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なまはんか心理学(7)ケイチョウを問う [カウンセリング・心理のこと]

全く恥ずかしいことだが「傾聴」の意味を考えたことさえなかった。考えたことがあったが、全く勘違いしていたという意味ではやっぱり考えたことがなかった。「よく聞きなさい」などとしょっちゅう言われてきたが、傾聴とはどうもそういうこととは意味が違うようだ。その本※には、ロジャーズは傾聴について次のように言っていると書いてある。

「クライアントは相手が自分の感情に受容的に傾聴していることに気づくにつれて、少しずつ自分自身に耳を傾けるようになっていく。彼は自分の中から伝えられるものを受け取り始める。・・・
自分を傾聴することを学習すると、彼は自分自身に対してより受容的になれる。自分が隠してきた恐ろしい部分をより多く表現するにつれて、彼はカウンセラーが自分や自分の感情に一貫した無条件の積極的関心(肯定的配慮)を向けているということに気づくのである。彼は少しずつ自分に対して同じような態度をとるようになっていく。つまり、ありのままの自分を受容するようになり・・・」
難しくて僕にはよくはわからないけれども、何かとても大切なことを書いているような気がする。


ある学派のある先生が酒の席でこういった。
「傾聴するなんていうのはカウンセラーとして当たり前のことで、話を聞いて治るんなら苦労しないんだよ。プラス自分の技法がなきゃだめなんだ」と。定年を十数年もすぎた今でも論理的に少し早口で話す頭の回転のいい先生。そういわれるとそうなんだろうなと思うことは思うのだが、すっきりとそう思えないのはなぜかと考えてしまう。
僕自身を振りかえれば、人の話をよく聴くことができるようになるまでに人生が終わってしまうと思う。僕の生きているベクトルの向きが、僕自身納得できるものならそれでいいと思っているので、まあ、それはそれで全くかまわないのだが。
ちなみにその先生、初めの頃はお会いするたびに名刺を差し出してくださって、断るのもなんだかいい言葉が無くてそのたびにちょうだいしたので、先生の同じ名刺を3枚もっている。












※ 諸富祥彦著『はじめてのカウンセリング入門 下』(誠信書房)

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