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「この先、行き止まり」 [日々の生活のこと]

30年も前のこと、下北沢に暮らしていた頃のことだ。
今の下北沢はどうなっているか知らないが、当時の下北沢はとにかく道が入り組んでいた。細い路地が多く人ならともかく車は通れるのかねえ、と思ってしまう道が少なくなかった。
下北沢駅南口に近いところで、ある路地の入り口に
「この先、行き止まり」
の縦長の看板が電柱にくくりつけられていた。そこに入ったことはなかったが、車で通る度に気になってしかたがなかった。どうしてその路地が気になったかといえば、その路地を通り向けると線路の向こう側、つまり駅の北口の方に出られそうな感じがするのだ。ここが通れたら、ここが抜け道に使えたらと思うのだ。
中古の車でカメラマンの仕事に出かけていたのだが、あるとき勝負してみようとその路地に車で入っていった。すぐに行き止まりだった。よそ様の駐車場で切り替えさせてもらって路地を出ようとした。
その出口、例の「この先、行き止まり」の看板のウラには
「だから言ったろう、バーカ!!」
と書いてあった。
思えば人生行き止まりによく出会う。
行き止まりに出会うのは、変なところに入ってゆくからだな・・・。
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うちのからし菜の花とミツバチたち [日々の生活のこと]

今、うちの庭のからし菜(菜の花科)の花が満開で、ほとんど庭を占領していて、
ちょっと迷惑気味ではあるけど、切るに切れない。
そして、このところずっとミツバチが蜜を吸いに来ている。
朝、日が照りはじめた頃にやってきて、お昼頃には帰っている。
めんこいなーと思う。

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あなご、それからイワミーバイ [日々の生活のこと]

7月はどういう加減かわからないが、あなごがよく釣れた。狙いがあって釣る人には始末の悪い外道ではあるが、小生としてはもともと五目なので外道も何もない。
よく釣れたので杉板で専用のまな板を作り庭で裁くようになった。ぬめりを取って目に〆打ちをして開き、ぶつ切りにし、塩をまぶして鉄板で素焼きにして食すことが多かった。うちでは、かみさんの方が魚好きなのでほとんどかみさんが食した。天然のあなごなのでもちろん美味。
8月はミーバイをよく釣った。本名は知らないが沖縄ではイワミーバイといわれている種類で、これは沖縄で3大高級魚のひとつ。写真を取り忘れてしまったので写真はない。
イワミーバイは狙って釣ったものだが、このポイントでは小生以外はカーエーというものすごく釣りがいのある、つまり曳きのいいものを狙っているので、小生はかなり地味に釣りをしていた。夏休みということで遊びに来ていた土地の中学生が話しかけてきて、何を釣ったのかと聞くのでクーラーボックスの中のイワミーバイを見せたら、ここで釣れるんだ!!と驚いていた。
ちなみに、これも塩焼きにして食したが、ほとんどはかみさんの腹の中に入った。
以前糸満に住んでいたころ、オニカマスのポイントを見つけてよく釣ったが、自分が探し見つけた自分のポイントがあるのはいいなと思う。
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庭のハンモック [日々の生活のこと]

ニカラグア滞在中にハンモックを買った。ニカラグアのアパート(のようなところ)では使える環境になかったが、帰国してから使いたいとひとつ買ってかえった。
ちなみに、ニカラグアの人は、ロッキングチェアとハンモックが大好きで(揺れ物好きとでもいいましょうか)、ずいぶんと暮らし向きが厳しいような家にもロッキングチェアはあったりする。ニカラグアの南隣のコスタリカにも行ったが、コスタリカではロッキングチェアを見た記憶はない。
それはさておき、
帰国してからまだハンモックを吊したことがなかった。どうにか使いたいと思ってはいたが、日本の家向きではなく、吊すのにいいところを探せないままにいた。
今回沖縄に来てからはいまの借家にずっと住んでいるのだが、ここは庭が比較的広い。この庭には黒木(琉球黒檀)が何本か植えてあって、この黒木を利用してどうにかハンモックをつるせないものかと長いこと考えていた。
考えてきたが、ここにきて(今頃やっと)いいことを考えついた。それで、早速簡単な設計図を書き、作ってみた。
実際に作ってみて、横に渡しているパイプが5メートルを要したのには驚いた。想像以上の横幅が必要だった。これではつり下げる場所を探すのに苦労するわけだ。
写真は、朝まだ陽が直接あたらないうちのもの。(モデル、かみさま)中央のもっこりした緑の木が黒木。黒木は丈夫なので、倒れないようにパイプを結びつけている。それから、これが重要なのだが日中は木陰を作ってくれる。手前や奥に写っているのはパパイヤ。パパイヤは何本もあって、大小合わせると20個くらいは実をつけている。
写真は、クリックすると大きすぎる写真になるので注意。


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向こう側はだいぶ低いうえに畑になっているので人目は気にならない。


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パイプとチェーンが摺れないようにホースに通すなど、ミニミニ工夫をした。
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「フーチバーの香り」 [日々の生活のこと]

まだ母が生きている頃の原稿なので、7年くらいまえに書いたものだろうかと思って見たら、日付があった。平成20年の9月だった。8年前になる。『パン便り』というたぶん沖縄のパンの業界紙だろうと思うが、ご縁があってそれに短いエッセーを書かせてもらった。このときはまだ母は生きていて、沖縄にも一度来た。その後透析が始まり、節制するということが苦手な母は、透析したり食事制限したりということが苦痛だったままいってしまったのだろうと思う。
まあ、せっかく出てきた原稿なので、備忘録的にブログに載せておこうとおもう。ちなみに、フーチバーとは沖縄の言葉でよもぎのこと。正確には沖縄よもぎという種類かもしれない。だとしても本土の種類とたいして変わらない。
写真をクリックすると大きくなって読めるようにはなるが、顔写真も大きくなるので、くれぐれもそこのところはご注意いただきたい。




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NHKラジオイタリア語講座、というより高座に近い [日々の生活のこと]


