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母、沖縄にて [田舎のこと・母のこと]

沖縄の糸満に住んでいたときに、母が一週間ほど泊まりに来たことがあった。
その頃はもう糖尿病もすすみ、腎臓もだいぶ悪くなっていたから、足のむくみもひどく、歩くのもちょっとおぼつかない感じだった。そして、沖縄に来たその日から
「山形さ、かえりっちぇなぁ」(山形に帰りたいなぁ)
といっていた。少し無理に連れてきたきらいもあったので仕方がないといえばそうだが、それにしても、あまりにも連れてきた甲斐がないが、母はそんなふうにへそ曲がりなところがあった。
母が来る前には、家のあちこちに竹竿のにわか手すりを作り、トイレにはしっかりとした手すりを据え付けた。
無理でない程度にあちこちドライブに行ったりした。母は植物、とりわけ花々が好きなので、沖縄で一番大きな植物園である南西植物園にもいった。
そこでゆっくりと緑の中を歩くのは母の体にはとてもいいようだった。
「あらら、なんだべこれは」(あら、何でしょうこれは)
などと声を上げて驚いたりしながら、母は見たことのない緑と花々をゆっくり見て回った。それに園内を走っているバスに乗って遊覧したりもした。
せっかく沖縄に来たのだからと、どこぞの美しい海岸にも行った。海岸近くに車を止めて、母が車を降りると、さっそくそのあたりの南国の木々に目をやり白い小さな花を見つけて
「きれいだごど」
といっていた。
僕には見つけることのできない小さな花々をすぐに見つけて、これは美しいとか、この花だと仲間だな、とかいって、結局海には目もくれなかった。青い海には全く興味を示すことはなかった。
首里城にも行った。・・・たどり着けなかったが。
駐車場に車を止めて、そこから首里城まで歩いてゆこうと思った。首里は坂の町で、車をおりてからは幅の狭い歩道を上らなければならない。その坂道は滑りやすく、あまりにも危かしかったので、母の手を取ろうとした。
「いいがら」(そんなことしなくていいから)
といって、母は僕の手を振り払った。
母がそうしたいのだったら、それはそれで別にいいのだが、ただ本当にあぶなかしかったので、
「んじゃ、かえっぺは」(それじゃあ、帰ろうか)
とうながして、首里城は見ずじまいになった。首里城もそれほどみたいものではなかったのだろう。
後日、ある人に母が手を振り払った話しをしたら、その人は、お母さんはあなたに面倒を見て欲しくてあなたを育てたのではなく、お母さんはずっとあなたの母でいたかったのだと思うよ、といった。

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