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つなみ桜 改メ てんでん桜 [いろいろ思うこと]

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

で始まる『方丈記』、鴨長明は美しく含蓄深いこの冒頭の文章で始めて、そのあとに大火、台風、飢饉、それに大地震のことなどの災害があったことを延々と列ね、それから方丈庵での生活・想いを記している。
地震のところでは、元暦2年(1185)にあった大地震のことを書いている。2012年ー1185年=827年前のこと。もちろん僕らは生まれてはいなかったわけだけれど、その地震について書いた部分のシメに次のように書いている。

昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏のみくし落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこのたびにはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 

ざくっと訳すと
昔、齊衡の時代のころだそうだが、大地震が起きて東大寺の大仏の首が落ちたりするなど凄いこともあったったが、それでも今回の大地震ほどではない。地震の直後には誰もがこの世の無意味さ(無常であること)をいったりして、ちょっとは邪心もなくなり心もきれいになったように見えたけれども、月日を重ね、年月を経てしまったら、そんなことを口に出して言う人さえいなくなった。

この地震は「元暦の大地震」といわれるのだそうだ。「あの地震はすごかったそうだよ」などと伝え聞いている人はいまはなく、地震の専門家か古典の専門家か、雑学の王様が知っているだけになってしまった。

ところで、日本の国歌がはっきりと決まるまで僕はひとりで「日本の国歌を『さくらさくら』にしよう」運動をしていた。桜が嫌いだという人にあったことはないし、日本人のメンタルに桜はしっくりくる。桜はいいと思う。一応歌詞をあげておくと、

さくらさくら
野山も里も 見わたすかぎり 
霞か雲か 朝日ににおう
さくらさくら 花ざかり

または

さくらさくら
やよいの空は 見わたすかぎり
霞か雲か においぞいずる
いざやいざや 見にゆかん

下の方が古い。僕は上の方になじんでいるが「いざや見にゆかん」さあ花見にゆこうといっているのだからなんだかのんきで、こんな感じもなんだかいいじゃないですか。
どちらにしても、シンボリックにさくらが咲き誇る日本の里山の美しい風景を思い起こさせる。大切にし守ってゆかなければならないものはそれほど多くはないように思うが、その一つが歌い込まれていると思う。
そしてその故郷としての美しい自然を愛おしく思う日本人であり続けよう、というのが国歌だったら素敵だと僕は思う。

津波が押し寄せた線に沿って桜を植えるというプロジェクトが動き始めている。こんなところまで津波がおしよせたのだと後世にしっかりと伝えるためだ。
時が経てば美しく咲き誇るようになり、いざや見にゆかん、花見の宴もあるだろう。そして3月11日を語り継いでゆくだろうと思う。
あえて言えば、遠く時間が過ぎれば人は忘れてゆくかもしれない。
それでも、こうして今深い想いをもって桜を植えることがすべてで、それでいいのだと思う。
僕は心の中でこの桜に「つなみ桜」と名付けた。美しく咲きますように。


(3月23日追記)
今日ラジオで聞いたには、三陸の方には古くから「津波てんでんこ」という言葉があるのだそうだ。津波が来たら、親や子どもを捜したりせずに、てんでんばらばらででもとにかく避難しなさい、という意味なのだそうだ。たしかにそうしておかないと、助かる命が助からなくなってしまう。僕の田舎では「てんでんこ」という言い方はしなかったけれども、「津波てんでんこ」というのはよく伝わっていいと思う。
つなみ桜もわるくはないけれども、「てんでん桜」に改めた。「津波てんでんこ」伝わりますように。(合掌)
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