たまたまNHKのラジオ第2に合わせていたらイタリア語の講座が流れてきた。
聞いていたわけでもないがそのまま流していた。
話しは美術館に行った父親と男の子の会話。美術館が出てくるあたりがイタリアじゃないですか。
で、レンブラントの絵を見ながら(レンブラントが出てくるあたりもイタリアだね)
父親が聞く
「この絵はどう思う?」
男の子
「光と影の感じがとってもいい」
父親
「おー、わかってるじゃないか!!」
その後にダビデの像なども見たりしながら美術館を出る。出たところで、
父親
「一番良かったのはなんだい?」
男の子
「ん・・・、切符売り場のお姉さん」
父親
「おー、わかってるじゃないか!!」
(このあたり、最高にイタリアでんなー)
チャンチャン。
でも、NHKラジオの語学番組なんですけど・・・。

そーいえば、ヤマザキマリが
「イタリアには普通という言葉はない」と言っていた。(と思う)
すとう的には、それはかなりナイスな感じ。
次に生まれるときはイタリア人がいいかもしれない。温泉あるし。
そーいえば、イタリア人は手を動かさないと話ができない。
そーいえば、淀川長治さんが愛した『道』(La Strada)もイタリア。

そーいえば、徳島には阿波踊りをリハビリに取り入れているところがあって、
立てないといっている車いすのじいさんが、阿波踊りのあの鉦や太鼓の音が聞こえてくると
立ち上がって手足を動かして踊り始めたりするのだそうだ。
・・・これは関係なかった。




宇宙いも [日々の生活のこと]

友達に「宇宙兄弟」にはまっていると言ったら、
「宇宙いも」をくれるとどこからか出してきた。二個もらった。
小惑星のような雰囲気がある。行ったことないけど。
近所の人が植えているのだそうだ。
むかごのようなものらしい。
一個は食べて、一個は植えようと思う。


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カニステルが実をつけた [日々の生活のこと]

庭には二羽ニワトリがいて・・・。
もとい
庭にはカニステルの木が1本あって、
大家さんが植えたものかどうかもわからないが、
ここに来たときにはすでにあった。
住み始めてからいままで実をつけたのを見たことがなかった。
それが、先日実がなっているのを見つけた。
確認できたのは2こ。
食すにはまだまだ時間がかかる。
熟してくると黄色く色づいてくる。
味や食感は、ざくっというとカボチャに似ている。
(他のものにたとえるのはいかがなものかと思うが、わかりやすい)
個人的にはおいしいと思うが、
どうしてなのか飽きがくるのが早い。


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このバナナは・・・ [日々の生活のこと]

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うちにはバナナが3株あって、どれも違う品種。そのうちのひとつは三尺バナナとわかっているが(このバナナは背丈が低いのでわかりやすい)、あとの2つは名前がわからない。そのわからないうちの一つがこれ。酸味が強くてどろっとした感じで、いわゆる島バナナかなとも思うが、正確にはわからない。(現在では交配が進んで、純粋な島バナナはほとんどないという専門家もいるようだ)
上の写真が木に生っている状態で、これが熟して下の写真に。品種がわからなくても味に変わりはないので困りはしないが、わかると収まりがいいので誰かわかったら教えていただけるとありがたい。

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丁寧に使ってきたらんぼうTシャツ [日々の生活のこと]

だいぶ前になるが、みなみらんぼうさんとお仕事をご一緒させてもらったとき、
らんぼうさんからオリジナルTシャツを頂戴した。
胸に似顔絵とサインの入ったもの。大切に使っていたが、今日洗いざらしを見たら
さすがにちょっと疲れてきていた。
記念ですから、写真を撮っておきましょう。
ご一緒させてもらったのは雑誌の仕事。伊豆の山を歩いた。
機材を持って、とっとことずいぶん前に行き、歩いてくるらんぼうさんを
前から撮ったりしてました。
ちなみに、らんぼうさんは見たとおりの柔らかな感じの素敵な方でしたよ。


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にんじんの種を蒔いてみた [日々の生活のこと]

比較的近いところに、「自然農法」で作った野菜を売っている小さなお店がある。
そのおやじさんがいう自然農法とは、畑に肥料をやらない(肥料として売っている
肥料のことで、たぶん、野菜クズなどは大丈夫なのだと思う)、もちろん農薬は使わない、
だいたいそういうことらしい。土はよく空気に触れさせた方がいい
といっていたことがあったから、不耕起というわけではない。
先月、クリスマスが近い頃に、おやじさんと話をしていたら、
にんじんの種まきはこれからでも大丈夫だというのだ。
長野にいたときには、夏、お盆の頃に蒔いたと思う。沖縄でも、にんじんに関しては
たいして変わらず、やはり夏ころに蒔いて、冬から春頃に収穫するのが一般的だ。
おやじさんが言うには、土に必要以上の肥料がないので、なかなか花を咲かせようとせずに
根に栄養がゆくということだ。
少し古い種ではあったが、糸満の喜屋武(きゃん、と読む。にんじんの大生産地)の農家が
使っているかなり高級な種が残っていたので、蒔いた。クリスマスが過ぎていた。
収穫できるのか今でも半信半疑だ。



座禅用の木製座布団というか、木製腰敷き [日々の生活のこと]

座禅用の木製座布団というものを作った。木製なのに座「布団」というのはどうもしっくりこないが、実際の商品を見てみると、どうもそういう言い方をしている。個人的には「木製腰敷き」とか「木座」というのがまあまあ当てはまるかなと思うのだが、まあ、どうでもいいか。

作り方(必要ないと思いますが・・・)
杉材(100ミリ×20ミリ×長い)を33センチくらいに切り、横3枚その上に直角になるように3枚、またその上に直角になるように3枚、というふうに貼り合わせる。釘などは一切使わずに、ボンドで貼り合わせたかったので、一枚貼ってはクランプでがっちりと挟んで一晩おく、という作業を繰り返す。
次に、適当な大きさの円形のもの(大きめの鍋のふたとか)で作りたい大きさの円を描く。
大きく切り落とすところはのこぎりで切り落とす。
次に、グラインダーに木材削り用の刃(やすり)をつけて、深削りにならないように気をつけながらまんべんなく削ってゆく。
手で縁を触って納得ゆくだけ円形になったら、腰をかけるときに角がないように、角の部分を削る。
グランダーで円周、角落としが充分できたところで、仕上げ用サンダーでなめらかにしてゆく。
以上が木材加工。
それが終わったら、砥の粉で目止め。充分乾燥したら拭き上げる。
柿渋に色づけように弁柄(べんがら)を入れて溶く。(今回は茶色を使用しました)
それを、木目に沿って布ですり込むように拭く。
乾燥したら、できあがり。
以上
文字にするときわめて簡単です。
ちなみに、これはかみさん用で、50年使うと言っております。

