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下北沢、田口アパート(2) [カメラマンになる周辺など]

そんなふうにして下北沢に住み始めたのは、27歳の2月のことだったと思う。
お金はなかった。
暇はあった。
希望というようなものがあった訳ではないけど、引き返す訳にもいかなかった。
お金がかからなくて腹持ちのいい食事をと考えて、大袋のパスタを買ってゆでることが多かった。レトルトのミートソースがあれば上等で、納豆が残っていれば納豆でも、ふりかけでもなんでも、混ぜたりかけたりしてパスタを食うことが多かった。あろうことかときどき霞も食っていた。あの頃の霞の味は、思い出すと涙がにじむほど懐かしい。
アパートに引っ越した日、ほとんど何もない家財道具と少しのカメラ機材をとりあえず四畳半に入れて、田口のおばさんのところの居間にあがって、お茶をごちそうになった。掘りごたつに足を伸ばしながら、このアパートの音の響き具合とか、どんな人が住んでいるとか、そんなことをおばさんが次から次に話してくれた。
で、おばさんが聞く、
「須藤くんは麻雀をするの?」
「はあ、相手がいれば遊び程度ですけど嫌いじゃないっす」
「麻雀はね、他の人の迷惑になるから部屋ではやらないでね。やるときは、ここに来て一緒にやったらいいから。ここは大丈夫だから」
「・・・はあ」
何のことはない、麻雀一緒にやりましょう、ここで。ということで、毎週火曜日は麻雀の日で、その日以外でもメンツが集まれば随時開催ということだった。
時間をもてあましていた僕は、火曜日の夕方が待ち遠しかった。麻雀をして楽しく時間をつぶせるのは救われたし、この日は田口のおばさんがいつもカレーを作ってくれていて、麻雀が終わってからみんなにごちそうしてくれるのも嬉しかった。
田口のおばさんは気さくでとても面倒見のいい人だった。苦労人で、真っ直ぐで、暖かくて、それでどこか適当で、そんなふうな人だった。田口のおじさんもいた。おじさんは自称「埼玉生まれの江戸っ子」で、左官業をしていたが、60歳ですぱっと仕事をやめたのだという。おじさんも麻雀が好きだった。
麻雀をやらなくても、お茶飲みにふらっと居間に寄らせてもらうようになった。少なからぬ住人もそうだったし、また、そうしてきてくれることをおばさんも喜んでいた。おばさんはヘビースモーカーで、そのたばこの煙を受動喫煙しながら、といっても、その頃は僕も少し吸っていたが、どうでもいい世間話をし、そんなふうにして飲むお茶は美味しかった。ありがたかった。
もしもこのアパートでなかったら、ほとんど誰も友人知人のいなかった僕は、東京という巨大な町で、孤独な夜と朝をくり返すことができたろうか。夕方になって人の暮らす窓に灯がともり、そしてそのどの窓にも知っている人がいないのだなと思うとき、その窓の明るさの分だけ孤独が増してゆく。掘りごたつに足を突っこんで、手に湯飲みの暖かさを感じ、そうしながら馬鹿話をしたり、時には「今日はこんな事があって・・・」というような話しをすれば、それでよかった。うまくいかないことがあっても、おばさんは「大丈夫よ、すとーくん。どうにかなるわよ」とよく言ってくれた。どうにかなる根拠はどこにもなかったが、ただそう言ってもらえるだけで救われた。
物件を探していたとき、取り壊すために一年間限定で破格の安さ、などというのもあって、心がぐらっと揺り動かされてしまったりもしたが、わずかなことで大切なものを手放してしまってはいけない、とあとになって思った。

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