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「おみやげ」の記憶 [田舎のこと・母のこと]

僕はおしめを取り替えてもらった記憶がある。
生家は田舎にしてはわりと大きな八百屋をしていて、そこは母の実家であり母の父が仕切っていた。八百屋の居間は四畳半で、真ん中に小さな囲炉裏がきってあった。近在のお百姓さんが立ち寄っては囲炉裏を囲んで腰をかけ、「ばっちゃ」が入れるお茶を飲んでいった。時にはばっちゃはひっきりなしにお茶を入れていた。僕はそこで店番する母におんぶされていたこともあったし、あまりにも忙しいときには帯に結わえられ、その片端を柱に結わえられていたような記憶もおぼろげにある。
お客さんさえいなければ、ちっちゃな僕は店に面したその居間でおしめを取り替えてもらっていたようだ。ある夜、その居間の裸電球の下、母の父である「じっちゃ」がおしめを取り替えてくれた。仰向けにされた僕は、じっちゃに両足を体を丸めるようにぐぐっと上にあげられて、お尻を拭かれ、拭きながらじっちゃは何やら言っていたような気もするが、慣れた手つきでおしめを取り替えてくれたように思う。おしめを取り替えてもらった具体的な記憶はこの一度きりだが、仰向けの自分から、自分自身の足やじっちゃや隙間なく四方に貼られたカレンダーなどを見たように思う。
もうちょっと大きくなって、おしめをして歩けるようになった頃のこと。
その八百屋は町で一番の大通りにあったのと、そこはちょうど小高い丘にある神社の参道の入り口にあったので、春と秋のお祭りには何十件もの露店がでた。毎年のことなので中には母の顔なじみもあり、そのおばちゃんの露店ではおもちゃを売っていたのだろう、どうも僕はそのおばちゃんのお店からお面だかおもちゃだかを手に取ると持ち帰っては、そのお代を母が払いにいったようだ。お店のおばちゃんもそれでいくらかの商売になるし、なんせ目と鼻の先で店を構えているところの子どもだから、好きなようにさせたようだ。
そんなおばちゃんに一度(だけではないかもしれないが)うちに帰されたことがあった。いつものようにおばちゃんの出している露店にとことこ出かけ、露店の前で物色し始めたのだろう。そこでおばちゃんが、
『ほらほら、さぎに「おみやげ」おいできてがらにしろ』
と。まだおしめをしていた僕は、おしめに「おみやげ」、温かく柔らかいものをうんとしまい込んでいた。しかも重たくて少し歩きにくかった記憶もある。おばちゃんは店先で自然が香るのが迷惑だったのだろう、僕を途中まで追い返すように送って、母は『あらあら・・・』といって笑顔で迎えてくれた、ような気がする。そんな記憶。

すべて母に庇護されて生きていた頃の記憶。懐かしい「おみやげ」。

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