しばらく前にちゃぶ台を作った。その時にも思ったのだが、円形のものは、最終的には手で触って円形具合を確かめるしかない。その感じが、作っていてなんとも手作り感が深い。
もちろん簡単ではない。

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貼り合わせるときに木目を合わせてみながら、
ああでもないこうでもないと考えるのもまたいいものです。

私はちゃぶ台を作ったがひっくり返してはいない [日々の生活のこと]

ちゃぶ台を作った。
素人的にちゃぶ台の難しいところは、天板が丸いこと、脚を折りたためるようにしなければならないこと。そして、制作上一番大切なのは、その脚と天板を結びつける「枠」(何というのか名前を知らない)がポイントだということがわかった。わかりはしたが二度と作ることもないだろう。大変だから。
写真を載せましょう。
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ちゃぶ台はかなりいい感じなのだが、写真はひどい。まあ、いいか。ちなみに、天板に塗っているのは蜜蝋ワックスという自然なもの。赤ちゃんなめても大丈夫です。
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実際に作る人は少ないと思いますが、制作者それぞれに工夫しているようですね。私は、二脚をひと組にして一緒に折りたためるようにしてみた。
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左右の45度くらいにななめになっている板は、脚が折れ曲がってこないようにするためのストッパー。もっと両側に開くと、脚が折りたたまれないための押さえになる。私の場合はこんなふうにしてみました。


美声の千堀さんがやってきた [日々の生活のこと]

うちにはテレビがなく、ラジオの生活をしています。
今回いろいろ思ったんですが、おれ、ラジオが好きなんだな・・・。
ま、それはおいといて、いろいろと都合があって、ラジオを1台買い足すことになりました。折角新しく買おうとなれば、音質とか使い勝手とか、もちろん機能もCDはとか、BTとかいうのはあったほうがいいのかな、・・・とかとか。
島にある製品は限られているけど、それでもお店に行って実際にラジオをつけて音を聞いたり(量販店はどこも音の入りが悪いのですが・・・)
そんなことをしながら、何年か前に検討して買わなかったTivoli Audio という
アメリカのメーカーのSongBook というものを思い出してネットで見てみると、
製造終了していました。
(ポータブルで、とってもかわいいラジオです。もちろん音質もいいようです)
在庫があるかなあ、とネットであちこち探したのですが見つけられませんでした。
(一店、先月まであったんですよね〜〜、というところがあったけど、残念!!でした)
それで、かなりいろいろ検討した結果、このメーカーのModel One という
とってもシンプルなものを購入。
ネットのレヴユーに違わず柔らかくとても聞きやすいです。モノラルなのですが、なまじ
ステレオよりも立体感があるように感じられます。
今日来たばかりなのですが、なんというか、ラジオを聞くということ以上に、
ラジオを楽しむというか、ラジオを味わえるというか、そんな感じがあります。
(所詮ラジオではありますが・・・)
お名前は、千堀さんという名前になりました。美声の千堀さんです。
それにしても・・・、千堀さん地味です。




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台風6号 [日々の生活のこと]

数日前から、台風6号のことがニュースになっている。
いま、沖縄本島(ここは本島南部)に最接近中。
全国版のニュースでの台風の規模の報道と、沖縄に住んでいる人たちの台風に対する
認識とは時としてちょっとずれがあったりするようだ。
報道の間違いというわけではなく、慣れからきていると思うが。
沖縄に住んでいる実感として、ネイティブの沖縄の人たちが
「これは凄いのが来るぞ!!」
というときは、サンエーとかマックスバリュなどの大手のスーパーのカップラーメンが
きれいに売り切れる。
これが目安になる。
ついでにいうと、そういうときのスーパーは殺気がみなぎるような気がするのは
私自身の気のせいだろうか。
夕べ近くのマックスバリュに立ち寄ったときには、カップラーメンが普通に並んでいた。
それに店内の空気も穏やかだった。
それでも台風だといえば、物干し台を横に寝かせて、鉢植えも端に寄せて寝かせ、
バケツやスリッパ、外に出してあるこまごましたものを飛ばないところにしまって。
最後は、いつもは閉めない締まりの悪い雨戸を閉め・・・。
としなければならないことがたくさんでてくる。


アキレス腱、その後 [日々の生活のこと]

アキレス腱を断裂させたのは昨年大晦も目前の12月27日だった。ひとのアキレス腱がその後どうなろうと、あまり知ったことではないと思うが、自分のメモとしてちょっと書いておきたい。
何はともあれ、左足のアキレス腱を断裂させたのはラッキーだった。
ギブスをしても車の運転ができたし、いろんなことが不便なだけで、生活に大きな支障なく過ごしてきた。
しばらく前からギブスではなく、装具といっているが、取り外しのできるギブスに代わる固定具をつけている。これもおいおいとはずされることだろうと思う。
ギブスは断裂から2週間後、その1週間後、また1週間後、と足首の角度を変えながら3回つけた。
それから装具になった。この装具というのは鉄のスリッパに膝近くまで鉄の物差しのようなものが突き出ているもので、鉄の物差しに足を固定するのでアキレス腱に無理がかからないようになっている。
もちろん鉄がむき出しではなくクッションがある。これのかかとの所に4枚のくさび状の板が入っていて、それを1週ごとに1枚抜いてゆく、ということをしてゆっくりとアキレス腱を伸ばしてゆく。
現在は1枚残っているだけ。
さて、先週病院に行ったときのこと。
S先生は断裂した辺りをもみもみして、
「いやあ、よくくっついてますね。順調ですねー」と笑顔。
ちなみに床屋に行ったばかりのようでおぼっちゃまになったいた。
こんどは、ふくらはぎをもみもみして、
「ほらね、足が動くでしょ、ほらほら・・・」と嬉しそう。
S先生は整形外科部長で、もちろん手術もするのだが、僕の場合に関しては治療らしい治療はしていない、というかできない。ギブスを巻いてくれて、アキレス腱がくっつくのを見守ってくれた。
外ではなにかアクシデントがあるといけないので装具をしているが、家の中でははずしている。
3週間後にまたS先生に会いに行く。


