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いくら番屋、その1 [旅のこと]

大学2年の初冬だったと思う。
そのころ、毎週金曜日の夜は、Bのところで、5、6人ほどで中世だったと思うが古典作品の講読会をしていた。そのメンバーの中に「日記」に興味のあるやつがいて、そいつのリクエストもあって誰だかの日記を読んでいたと思うのだが、天気がどうしたとか、何がいくらだったとか、どこぞに出かけたとか。ほとんど何も覚えていないのは、ひとえに僕の不熱心さからだ。
講読会は切りのいいところでやめにして、その後は、よく朝方まで中国文化の研究にいそしんだ。そのチュンがポンだとか、そのリャンゾーでロンでハイテーがついてハネただとか、そういう奥深い文化の研究だった。
中国文化研究の手を動かしながら、あるやつが僕にいった。
「写真撮ってるんだったら、トドワラに一回は行ったほうがいいよ」
と。
「そうですよね。あそこはいちど見る価値がありますよ、すとうさん」
と後輩。
当のすとうさんは、訳がわからず、はぁ?何それ?
ほかのみんなは北海道の出身だったから、その「トドワラ」というのを知っていたが、僕はまったく知らなかった。聞くと、野付半島にあるトドマツの枯れ木立らしく、それがちょっとない風景だというのだった。その時は、ふ〜ん、と聞いていた。トドワラねぇ、ふ〜ん、そんなにいいんだ。くらいに聞いていたつもりだった。

その夜はわりと早く中国文化の研究は終わった。真夜中を回って六畳のアパートに帰った。小さな石油ストーブにマッチで火をつける。石油の匂いをかぎながら、トドワラ、トドワラ、トドワラか。一見の価値あり・・・かと。それが頭の中で何度も響く。荒涼とした風景、どんなところなんだろうか。
釧路から野付半島まではどのくらいの距離だろうか、100キロはあるだろうな、きっと。100キロだとしたら4時間くらいあれば着くだろうから、朝にはつけるはずだ。今から行こう。たまたま原付には今日ガソリンを満タンに入れたばかりだし、明日は授業がないし。
一眼レフのカメラと何本かの交換レンズ、他には、お湯を沸かせるように登山用の小さなガソリンコンロとコッヘルなど、それから、インスタントラーメンがあったのでそれもつめこんだ。
釧路の冬の夜は極寒厳しい。ましてや人家もほとんどない根釧原野を走り抜けることになる。詳しい気候分布図を見ると、このあたりはシベリア気候帯に分類されている。(ほんと、シベリアですよ)僕の安アパートでは、6月にストーブをしまって8月の下旬ころにはまた出していたのだから、原野の夜の冷え込みようは推して知るべしといったところ。
厚手のセーターの上には、山岳部をやめたTから買ったダウンジャケットを着て、下半身は、ズボン下の上にズボン、その上にも防寒用のズボンをはいて防寒対策はばっちりだ、と思う、といいが。
アパートの前に駐めた愛車、とっつぁんバイクといわれていたが、駐在所のお巡りさんが乗っているようなあのようなタイプの原付バイク、そのエンジンをかけてとりあえず温めておく。
道は知らないが方向はなんとなくわかる。アルバイトで釧路近郊のあちこちの町にはとっつぁんバイクでよく出かけていたから、なんとなく方向はわかると思う。中標津を目ざしたらいいはずだし、いずれにしてもあの国道に出てそれをまっすぐに北上すればいいはずだと思う。

釧路の町中でさえすれ違う車はなく、水銀灯の青白い光が寒々しく見えた。町を抜けて、あとはこの道をまっすぐ北へ向かえばいいはずだと思う。しんと凍った空気の中、全身がすぐに冷えだす。まずは肩の辺りから。スロットルを握る手も。膝も。顔にはマフラーを当てたりしていたが、頬や口元が冷えてこわばってきた。トドワラに行き着けるのだろうか。
いくつか坂を越え、そしてまたやっとこさとひとつ登り切る。原付のバイクでこうして走っていると、アップダウンの激しいのがよくわかった。長い上り坂は極端にスピードが落ちた。
真正面の天空に、巨大な北斗七星が現れた。今までみたどの北斗七星よりも雄大で神々しく、そして、美しかった。休憩がてらバイクを停めて、しばしたたずんだ。満天の星空、天空高くの北極星もよくわかった。どうしてだろう、北の大地には北極星がなんと似合うことか。そして、一つひとつ名前があるのに、僕の知らない星々がざわめくように輝く。
のぼりとくだりとを繰り返すだけで、ほとんどまっすぐな道がまた続く。
長い上り坂、バイクのエンジンがプスプスプスといいだし、まもなくエンジンが止まった。こんなに冷えてる夜だから、最初はオーバーヒートとはまったく思えなかった。根釧原野の冬の夜、とっつぁんバイクを道の端によせて調べると、エンジンは溶けそうなほど熱い、よっぽどの負荷がかかったのだろう。零下の粒が天空から降ってきて、身体にまといつくようだというのに、この熱さ。復活するのだろうか、それとも明日の朝釧路方向へヒッチハイクをするのだろうか。不安は人の心を奪う。

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