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ミズヒキ [田舎のこと・母のこと]

20100822.jpg物置の脇の草を少しむしって、そのあとにミズヒキを植えた。ミズヒキは通りの向かいの薮に群生しているさしつかえないところを2、3株、移植ベラで小さな根っこと細い茎を傷つけないように気をつけながら掘ってきた。

昨年は母の見舞いになんども山形に帰った。母は入退院を繰り返していたが、入院していた病院は置賜盆地の外れにある公立の病院で、ぶどう棚が途切れたところにぽつんと建っていた。ローカル線の今泉という小さな駅で降り、すぐ前にある旅館に宿をとり、そこからゆっくり散歩がてら小一時間ほどかけて病院まで歩いて行っていた。
そうしていると病院の近道もおぼえ、病院の敷地の裏側の、手入れされず雑草が生えているところを通ってゆくようになった。
あるときそこを通ったら、一面に野の花が小さな花々を咲かせ、それが真っ青な空から降りそそがれた光に輝いて美しいなあと思った。少し摘ませてもらって、母に持ってゆこうと思った。三種類ほどを何本かずつ、親指と人差し指で小さな丸を作ったくらい摘ませてもらった。病室には花瓶などはなく、売店でビックルとかいう飲み物が小さなビン入りなのを見つけて、それを一本買って飲み干して花挿しにした。
母の枕元には母の友人か知人が持ってきてくれたバラの花のアレンジメントがあって、そのわきにビックルの瓶をおいた。母はビックルの瓶に目をやると、こういう花が一番きれいだ、ということを言った。後日母の絵を整理してみると、確かにツユクサとか、ミズヒキとかそういった万葉の時代からあったであろう花々をよく描いていた。
ミズヒキのほかにどんな花を摘んだのか覚えていない。名前を知っていたら忘れもしないだろうが。黄色い花に紫色の花だったろうか。いずれにしても大和のささやかに咲く花々だった。母はこういうのがいい、こういうのがきれいだと何度も言った。

ミズヒキに土をかぶせ、ちゃんと根付くように根っこのあたりを手で押さえながら、そんなことを思い出した。ミズヒキが咲いていたのだから、ちょうど一年前の今時分の季節だったのだろう。そして、そんな母に産んでもらって、明日でちょうど50年か、と思う。
絵は、母の描いたミズヒキ。

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