アキレス腱断裂!!! [日々の生活のこと]

ひとの痛みはわからない。と言ってしまえばぶっきらぼうに過ぎるが、その人のつもりになって思ってもなかなかわかるものではない。
過日、テニスをしていてアキレス腱を切った。切れるときに大きないやな音がした。

「切れてますね〜」
「ほら、ここをこうしても、ここが動かないでしょ。切れてるんですよ」
ふくらはぎをむにゅむにゅしながら整形外科医が診断した。

仕事をしながら、障がいを持った方ともお話しすることがる。そうでなくとも、いろんなことを聴くにつけ、人はいろんなものを抱えているものだなと思っていた。
心に関わる仕事の業界では「悩みのない家庭はない」と言われるほどに大なり小なり悩みや問題があるのが普通。ひとは悩みや問題ごとを抱えているものだ。もちろん僕もそれなりに悩むこともあるというか、些細なことも含めいつも何かしら悩み事を抱えている。
とはいいながら、とりあえず障がいを抱えているわけではない。(障がいの有無、あるいはどこからが障がいなのかを僕は知らないが)しいて言えば、僕は音感が悪くて、ようはひどい音痴で、ある意味ではそれも障がいなのだろう。音感のいい人にとっての「音」と僕の感じている音では意味が違う。
(おんちのことは一度書いたことがあった。
http://ningen-isan2.blog.so-net.ne.jp/2012-10-17

今は左足にギブスをしている。初体験!それから、松葉杖も初体験!
松葉杖というのは、そのまま前に出すのではなく、弧を描くようにして前に出す。(このことは何かで読んで知っていた)さすがに道は譲ってくれるが、弧を描くように松葉杖を振るので、すぐ横を通ってゆかれても松葉組としてはちょっと困るのだ。
ほんの一例だが、こんなことさえも体験してみて初めて見えてくる。世界が違って見える。
人の痛みをわかったつもりでいると、本当に大事なものが見えなくなるのだろう。
わからないのだ、ということを忘れないようにしたいと思う。




南城市、市議会議員選挙3 [日々の生活のこと]

と、市議会議員選挙、いろいろあったんですが、
かみさん共々、ここに来てまだ間がないので、投票権がありませんでした。

南城市、市議会議員選挙2 [日々の生活のこと]

昨日もどなたかの応援の人がやってきました。
小太りのおっちゃんで、バカボンのパパもたじろぐくらい鼻毛がお元気な方でした。
で、写真カードを差し出してこの人をよろしくお願いします、というので、
この人は何を言いたいのですか?
と聞いたら、鼻毛のおっちゃんたじたじになっちゃって、
オレ、いじめてるつもりないけど、何かしらやりたいことや言いたいことがあるだろうからと聞いただけなんですけど。
ちょっとしてから出てきた言葉が「戦争反対」でした。おっちゃん、いいこと思いついたような感じでした。一緒についてきていた30代の女性、ちらと苦笑いをしてました。
戦争賛成と思っていたとしても、だれもそういって選挙に出る人はいないわけですよ。ましてや、ここは沖縄なんですからね。
それに、だいたい、市会議員選挙ですから、何か違う気がするんですけどね。
大丈夫でしょうかね、南城市。

南城市、市議会議員選挙 [日々の生活のこと]

今住んでいる南城市では、どうも来月市議会選挙があるらしい。
それで、今日在宅中にとある立候補予定の人が訪ねてきました。
写真入りの名刺とカラーのチラシを僕に手渡しながら
「××です。よろしくお願いします」
という。
それで、ただよろしくお願いされても困るし、何をしようとしているのかわからないので、
「一番訴えたいことは何ですか」
と、聞きました。
それで、彼は満面の笑顔を崩さずに答えました。
「これに書いてますから」
と。
僕は、まるで政治家のようだと思いました。


植えたり蒔いたもの、その2 [日々の生活のこと]

その後、きゅうりの種から育てたものは、結局ウリハムシにやられてしまったので、今度はポットに蒔いて防虫ネット代わりにフルイを逆さまにしてかぶせて置いた。
そういえば、長野にいたときにはウリハムシは一度も見なかった。長野ではネキリムシとカメムシ(各種)が主な敵だった。
ついでにというわけでもないが、同じパレットにミニトマトの種も蒔いた。
それから、バジルもばらまきしてみた。
舟瀬さんからニラと島らっきょうももらったので植えた。
・・・こんなことをしていたが、明日には大型で勢力の強い台風がやってくるらしい。
夕べから風の向きが変わって、空気の質も変わった。
前に糸満に住んでいたときは、台風の風は東から来ていたように思うが、どうなのだろうか。
島バナナを買ったときに、店員さんに台風対策を聞いたが、彼は困るばかりで、結局彼が言うには
「台風が来るまでに大きく育ててください」
というだけだった。そんなに急には大きくなりません。
まあそんなこんだとしていても、台風で全部吹っ飛ばされるかもしれない・・・。

植えたり蒔いたもの [日々の生活のこと]

ここに来た次の日に、島バナナの苗を買って植えた。それから、ゴーヤーも遅めなので苗を2本植えた。それから、島唐辛子の苗も植えた。ピーマンとナスの苗も2本ずつ植えた。ミニトマトも2本植えた。それから、キュウリの苗も2本。ようは夏野菜の四天王と言われるものを2本ずつ植えたわけだ。
カボチャの種は上田から持ってきたもの。これはてきとうに土に突っ込んで、いまは大きな双葉を出している。しそは、赤と緑、まぜててきとうに蒔いた。あまり知られていないが、しそは赤と緑とを混植するのはコンパニオンプランツとしてとてもいい効果がある。
カラシナの種は、沖縄に居たときにとっておいたものと、阿智村でそれを蒔いて種を取ったものとが混じっている。これもだいぶバラバラと蒔いた。地這いのきゅうりの種が袋に残っていたので、3個ずつ12カ所に蒔いたが、虫に食われたのもずいぶんとあるだろう、5本だけ双葉を出している。
それから、シークァーサーにしたものか四季柑にしたものか迷ったが、結局15センチばかりの四季柑の苗を買って植えた。引っ越したときに持ってゆけるように鉢ごと土に埋めた。こうしても充分実を付けるらしい。
それから、ルッコラもたくさんばらまいた。サラダやサンドイッチを作るときにうちではよく使う。
ゴーヤーの種も取っておいても仕方がないと思い、その辺に埋めた。
山田さんのところから三角サボテン(ドラゴンフルーツ)を少しもらったのを鉢に突っ込んだ。そうしているとき、この家の庭の端にも三角サボテンがいくらかあるのを見つけた。それらをまとめて庭のフェンスに絡むようにした。
それから、舟瀬さんが食べるようにくれたはんだま(水前寺菜)を、すこしばかり土に突っ込んだ。5,6株くらい根付いたようだ。舟瀬さんには名前が思い出せないがアセロラに似た実をつけるという果物の木をもらった。これは地植えだ。
それから、この家の庭には、パパイヤが2本、それからカニステルだろうと思える木が1本ある。
野菜はまだまだいろんなものがほしいところだが、イカスミ汁を作ったときのために、ニガナは植えておきたいところだ。
果物としては、時計草(パッションフルーツ)とライチを植えたいところだ。

