SSブログ

ベルリンに残された魂 [いろいろ思うこと]

彼女もまた人に会うためにベルリンに来ていた。

僕がベルリンのユースホステルに泊まったのは、20年近く前にここに泊まったことがあったからだった。
「写真の場所」に行くために、なるべく朝の早い時間に出かけたかった。だから、ロビーもまだ暗い時間に、開くのを待ってひんやりする食堂に入った。一番客のひとり客。
バイキングスタイルの朝食で、黒パンなどのパンやハム・ソーセージなどが種類多く並べてあって、ドイツらしいなあと思う。
プレートに盛ってきたものを食べ始めたころに女性がひとり入ってきた。彼女はプレートのあと最後にコーヒーを注いで、それからどこに座ろうか左右を見わたして、僕の目の前に来た。

座っていいですか?
もちろん。

目が合った。20代の後半だろうか。長い黒髪で黒目が大きく、端正な顔立ちだと思った。

どこから?
イスラエルから。あなたは?
僕は、日本から。ちょうど100年前に医学の勉強のために留学に来ていたご先祖さまがいてね、そのご先祖さまは写真が好きだったんだけど、ベルリンで撮った写真が何枚かあって、その同じ場所を尋ねて写真を撮ろうと思ってね。
へえ、そうなんだ。でもドイツ語は話せるの?
全然話せないよ。知っているのは「イッヒ・リーベ・ディッヒ」※だけ。使ったことないけどね・・・。あなたはドイツ語を話せるの?
私は、私が知っているのは・・・「ヘンデ・ホーホ!」だけ。「手を挙げろ!」っていう意味よ。

彼女は自分で手を挙げてそういった。そしてうつむいてパンにバターを塗った。
あのことなのかなと僕は思う。イッヒ・リーベ・ディッヒは、ひどい冗談だったと後悔した。

僕は両手の中の白いマグカップに目を落とすと、ココア色の飲みあとが丸く残っていた。
僕はホットチョコレートのお代わりに立った。
テーブルにもどると、彼女はひとり語りのように続けた。

おじいちゃんがここで死んだらしいの。そのときお父さんはまだ1歳だったんだって。お父さんはどうにか助かったの、だから私がいるわけだけど。でもね、おじいちゃんは・・・、遺体も見つかってなくてね・・・。
・・・
私の国の人は、今でも決してドイツの車を買わないわ。

と最後に言った。そして、忘れていたことを思い出したようにパンやフォークやマグカップを口に運んだ。
そして、しばらくしてまた言った。

あっ、それから、えーと、そうそう、CHIUNE※、知ってるわ。ありがとね。

彼女の瞳が一瞬優しく輝いて僕を見て、顔の輪郭が緩んだ。
そう、あの時代のことだ。アウシュビッツしかなかったわけではないし、『アンネの日記』のように文字になっていなくても、たくさんのユダヤの人たちが同じような残酷な体験を強いられた。気の狂ったHの力の及ぶところなら、どこででも同じことがあった。
それから彼女はまた言った。

この国にいて、どこにいっても楽しいことなんかないから、たいがいは美術館や公園に行って時を過ごすのよ。

そんな心の温まらない時を過ごすことはわかっていても、それでも祖父に会うために、祖父の魂に会うために、どうしても一度は来なければならないと思っていたのだろう。

僕は、ご先祖さまが撮ったベルリンの写真を七枚持ち歩いていた。それが僕にとっては、100年前にここに留学に来ていたご先祖さまに出会う鍵だった。
彼女も僕も、死んでしまった人の何かを探しに、何かに出合うためにベルリンに来ていた。
亡くなってしまった人に会えないことなんか知っている。でも、魂は残っている。このベルリンに。ベルリンに生きている。
彼女はおじいちゃんの魂に会えただろうか。ベルリンに魂を残したままの会ったことのないおじいちゃんに。











2011年10月のドイツの旅のこと
※I love you の意
※杉原千畝
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

つなみ桜 改メ てんでん桜金継ぎ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。