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みずうみコレクション(7)白龍湖 [旅のこと]

私の育った町の外れには、白龍湖という、湖というよりはむしろ沼に近いような湖があった。私の育った町は、南に米沢、北にその町がある置賜盆地という水田が広がる、さほど大きくもない盆地にあった。
盆地であるから、その昔は湖底であったのだろうが、そのまた深いところが白龍湖となって残っていた。
私が小学生の頃は、周りの水田と湖の境が判然としないような状態だった。それよりもまだ10年くらい前だと、谷地船という底の平らなボートに乗りながら田植えをしている写真が残っている。

白龍湖にはヘラブナと雷魚がいた。
湖の一角に小さな桟敷をもうけるようにして売店を兼ねた小さなボート小屋があり、黄色い塗料のはげた貸しボートがつないであった。
小学生の頃、日曜日の午前に、糸と釣り針をつけた一本ものの竹竿に、ヘラブナ用の餌としては定番だった練りポテト(?)をもって出かけたことがあった。子どもだったから、ボートに乗ろうとは思ったこともなく、いつも湖と陸との境だと申し訳程度に木の杭を打ったこちら側からウキを投げた。
白龍湖では、一度たりとも当たりがあった試しさえない。いつもポテトが溶けてなくなっていた。釣れないつまらなさを、腹が減ったことを言い訳に昼前には帰った。
そうやって何度かひとりで釣りに行った記憶があるが、釣りからは遠のいていった。魚は、私には釣れないものだということを学習してしまった。

白龍湖からそれほどはずれないところを国道が通って、上山市、山形市へと抜けていた。その辺りは急な上り坂になり、鳥上坂(とりあげざか)といった。坂上からは盆地が見渡せた。特に山形市の方面から米沢市の方に向かうときには、山間を走っていた風景から一変して、眼下の白龍湖、丁寧な長方形に形取られた水田。それから、天気が良ければ米沢市の向こう側に横臥する吾妻連峰が見えた。空も広がった。

母のことがあった頃だ。一度白龍湖に立ち寄ったことがあった。田舎を離れてから初めてだったと思うので、30年ぶりだったかもしれない。
ボート屋はつぶれ、ボートも浮いてはいなかった。あんなボートでも浮いていないと物足りないとは思うものの、いつまでも谷地船に乗って田植えをするわけではあるまいと思う。
湖と陸の境には茅が生え、湖と陸の縁が明瞭になっていた。そして何よりも、沼のような湿地のような白龍湖は、年老いたように小さくなっていた。
私の思い出を守るためにこの世が存在するわけではない。私の思いとは関係なく流転することをまた知っただけだ。





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