自転車先輩の釣り竿3/3 [日々の生活のこと]

ある暑い日だった。お昼前に釣り場に着いくと自転車先輩が先に来ていた。昼飯を食ってくるから道具を見ていてほしい、というので自転車先輩の道具のすぐに腰を下ろし、愛車に乗って帰って行くのを見送った。

お昼をとったにしては早く帰ってきた。
自転車先輩は竿を一本持ってきていた。これをちょっと使ってみないかという。その竿は穂先が少しばかり折れたところにガイドが付け直されていた。僕は竿の善し悪しなどわからないが、それでも振り入れたときの感じが何ともよかった。折れたのであまり使わなくなってしまったのだろうが、もともと上質なものであるのが竿を持つ手に伝わってきた。

午後はずっとその竿を使わせてもらった。釣れたかどうかは覚えていない。
今日はそろそろあがろうと思い、自転車先輩の釣り竿からリールを外して返した。自転車先輩は、
「こんなんだけど、もってたらいいさぁ」
と、いつもの優しい目をしていう。僕にくれるためにわざわざ昼に帰っていったのだ。ありがたくいただいた。

季節が移る前に自転車先輩が
「もうちょっとしたらよ、今度はチヌ狙うからよ、向こうの防波堤の、ほら、ごつごつしたところあるや、そこにいるからよ。そっち来たらいいさぁ」
と、一キロほど先の新しい場所を教えてくれた。そこは長くまっすぐな防波堤を乗り越えて行かなければならないところで、岩場が広がっているところだ。
僕はある潮の引いたときにそこを見に行き、防波堤の上に立って、潮が引いて岩だらけで遠浅になったところを見やった。岩や潮の加減に注意しなければならないことや足下が悪いことなど、新米の僕には釣りをするのがちょっと難しいなと思った。
それでもその近くで釣りをしたときには、自転車先輩が来てないかと覗いたが、自転車も先輩も、結局一度も見かけないままになってしまった。


自転車先輩にもらった竿は、たくさんの思い出をくれた。
タマンが当たったときは驚嘆した。砂に突き刺した竿立ての竿が、いきなりU字型にひしゃげ、キィーッと音を立てて道糸が持って行かれ、そのスピードにリールの回転がばかになり、道糸がぐしゃぐしゃに絡まって、ハリスが切れて竿が撥ね戻った。息をつく間隙はなかった。一呼吸置いて、遠くで大きなタマンが、いかにも人を食ったように海面高く飛び跳ねて、金色の胴体を光らせて消えた。
それから、オニカマスをよく釣ってくれたのも懐かしい。糸満港に出入りするオニカマスの群れの通り道を見つけたのだが、自転車先輩に教えてもらったスルルの付け方で餌を付け、それが新米にしては上出来なくらい釣れた。体長が五、六十センチはあったから引きもなかなかな強く、掛かってからの対決には熱が入り、自転車先輩の釣り竿はよくしなりを効かせた。

自転車先輩に会わなくなってからどのくらい経った頃だろうか。
よく会ったあたり、遠く堤防の先に自転車先輩の黒い自転車を見かけた。車を駐め急いで用意を調え、沖縄の日差しを反射したまぶしい堤防を小走りに向かった。釣りをする背中に向かって、僕は大きな声で
「先輩!」
と叫んで、何事かと面倒くさそうにゆっくり振り向いたのは、全く知らない老人だった。迷惑そうな老人に人違いをわび、僕は長い堤防を、片手に自転車先輩にもらった竿を持ち、片手にバケツを持ちながら踵を返した。帰り際にちらっと見た自転車は、似ていたが、近くで見ると違っていた。振り返りもしなかったけれど、後ろ姿にしても、本当はそれほど似ていなかったのかもしれない。


自転車先輩の釣り竿2/3 [日々の生活のこと]

釣り場では、ほとんど名前を聞いたり言ったりすることはない。それで僕は、時折会ったり話を交わすようになった人たちには、わかりいいように勝手にあだ名をつけた。「あかがあら」という居酒屋をやっている五十を越した人には「赤瓦の先輩」だったし、猫の餌にするのだとボラだけを狙っているめっぽううまいじいさんがいたが、ニカッと笑うと上も下もみごとなくらいのぐちゃぐちゃな歯並びだったから「がじゃっ歯先輩」になった。それで、いつも年季の入った黒い自転車でやってくるじいさんは「自転車先輩」となった。

自転車先輩はそんな仕掛けのほかにも、枝針の付け方だとか、テグスとテグスの結び方だとかを、釣りをしながら一つひとつ丁寧に教えてくれた。そのたびに自転車先輩の目の前でその仕掛けを作って、その出来具合を自転車先輩は黒縁の奥からいつもの優しい目を覗かせて見守ってくれた。こういう作業だから、どうしても仕上げにはテグスの切れっ端が出てしまうが、僕はいつも荷物バケツの上で切り、ちょっとしたゴミでも捨てないようにしていた。

