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彼岸桜 [日々の生活のこと]

長野に住むまで、お花見というのは立ち並ぶソメイヨシノの下で、飲んだり食ったりするものだと思っていた。
長野県の南部、飯田市や下伊那郡には、江戸彼岸桜とか小彼岸桜とかの彼岸桜系の一本桜があちらこちらに点在している。有名な一本桜にはたいがい名前がついていて、たとえば阿智村の「駒つなぎの桜」だとか飯田市座光寺の「舞台桜」とか飯田市美術博物館の庭にある「安富桜」とか。
「くよとのしだれ桜」などという名前の一本桜もあるが、これは昔そこで内紛騒ぎの合戦があって、たくさんの武士が死んだという。それを悼んで「供養塔」を建てた。それで、くようとう、くよと、となってくよとのしだれ桜と名付けられた。今は巨木になっていて、ゆうに300年は経っているだろうから、ひょっとしたらその合戦を見てきたのかもしれない。
「タカトオコヒガンザクラ」は伊那市の高遠にあって、高遠固有の種類で、ほかにはない。そして、厳しく門外不出となっている。(ほんとうは、いろんな訳があって10本くらいよそに出ている)

この地域では、桜のシーズンになると、一本桜を巡るバスツアーがでる。どこから出るのかは知らないが、大きなバスがひっきりなしにやってきては人をはき出して、また吸い込んで去って行く。それには閉口するが、高遠の桜は「名桜」と冠されることもあって、朝の7時にはすでに混み合うらしい。閉口どころではないかもしれない。

土地の人には、この桜が好きだというひいきがあったりもする。僕にもひいきの桜がある。去年の春に一度見たきりだが、あれは美しかった。まわりに何本かのソメイヨシノがあったのだけれども、木の大きさもそうだし、風格というか妖艶さというか、全く寄せ付けなかった。時折吹き抜ける風に少しばかりはらはらと花びらを散らすさまを見ながら、年老いてあの桜の下で彼岸にゆけるのなら、それはそれで素敵なことだと思うほどだった。
桜というのはどうやって増えてゆくのか知らない。実をつけるのだろうか。そんなふうにも思えない。
桜の古木を見ていると、毎年毎年花を咲かせては散らすためだけに生きている、としか僕には思えない。執念のようなものを感じる。妖艶に花を咲かせようという執念。
彼岸桜のというのは、春の彼岸の頃に花を咲かせるのでこの名前がついたのだそうだ。お寺の境内に何百年も咲いていたり、どこぞの崖に屹立として立つ姿。
見上げるほどの大きさの彼岸桜が、風に誘われ音もなく花びらを散らすさまは、此岸から彼岸への誘いに思われる。

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