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60兆の細胞と、60億の人間と [いろいろ思うこと]

左手の親指を怪我したときにこんなことを思ったことがある。
この傷ついた細胞のことを、右手の薬指のここのところにある細胞はどんなふうに思っているのだろう。そもそもそんなことは知らないのだろうか、それとも俺には関係ない、と思っているのだろうか。
その答えを僕自身は知らない。僕にとってはどっちの細胞も同じように大事だし、そして、僕がわかっていることは、左手の親指が怪我して悲鳴をあげているとしたら、それは明らかに右手の薬指にも影響している、ということ。総体としての僕は、どこかがうまくいかなくなっても全体としてうまくいかなくなる。右手の薬指の細胞がいくら「俺には関係ない」といおうが、総体としての僕自身というか、僕の意識というか、あるいはこの60兆の細胞にとっては「神」といってもいいかもしれないが、「関係している」ということがわかっている。
そんなことを思ったときに、地球に住む僕らのことを思った。60億の人口(もっといるけど)の僕らはどうなのだろう。たとえばテレビで流れるアフリカの食べ物が足りないでいる子どもたちの映像は何を意味するのだろうか。一瞬で何万人も死んでしまった地震の映像は一人ひとりの心に何を残すのだろうか。映像を見なくても、その事実を知らなくても、実は何かを感じているのではないのだろうか。
細胞の隙間に体液が流れているように、人と人の間には空気が流れ、その中で細胞よりは自由な動き方をするけれども、ひとつのなにかの中に一緒にいるのではないかと感じてしまう。
総体としての地球の意識を、僕は感じることができない。それはその中では僕が一個の細胞としてしか存在できないから。だけども地球としての総体の意識といってもいいし、宇宙の意識といってもいいかもしれものの存在を、あり得ると思うことは、そう難しいことではないかもしれない。


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