自転車先輩からは、そんなふうに仕掛けのことだとか、サビキの竿の微妙な動かし方だとかを教えてもらったりした。また時には、釣りの昔話などをおもしろおかしく聞かせてもらっていた。いつだったか、釣りの一番大切なコツは何かを聞いたことがあった。ちょっと考えてから、しかつめらしい顔をして
「魚のいるところに餌のついた針を垂らすことだな」
と自転車先輩はいった。一瞬僕はやっぱりこの素浪人は哲学者かもしれないと思った。しかし、釣りには疑似餌で釣るやり方もあるので、冗談だったかもしれない。
あるときは、あまりにも話に夢中になって竿から全く目を離してしまい
「あい、あい、引いてるね」
と自転車先輩に言われて、安物とはいえ危うく竿を持って行かれてしまいそうになったりしたこともあった。

自転車先輩が先に来ているときには、遠くからでも先輩の黒い自転車が無造作に太陽に当たっていてすぐにわかった。
編み笠にTシャツに島ぞうり、片手に竿ともう片手には道具入れのバケツをぶら下げて堤防をとことこと近づいてゆくと、釣り糸を垂れているじいさんの背中が見える。今日はコチがあがっただろうかと気になりながら、自転車先輩の隣に今日も腰を下ろす。

何年も釣りをしていれば、何となく知り合いもできそうなものだが、自転車先輩にはそんななじみというか、釣り仲間がどうもいないようなのが気になったことがあった。それで、あるとき僕は
「先輩、いつもひとりで釣りするねえ」
と聞くと、自転車先輩はいった、
「昔はよ、よく友だちと来よったけどよ、みんなそのへんにぽいぽいぽいぽいゴミ捨てよってからによ、だんだん一緒にいるんがいやんなってな・・・」
少し寂しそうにそういって、言葉を濁した。そして、すぐにまたいつもの優しい目を覗かせた。
僕はテグスの切れっ端も、小物が入っていたビニール袋も、釣り場に捨てたことはなかった。とりあえずは道具入れのプラスチックバケツの中に捨てて、家に帰ってからゴミ箱に捨てなおしていた。何の造作もないことだった。
そして、改めて自転車先輩も全くゴミを捨てていないことに気がついた。

自転車先輩の釣り竿1/3 [日々の生活のこと]

釣りをはじめたのは沖縄に行ってからだった。
たまたま大家さんが釣具屋だったということもあって、そこで子ども向けの廉価版の竿とリールのセットを買って、大家さんに「打ち込み」のごくごく簡単なしかけを教えてもらって始めた。

家からの一番の近場は糸満漁港で、そこにゆくことが多かったが、そこは新旧の港があったし、特に新しい港は堤防が迷路を作るように何本も突き出ていて広かった。そのあちこちから突き出たコンクリートの釣れそうなところを、陸から車でうろうろと探し、今日の場所の見当をつける。潮のことも全くわからないので、本当は釣れそうなところがわかるわけではない。今になって思えば、日向ぼっこがてらにいいようなところを探していたふしもある。

仕掛けのことや魚の習性など、まだまだ何も知らなかったから、教えてもらいたいことが山盛りにあった。釣り人には、話しかけやすい人と、全く話しかける余地のない人がいた。あまりにも真剣に没頭していれば話しかけるのははばかられたし、漂う浮きに目をやりながらも、好んで釣りの情報交換を楽しんだりする人もいた。
そうした背中に書いてあるサインを読んで、話しかけてもいいベテランを見つけては、仕掛けを見せてもらったり、魚種による釣り方をいろいろと教えてもらったりしていた。
ベテランの人たちはさすがにものを知っていて、観天望気という言葉があるが、観天望魚とでも言いたくなるほどにそうしたことをよく知っている。今日は潮が甘いから釣れないとか、今日のような低い雲は電気を出すから、チヌはそれを嫌って潜るので釣れないとか。さっと誰もいなくなったと思ったら、土砂降りの雨になって一人びしょ濡れになったこともあった。

釣り日和のある平日、ひとり迷路の中の堤防の先端で沖縄の三角編み笠をかぶって釣り糸を垂らしていた。
堤防を自転車に乗ってのろのろとやってくるおじいが目に入った。
おじいは近くに自転車を止め釣り道具をおろした。強い日差しを受けている自転車は、黒く古いがっしりした年代物だった。それに、荷台の横にいい具合に塩ビの管で竿立てが作られていた。荷台の太いゴム紐も昔から長く使っているものだとわかった。何年もあるいは何十年もこうして自転車で港に来ては釣りを楽しんできた様子がうかがえた。
おじいはとりあえず道具を置くと僕の近くに来て、黒縁のめがねの奥に愛嬌のある目を覗かせながら
「どうねえ、釣れてるね」
と聞いてきた。
「いやあ、一回当たりがあっただけっす・・・」
相変わらずの下手な釣りをしているのだった。
「釣りは釣れるまでやると釣れるんさあ」
と口角を緩ませて言って、おじいは釣りの準備をし始めた。沖縄の釣り人たちは、ときどき哲学じみたことをいうものだと思う。

おじいはその季節のそのポイントが気に入ったらしく、よく会うようになり、よく話もするようになった。
おじいはコチを狙いに来ていた。コチを釣るには、ここではスルル(きびなご)を一匹丸ごと使うことが多いのだが、その仕掛け針は三センチくらいの間隔で二本付ける。その一本はスルルの目を通してからえらに掛けて針が外れないようにし、もう一本は食いつきやすい腹の辺りに掛ける。これはなかなかな工夫だ。教えてもらいながら作ってみなくては到底できないが、こんな仕掛け作りもおじいが丁寧に教えてくれた。
おじいは緩い感じで釣りをしているが、コチは当たりがほとんどわからないので、話をしながらも気を張らずにどこか慎重に細い穂先を見る。そして、当たりがあったときの置き竿をさっと振り上げる感じなどは、腕が立つのに気のいい素浪人のようにも見えた。


今帰仁にシークァーサーを摘めば 3/3 [日々の生活のこと]

 レジ袋は一瞬でいっぱいになった。車のトランクに戻り、ホームセンターで大きな物を買ったときに入れてもらうような大きなレジ袋にそれをあけた。これに入れようと思って用意した袋ではあるけれども、もともとは大物を釣ったときに困らないようにと車に積みっぱなしにしておいたもの。それが初めて役に立った。
 片手にレジ袋を持ちながらは不便だと思い、車に積んであった釣り用の水くみバケツを腰のベルトに結わえて上がった。効率よくなった分、それもほどなくいっぱいになり、大きなレジ袋にあけた。
 脚立の上で座ったり立ったりしながら、それから脚立を今度はこの辺りと移動させながらシークヮーサーを摘む。それを何度も繰り返した。
 両手には柑橘の香りが皮膚深く染みついて、子どもが背伸びした仕事をやり終えたときのようにちょっと自慢で、何か満たされた気持ちがした。
 
