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釣りをするのは [いろいろ思うこと]

僕の田舎には、湿地のくぼみがそのまま湖になった白龍湖という湖があった。小学生の頃にそこで釣りをしたことはあったが、釣れたことはなかった。
それ以来、釣りということをしたことがなかったが、沖縄のうみんちゅの町、糸満に来てから釣りを始めた。まだまだの初心者。
最初は、ハリス(釣り糸)に針の結びつけかたも知らなかったし、リールを扱うのも初めてだった。どういう縁か、大家さんが釣具屋をしていて、そこで教えてもらうことも多かった。
「釣り」は人によって本当に意味が違う。たとえば、漁師が生活のために釣るのから、キャッチアンドリリースというものまで。ちなみに、僕は釣ったら、食う。

僕が懲りずに釣りをするのは、竿を通して手から二の腕に、そして全身に魚の「野生」が伝わるからだ。どんな小さな魚でも、野生を感じる。今の日本で野生の動物の力と対峙することは他にもあると思うが、一般的なことではほかにちょっと思いつかない。
その野生の力は、僕の中にある何か古い記憶に触れるような気がする。太古の昔むき出しの自然の中で生きて、狩猟をしていたころの、そんな何か。
釣りを始めてしばらくした頃、黒鯛(正確には、南洋黒鯛、沖縄では俗にチンという)の40センチを釣った。そのときの興奮といったらたとえようがない。知人に自慢をし、写真も撮って。夜布団に入ってからもその興奮は冷めず、興奮で自然と体が動いてしまうのだった。・・・それは、男たちが大物をしとめた夜、村人たちがたき火を囲んで遅くまでお祝いをして踊り騒いだような、そんな記憶に通じるような。
太古から連綿と受け継がれてきたたとえばDNAと呼ばれているような何かが、自分自身の中で振動し始め、自分の体や心の何かを呼び覚ましてゆく感じは、いい。

ちなみに、魚に小出刃をいれる前には、手を合わせる。

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