する必要があり、それが二足歩行へと進化していった、というのだ。
最も支持されている説としては、樹上生活をしていたが、気候変化による必要性(食料不足)のために地上(サバンナ)に降り、そこに適応するために二足歩行が始まった、というもの。
アクア説などというのもあり、ヒトは一時期水中を中心とした生活をしていて、その時期に水中で二足歩行が始まった、というもの。
どれも決定打がでないのは、なかなか証拠が挙がりにくいからだろうと思う。
先日こんな説を聞いた。僕は科学者ではないのでかまわないだろう、この説を支持する。
「愛する人と手をつなぎたかったから」



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応援よろしくお願いすること、しないこと [いろいろ思うこと]

流していたラジオのナイターの勝敗がつきヒーローインタビューが始まった。流しているだけなので誰がお立ち台に立ったのかも知らない。だいいち、もう野球選手の名前など、イチローがわかるくらいでしかない。
それはさておき、最後にその若い選手がいった、
「これからもがんばります!応援よろしくお願いします!!!」
ホームでやったのだろう、満場の拍手と歓声。
「応援よろしくお願いします」か。口の中に何かちょっと苦いものが残るような感じがするのはなぜだろう。応援、声援は力になる、ということはわかるが、どうもなにかすっきりしない。だからといって、そう言うべきではないと思うわけでもない。
応援よろしくお願いします、僕が小さい頃に聞いた覚えがないから、僕になじまないだけなのだろうか。

スポーツ選手は、それぞれの人の中の何かに突き動かされサッカーをしたり野球をしたり卓球をしたり山に登ったりするのだろう。もちろん、絵を描いたり歌を歌ったりお踊りを踊ったりするにしても同様なのだろうが。
そうした自分の中のなにかに突き動かされてやっているだろうことに、僕が応援したければ応援するけど、よろしくお願いされてもなあ・・・、こんな感じなのかもしれない。
今これを読んでくださっている方にしても、この「壺の中」がつまらないと思ったらここを開かない。僕自身が書きたいことを書いているだけなのに「壺の中、応援よろしくお願いします!」などと言われたら興ざめだろうし、恥ずかしい気がして僕にはいえない。


つい先日ラジオでこんな話を聞いた。
ある幼稚園の運動会でのこと。
幼稚園児くらいだと、同じ学年でも一年の差は大きい。
その運動会で、まだ小さく体力もまだまだだったAちゃんが、かけっこで走る番になった。
案の定Aちゃんはびりっけつで、一等賞がゴールインしてもまだまだ真ん中あたり。
一生懸命走るAちゃんに友だちのひとりが声援をおくった。
「がんばれ!Aちゃん!」
堰を切ったようにそこにいたみんながAちゃんに声援をおくった。
「がんばれ!!!Aちゃん!!!」
Aちゃんは一生懸命走って、幼稚園の先生の持つ白いテープにゴールしました。
ゴールインしたAちゃんは満面の笑みを浮かべました。
・・・そんな話でした。

僕はAちゃんのように走りたい、走り続けたいと心から思う。

今回がアップ100回目。
多少なりとも読んでくださる方がいるらしいのに支えられて。
ありがとうございます。
ただただ感謝です。
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宮本武蔵がいうには [いろいろ思うこと]

石巻の仮設住宅の集会場にうかがって、たまたまその人と話をしていたら、その人は剣道の達人だということがわかった。
つい最近『バガボンド』という宮本武蔵のことを書いたまんがを読んだところだったので、そんなことを話したら、
「まんがだからってあれはバカにできない。なかなかいいもんだ」
と思うところありげにいった。そしてまた、今の剣道はいろいろな流派があるけれども、おおよそ宮本武蔵を基としているということだった。
その人は、しみじみとこうも言っていた。
「宮本武蔵みたいな強い人でもやっぱり死んでしまうんだもんな・・・」
武蔵、享年62歳。晩年書き上げた『五輪書』は、僕が二十代か三十代の頃に読んだ。最初岩波文庫を買って読み、そのとき何かしら感銘を受けたのだろう、その後、岩波文庫のワイド版を見つけて買った。しかし、哀しいかなどのようなことが書いてあったか今は全く覚えていない。