 ただ酸っぱいだけなのに、どうしてこれほど幸せを感じさせるのだろうと、むせかえるほどの柑橘の香りの車を運転しながら思った。途中用事を済ませたりしたので、糸満に戻った頃には、すっかり夕闇が垂れていた。
 まっすぐ大家さんの釣具屋に行って、トランクからシークヮーサーの詰まったビニール袋を卸業者のよう勝手口の方にいくつも置いた。
「あいえー」
というおばさんの驚きの声。おじさんの相好はくずれる。

 家に帰って、島酒を片手に、使い切れないほどもらったシークヮーサーの保存にかかった。シークヮーサーは、絞ってそのまま小分けに冷凍して、使う分だけそのつど出したらいいと、保存の仕方を教えてもらってきた。
 まな板の上のシークヮーサーは、包丁に怒ったように霧状のしぶきを吹き上げ、あたり一面をさらに酸っぱさでいっぱいにする。完熟したまん丸な黄色が、ころん、と現れる。酸っぱい満月ってとこかな、と思う。妻たちは今頃満月の下、どんなところを走っているのだろうか。

 次の日の午後、同じように車を走らせて、運天港まで迎えに行った。船着き場で定期船から降りてくるのを待っていると、ムーンライトマラソンに参加したであろう若い男女が快活にタラップを次々と降りてきた。それに紛れて、かみさんたちが疲れたようすで肩をがっくりと下げながら降りてくるのが見えた。僕の方にやってきて、
 「あと三年は一歩も走りたくないわ」
と笑顔で言ったのが、妻の第一声だった。よっぽど疲れたのだろう。だが、身体の疲れとは裏腹に、妻も二人の友だちも、きらきらと瞳が輝いていて、二十キロの旅が充実していたのだなと思う。へろへろになりながら、よっぽど諦めようかと思いながら、それでもみんな走り抜いたのだろう。 

 帰りの車の中では、あそこでがんばろうっと言ってもらえなかったら、もう止めてたわ、とか、あのとき島の人が持っている明かりが見えて、とりあえずそこまでがんばろうと思って、そしたら声援が響いて、何言ってるかよくわかんないんだけど、すっごい嬉しかったのよ、とか。大イベントの翌日だけあって、話は盛り上がり尽きなかった。

 家に帰ってから、参加記念のTシャツを見せてくれた。しっかりした黒い綿に鮮やかな黄色で、
 月の伴走、星の声援、伊平屋島ムーンライトマラソン
というコピー。そしてその下に、大きな月と星々、それから月明かりに照らされて走る人たちが描かれていた。
 丸い大きな月の伴走。そして、満天に輝く星々の声援。月は飽かずに伴走をしてくれる。星は夜明けまで見つめていてくれる。

 眠れない夜、しかたなく起きだしカーテンをめくって庭を覗くと、煌煌とした白い光が庭一面に降りそそぎ、ナスやキュウリの葉っぱがくっきりと影を落としていた。窓に顔を付けて天頂を見上げると、白い満月がくっきりと南中に漂い、さらさらと銀粉を散らすように輝いていた。美しい月だなと思う。
 一人そんな月に見入り、沖縄が懐かしく思い出された。今帰仁のシークヮーサーは今年もたくさんの実をつけただろうか。おじさんおばさんは元気にしているだろうか。
 月が少しいびつに滲み、そして、口の中が酸っぱくなった。

今帰仁にシークァーサーを摘めば 2/3 [日々の生活のこと]

 大家のおじさんは、高校のときに那覇に出てきて、そのあと中南部で何度か引っ越しをして、そして糸満に落ち着いた。いずれは今帰仁に帰りたいと飲んだときに言っていたのを思い出す。さわさわと風が吹き、優しい陽がさす。正吉っちゃんと呼ぶ人がいてくれる。一つひとつが自分を育んでくれたところ。ここに帰ってきたいんだろうなと思う。

 毎年大晦日の晩には、大家さんがごちそうに呼んでくださった。年中無休の釣具屋を、この日ばかりは早く閉め、二階の広間で、料理上手なおばさんの沖縄料理で祝うのだった。
 ある年の大晦日、おじさんの小さい頃の話になった。
「小さい頃は釣りするったってや、お金もないし、道具も今みたいにあらんからや、おもりの代わりに小石ば結わえ付けて投げ入れたりしよったや。そんでも、昔は魚もよく捕れたしや。」
脚立の上から遠くを見やり、風に吹かれていると、おじさんのそんな話を思い出す。脚立の下に小さな正吉っちゃんがちょこんと立っているようだ。
 同じ風が吹くことはないのに、おじさんが小さい頃に感じた風を、いま僕も感じているような気がする。

 おじさんは、働き者の焼けた顔に今でも少年のやんちゃさを残している。
 それから、何かにつけて「いちゃればちょうでぃ」と言い、そういう生き方を大切にしている。大きなチヌが手に入ったからと、冷凍だけどセイイカをもらったからといっては取りに来ないかと電話をくれる。
 おばさんもおばさんで、パパイヤのシリシリ漬けを作ったから取りにおいでといってくれ、近くに来たからといって、たくさんもらったニガナのお裾分けを持ってきてくれたりした。
 おじさんやおばさんに限らない。外の流し台にほうれんそうと大根が新聞に包まれてあったり、ドアノブに紅芋の入ったレジ袋がぶら下げられていたり。何度もそんなことがあって、大概は見当がついて電話をしてお礼を言うのだが、とうとう誰にもらったのか判らずじまいのものさえある。
 行き逢えば兄弟、か。沖縄のいい言葉だと思う。

 シークヮーサーの木は全部で三本あって、どの木にも採りきれないほどたわわに実がなっていた。一個摘むごとに指先に香りがしみてゆくのがわかった。風が薄い半袖シャツの背中の汗を拭き去ってゆく。オオシマゼミの狂想曲は相変わらず続いている。

