SSブログ

今帰仁にシークァーサーを摘めば 2/3 [日々の生活のこと]

 大家のおじさんは、高校のときに那覇に出てきて、そのあと中南部で何度か引っ越しをして、そして糸満に落ち着いた。いずれは今帰仁に帰りたいと飲んだときに言っていたのを思い出す。さわさわと風が吹き、優しい陽がさす。正吉っちゃんと呼ぶ人がいてくれる。一つひとつが自分を育んでくれたところ。ここに帰ってきたいんだろうなと思う。

 毎年大晦日の晩には、大家さんがごちそうに呼んでくださった。年中無休の釣具屋を、この日ばかりは早く閉め、二階の広間で、料理上手なおばさんの沖縄料理で祝うのだった。
 ある年の大晦日、おじさんの小さい頃の話になった。
「小さい頃は釣りするったってや、お金もないし、道具も今みたいにあらんからや、おもりの代わりに小石ば結わえ付けて投げ入れたりしよったや。そんでも、昔は魚もよく捕れたしや。」
脚立の上から遠くを見やり、風に吹かれていると、おじさんのそんな話を思い出す。脚立の下に小さな正吉っちゃんがちょこんと立っているようだ。
 同じ風が吹くことはないのに、おじさんが小さい頃に感じた風を、いま僕も感じているような気がする。

 おじさんは、働き者の焼けた顔に今でも少年のやんちゃさを残している。
 それから、何かにつけて「いちゃればちょうでぃ」と言い、そういう生き方を大切にしている。大きなチヌが手に入ったからと、冷凍だけどセイイカをもらったからといっては取りに来ないかと電話をくれる。
 おばさんもおばさんで、パパイヤのシリシリ漬けを作ったから取りにおいでといってくれ、近くに来たからといって、たくさんもらったニガナのお裾分けを持ってきてくれたりした。
 おじさんやおばさんに限らない。外の流し台にほうれんそうと大根が新聞に包まれてあったり、ドアノブに紅芋の入ったレジ袋がぶら下げられていたり。何度もそんなことがあって、大概は見当がついて電話をしてお礼を言うのだが、とうとう誰にもらったのか判らずじまいのものさえある。
 行き逢えば兄弟、か。沖縄のいい言葉だと思う。

 シークヮーサーの木は全部で三本あって、どの木にも採りきれないほどたわわに実がなっていた。一個摘むごとに指先に香りがしみてゆくのがわかった。風が薄い半袖シャツの背中の汗を拭き去ってゆく。オオシマゼミの狂想曲は相変わらず続いている。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。