「見るともなく全体を見よ」
それは『バガボンド』に書いてあった宮本武蔵の言葉だ。『五輪書』に書いてあるのかどうかは知らない。
武蔵も若かりし頃は何かを凝視し、深い藪をかき分けるようにしながらひたすら己の道をつき進んでいた。真っ直ぐに突き進む若い武蔵の姿も素敵なことだったろうと思う。
僕は以前こんなふうに思った。目標を見据えてそれに真っ直ぐに向かってゆけば、確実に一歩近づく。途中どんなことがあっても、つまずいて転んでも、それでも間違いなく一歩近づく。うまくゆくとかいかないとか、そういうことではなく、それでいいと。
雪の降りしきる真っ白な雪の平原を真っ直ぐに歩いてゆこうとすると、人はどちらかに円を描くように曲がって歩くのだそうだ。
足元だけを見て歩いても同じことが起こることは自明だ。足元を見ているから石ころに躓いたりはしないだろうが、しかし、ふと思いたって顔を上げて周りを見わたすと、・・・元の位置に立っている。
そんなことを恐れていた。それよりも、転んでも一歩近づく方がどんなに素敵かと。

仮設住宅に住むその人は、毎朝素振りを決まった本数振るのだそうだ。若い頃は何分で振れたが、今は何分余計にかかるようになってしまった、とちらと寂しそうな表情を見せながらいった。
彼のご家族は大丈夫だったのだろうか。毎日どんなことを思いながら暮らしているのだろうか。思いは巡るが、僕からうかがうものではない。もしお話くださったらしっかりと聞きたいと思うが。
「がんばろう日本」その方々が言うのはかまわないと思うが、石巻を見てしまって言うには、僕にはちょっと抵抗がある。
まさに洗いざらい奪われてしまったあの現場、大方のがれきは撤去され「あったものがない」風景。

僕自身、これからの生活など一切合切どうなってゆくのかわからない。
そんな漠とした将来を思うときに、「見るともなく全体を見る」もしそんなふうにものを見ることができたとしたら、何かが見えてくるかもしれないような気がする。




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ほたる [いろいろ思うこと]

たまたま過日知ったのだが「ほたる」を英語ではfireflyと言うのだそうだ。これを聞いた瞬間に、日本語を母語に生まれて良かったと思った。
このfirefly、燃えるハエ、燃えるように光るハエ、ということであろうから、たとえば「ひかりバエ」とでも訳せるのかなと思うが、
「ほ、ほ、ほ〜たる来い・・・」
あのほたるを、闇の中を飛ぶあの明かりを、ハエ、アブ、蚊などの双翅目の昆虫をまとめていうflyと一緒くたにはしたくない。ハエみたいなのが光っているからひかりバエ、というのは僕には哀しすぎるし、そういう感覚にはなじめない。そもそも、ほたるはハエとは仲間じゃなくて、カブトムシとかに近い仲間なのだし。

「ほたる」の語源ははっきりとはしていないようだけれども、貝原益軒の『大和草本』には「ホは火ナリ、タルは垂也」と書いてあるのだそうだ。※
火が垂れる、垂れるというと、下に垂れるという感じがしてしまうが、飛んでゆくときに残像が残るさまと解釈していいだろうと思う。香が残るようにかすかな青白い残像を残しながら闇の中で揺らぎ流れてゆく。そのようすを「火ガ垂レル」というのはとてもしっくりくる。

日本語の豊かで美しい感じは蓮の花に似ていると思う。
水中で蓮の地下茎が伸びては、そこにまたレンコンが生まれるように、言葉に言葉が継ぎ足されて新しい言葉が生まれてゆく。人はさまざまな感覚・感情・想像力をもつ。ものの名前と、人のそうしたものが結びついたときに、水面から蓮が花を咲かせるように、人の心に触れるような美しい言葉が新しく作られてきたように思う。

幼かった頃、家の庭にほたるが出たから見に来ないかと、近くのTくんのお母さんに誘われて母と一緒に出かけた。
行ってみると、庭の家庭菜園のそちこちに、ほたるがいくつも光っていた。
Tくんのお母さんが持って帰ったらいいと、植えていたネギの上のところ、青く空洞になったところをちぎってくれた。捕まえて入れてもらったネギをしっかりもって、ほたるを大事に持って帰った。
四、五匹ばかりのほたるを蚊帳の中に入れて、まだ寝る時間でもないのにわざわざ電灯を消してもらった。
カヤの内側に付いたほたるは点滅を繰り返しながら流れては止まる。僕はそのほたるの小さな点滅を飽かず目で追った。
子どものご多分に漏れず、いつのまにか寝てしまった。
生まれて初めて見たほたるだったかも知れない。

人寝て蛍飛ぶなり蚊帳の中  (正岡子規)

という句もあるが、蚊帳の外から見たらそんなさまであったろうか。
「光りバエの思い出」といってはあまりにも興ざめで哀しい、とやっぱり思ってしまう。ほたる・蛍・火垂・・・、心は言葉の集積でなりたっている。
思い出に淡く残像を残すような、そんな響のほたるでよかったと思うし大切にしたいと思う。













※下記のところからの引用
http://www.kamameshi-yanagawa.jp/hotaru/yanagawahotaru2012.pdf
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