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ほたる [いろいろ思うこと]

たまたま過日知ったのだが「ほたる」を英語ではfireflyと言うのだそうだ。これを聞いた瞬間に、日本語を母語に生まれて良かったと思った。
このfirefly、燃えるハエ、燃えるように光るハエ、ということであろうから、たとえば「ひかりバエ」とでも訳せるのかなと思うが、
「ほ、ほ、ほ〜たる来い・・・」
あのほたるを、闇の中を飛ぶあの明かりを、ハエ、アブ、蚊などの双翅目の昆虫をまとめていうflyと一緒くたにはしたくない。ハエみたいなのが光っているからひかりバエ、というのは僕には哀しすぎるし、そういう感覚にはなじめない。そもそも、ほたるはハエとは仲間じゃなくて、カブトムシとかに近い仲間なのだし。

「ほたる」の語源ははっきりとはしていないようだけれども、貝原益軒の『大和草本』には「ホは火ナリ、タルは垂也」と書いてあるのだそうだ。※
火が垂れる、垂れるというと、下に垂れるという感じがしてしまうが、飛んでゆくときに残像が残るさまと解釈していいだろうと思う。香が残るようにかすかな青白い残像を残しながら闇の中で揺らぎ流れてゆく。そのようすを「火ガ垂レル」というのはとてもしっくりくる。

日本語の豊かで美しい感じは蓮の花に似ていると思う。
水中で蓮の地下茎が伸びては、そこにまたレンコンが生まれるように、言葉に言葉が継ぎ足されて新しい言葉が生まれてゆく。人はさまざまな感覚・感情・想像力をもつ。ものの名前と、人のそうしたものが結びついたときに、水面から蓮が花を咲かせるように、人の心に触れるような美しい言葉が新しく作られてきたように思う。

幼かった頃、家の庭にほたるが出たから見に来ないかと、近くのTくんのお母さんに誘われて母と一緒に出かけた。
行ってみると、庭の家庭菜園のそちこちに、ほたるがいくつも光っていた。
Tくんのお母さんが持って帰ったらいいと、植えていたネギの上のところ、青く空洞になったところをちぎってくれた。捕まえて入れてもらったネギをしっかりもって、ほたるを大事に持って帰った。
四、五匹ばかりのほたるを蚊帳の中に入れて、まだ寝る時間でもないのにわざわざ電灯を消してもらった。
カヤの内側に付いたほたるは点滅を繰り返しながら流れては止まる。僕はそのほたるの小さな点滅を飽かず目で追った。
子どものご多分に漏れず、いつのまにか寝てしまった。
生まれて初めて見たほたるだったかも知れない。

人寝て蛍飛ぶなり蚊帳の中  (正岡子規)

という句もあるが、蚊帳の外から見たらそんなさまであったろうか。
「光りバエの思い出」といってはあまりにも興ざめで哀しい、とやっぱり思ってしまう。ほたる・蛍・火垂・・・、心は言葉の集積でなりたっている。
思い出に淡く残像を残すような、そんな響のほたるでよかったと思うし大切にしたいと思う。













※下記のところからの引用
http://www.kamameshi-yanagawa.jp/hotaru/yanagawahotaru2012.pdf
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