今帰仁にシークァーサーを摘めば 1/3 [日々の生活のこと]

 妻と妻の東京の友だちが伊平屋島の「ムーンライトマラソン」に出るというので、三人を乗せて未明に糸満の家を出た。大きな月が黄色味を残してまだ浮かんでいた。
 伊平屋島には、沖縄本島北部の今帰仁の運天港から定期船が出ているので、そこの朝一番の定期船に間に合うように出かけたのだが、本島南端の糸満からは結構な距離になる。
 少し余裕を持って港に着いた。海からの風は少し冷たく、まだ朝の匂いが感じられて、そしてその中に大きな定期船があった。なんとなく落ち着かないまま上船時間を待ち、それから定期船に乗り込んでいった。
 ボーっと定期船が汽笛をひとつあげて出航するのを見送った。
 ついさっき日が出たばかりだというのに、あっという間に額に汗をかいてしまった。まだこんな時間なのに、沖縄の暑さが袖をまくり始めた。

 前日、たまたま釣り餌を買いに、釣具屋をしている大家のおじさんのところに行った。おじさんが今帰仁の生まれだということは知っていたので、何の気なしに、明日運天港までかみさんを送りに行くのだと言った。そしたら、
「今帰仁行くんやったら、実家の庭のシークァーサーをとってきてくれんね」
といつもの人なつっこさでいった。実家にはこの間までおばあちゃんがひとりでいたのだけれども、今年に入ってから体調を崩して施設に入ってしまって、今年は誰もシークヮーサーを採る人がいないのだそうだ。ちょうど今頃がシークヮーサーの採り頃のはずだからといった。僕は、たいした手間でもないし楽しそうだしと思い、ふたつ返事をした。
 おじさんの実家は運天港からすぐ近くだという。港から坂を上がって、大きく曲がったところを左に入って・・・、と実家の場所を聞いた。
 
 教えてもらったあたりで車を駐め、たまたまひょこっと出てきたおじいさんに尋ねると、
「あい、あい、正吉っちゃんのところね」
と教えてくれたのは、この路地を入った三件目、石垣からシークヮーサーがつきでているところだった。
 それからおじいさんは、
「正吉っちゃんは元気しとるね」
と聞いてきたので、とっても元気にしていて、実はこういうわけでシークヮーサーを摘みにきたのだと言った。

 敷地の中に車を入れ、エンジンを切ってドアを開けるとすぐに、何だろう、チュワチュワチュワチュワ……という聞いたことのない、何万匹かと思われるような虫の鳴き声が、空全体をふるわせて降り注いできた。それまでも鳴いていただろうに、家を探すことに夢中になっていて、まったく聞こえなかったようだ。ちなみに、後で聞いて知ったのだが、それはオオシマゼミという奄美からこの辺りにかけて生息している固有種ということだ。

 丁寧に積み上げられた石垣。その中には、きちんと戸締まりをした小さな沖縄の平屋。少し雑草は伸びているものの、丁寧に使い続けられただろう菜園。それから、シークヮーサーとほかに何本かの庭木。
 裏に置いてあった背の高い脚立を出してシークァーサーの木の下に立てた。シークヮーサーの木を見上げると、葉っぱにまぎれてたくさんの深緑の実が見えた。レジ袋を片手に脚立のてっぺんまで登り、座った。
 チュワチュワは村全体が共振しているかのように響きわたっていて皮膚にしみこむようだ。手前には隣家の福木が生い茂り、それをかき分けるようにして、今いた運天港のでっぱりが見える。そして、港を囲むようにして群青の海が広がり、そして、その色が淡く溶けるようにかすみ、そしてまた、優しいグラデーションをつけて空になっていった。さわさわとそよぐ葉っぱと実をくぐり抜けて、太陽の光がチカチカッと揺れて降り注ぐ。そして、シークヮーサーの濃い柑橘の香りに包まれているのに気がつき、気がつくと肺がむせかえるように思えた。
 ああ、こんなところで暮らすのはいいな、と思う。

夏井ヶ浜 [日々の生活のこと]

ベランダに出ると、夏井ヶ浜という小さな浜が見える。
ここで釣りをしている人を見かけたことはないが、この浜で釣りをしようと思う。
釣りにはあまりいい条件ではない。というのは、大概は北からの逆風が吹きつける。人生の逆風にはなれているがこれはそうはいかない。堤防でなら釣りができるような風でも、砂浜に投げ入れるとなると、少し無理が出てくる。それから、わずかな幅の砂浜なので、場所を選ぶことができない。右に行っても左に行っても、すぐに根掛かりがしてしまうごつごつした岩がある。
ここに魚が全くいないのだったら話は別だが、夏井ヶ浜に不平を言うつもりはない。ここはここだ。ここで釣ろうと思うのなら、この場所に合った釣り方を僕がするしかない。

昨日と一昨日で、キスとヒラメがいくらか釣れた。ヒラメは2尾釣れたのだが、1尾はルアーで型の大きなものが釣れた。ビギナーズなんとかというものではあろうが。
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山鹿にて [日々の生活のこと]

北九州市の西隣に芦屋町はあって、その町を二分するように遠賀川が海に流れ込み、その右岸側が山鹿(やまが)という地区になる。山鹿の外れ、海に突き出た崖から遠くを眺めれば、そこは響灘といわれる海だ。どのくらい遠くからやってくるのかは知らないが、たいがいは塩っ気で粘ついた強風が吹いている。大きな白波は、不機嫌にテトラポットにぶつかっては砕け、何もなかったように知らんふりをして帰ってゆく。眼下の海岸に沿った遊歩道は、右手の向こうに見える夏井ヶ浜というわずかばかりの砂浜から、ここからは見えない小さな漁港まで続く。
そんなロケーションに背伸びしたぺらぺらなマンションがあって、そこがとりあえずの住居になった。ベランダにはときどきフナムシが現れ、逃げ場のない平たい面に囲まれたフナムシは、どいつもどこかおどおどしている。
ここからすぐのかみさんの職場の空き地に、上田から持ってきたミントとローズマリーを植えさせてもらった。潮風が強いからどうかな、といわれたが、暑すぎるところや寒すぎるところを耐えてきた。ゆっくりと根付いてゆくだろう。

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